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北九州市誕生の歴史

北九州市誕生の歴史
なぜこの地域に5つの市が誕生したのか?
なぜそれらが一つになり北九州市ができたのか?
その訳は古墳時代までさかのぼる。 

 

●古墳時代
北九州市は九州の最北端に位置し、海と山に囲まれ、河川の廻りに平野が広がり人類の
生活の場として適した場所であり、旧石器時代の遺跡が市内で45ヶ所で見つかっています。
(小倉南区27ヶ所、八幡西区9ヶ所、若松区3ヶ所、小倉北区と八幡東区で各2ヶ所)

このことが遠い昔から人々が生活の場としたことが分かります。
  

            篠崎八幡神社の境内で発見された篠崎古墳
 

●江戸時代
江戸時代に入ると、豊前の国と筑前の国の二つに分かれ、各国に多くのお城が作られる。
豊前が35城、筑前が15城と合わせて50の城が存在した。
このことは、人々が生活する最適の場所であり、本州と九州を結ぶ要の場所でもあったから
だといえる。 
  
     小倉城                 門司城跡              黒崎城跡
1615年の一国一城令以降は多くの城は壊され、豊前が小倉城、筑前が福岡城となった。
細川忠興が中津城から小倉城に移った理由は、小倉が地理的にも重要な位置に
あったからだと言える。又黒崎は長崎街道の筑前六宿最大の宿駅として繁栄する。
この時代に豊前と筑前を中心とするそれぞれの文化が各地域で育まれた。 

 

●明治に入って
明治に入り、1989年(明治22年)に大日本帝国憲法が発布され、各地で合併が行われ新しい
村や町が出来る。
小倉町、門司村、田ノ浦村、小森江村、戸畑村、若松村、石峰村、江川村、洞北村、八幡村、
黒崎村、木屋瀬村
 他

 

●日本の産業近代化の始まり
1989年に、門司港が特別輸出港に指定され、日本の産業近代化の歴史が始まる。
1891年(明治24年)には九州鉄道(門司~高瀬間)が開通する。
1898年(明治31年)には石炭の積出港として若松港が開港し、1901年(明治34年)に
日本で初の銑鋼一貫製鉄所・官営八幡製鐵所が操業を開始する。
また門司では、鈴木商店が1904年(明治45年)に大里製糖所を開設し、それから様々な産業が
大里の地に生まれる。
又、黒崎や戸畑でも様々な産業が発祥する。
 

●5市の誕生
そんな産業発展に伴い、村が町に変わり、そしてそれから5つの市が生まれる。
この限られた地域で次々を市が誕生することは全国的にも非常にまれなことである。
【推 移】
・1899年(明治32年) 特別輸出港に指定された門司
・1900年(明治33年) 人口が最も多く、軍事都市としての役割を果たす小倉
・1914年(大正3年)  石炭の積出港として繁栄した若松
・1917年(大正6年)  製鉄所が誕生した八幡
・1924年(大正13年) 地場資本の安川家が若松から移った戸畑

 

●北九州市の誕生
それから5市が連接し一大都市圏を形成し、共通した交通インフラを持ちながらも、それぞれ異なった
都市構造や行政サービスとなっていた。

そのため各市の間は一体化して都市機能を有効に発揮し、一体感のあるまちをするべく、
1963年(昭和38年)に北九州市が誕生した。
  

北九州と言う言葉は、鉄道が門司から八幡までまたがっており、更に戸畑、黒崎、
折尾まで延びるにつれ空間的な呼び名が必要となり、応募により『北九州』となった。

 


 
●北九州市の魅力
自然豊かな山々と海の恵みを受けながら、太古の昔から人々が生活を営み、更に交通の要所でも
あるこの地に多くの人々が集まり、各地でそれぞれの文化が育まれて来た。
そして、日本の産業がこの地で始まり、多くの産業が生まれた。
その後、深刻な公害問題を経験し、現在では世界に羽ばたく環境未来都市となった北九州市。
また、製鉄関連の含む施設を明治日本の産業革命遺産として世界遺産となり、
多くの近代化産業遺産も点在する場所である。
弊社では、そんな北九州の魅力を紹介するツアーを提供しています。

 

 

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