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9月13日 広徳市民センターで世界遺産講演

9月13日(火)広徳市民センターで世界遺産の講演を行いました。

演題は『日本の産業近代化を成した製鉄・鉄鋼業と北九州の役割』

 

なぜ明治日本の産業革命遺産が世界遺産に登録されたか
それは、急速に産業近代化が日本で行われたことを世界中の人々に伝えること。
そして、製鉄・鉄鋼がどのような役割を担ったのか、北九州でどんなことが行われたのかを
産業革命前の遡り、現在までの歩みを紹介しました。

 

講演に使ったスライドの一部を紹介します。

 
日本の産業革命は、佐賀の鍋島藩で始まった。
オランダ語の技術書を翻訳して、反射炉で始まった日本の鉄つくり

 
釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり、イギリスの技術が日本の風土に合わず3年で断念
日清戦争前に、野呂景義による製鉄所建設を計画

 
日清戦争後、大型製鉄所建設に計画が変更され、野呂景義の計画は採用されず失脚
和田維四郎による計画が進められ、建設予定地が八幡に決定した

 
わずか4年間で田んぼに近代製鉄所を建設した
ドイツの技術を導入したが、日本の風土と原料事情にマッチせず、立上げからうまくいかなかった
そこで、失脚の身の野呂景義が急遽呼び出され、原因究明と抜本的な対策を行い、その後の
製鉄所の基礎を築いた

 
戦争と共に産業化が進む日本、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変
鉄の需要が戦争と共に伸び、設備を拡張して行った


河内貯水池物語、世界遺産登録の引き金となった第一級の土木遺産
8年間、死亡事故ゼロで工事を完遂したが、その裏側に悲しい物語がある

 
第二次世界大戦が勃発したときの日本は行き詰まり状態
それにも関わらず真珠湾攻撃、それから敗戦の一途を辿る
アメリカ軍は昭和19年から日本破壊大作戦を決行
飢餓作戦、空襲作戦そして原爆


飢餓作戦、機雷を関門海峡に投下し海域を封鎖する


昭和20年8月8日 八幡大空襲 女性も子供の軍人とみなし、前田、祇園、平野の民家に空襲
2500以上の犠牲者をだした


昭和20年8月9日 小倉原爆
原爆を搭載したB29が小倉上空にさしかかるも、前日の八幡大空襲の煙と八幡製鉄所から
上げた煙幕で小倉造兵廠の位置が確認できず、急遽標的地を長崎に変更


昭和20年8月9日、自ら被爆した永井隆教授、それにも関わらず懸命に被爆者に治療にあたった。
そして『たとえ針でも隠しもっているものは世界平和を祈る資格はない』と
世界平和を訴えながら、短い生涯を全うした


原爆投下後の日本、そして八幡製鉄所
全国で17基稼働していた高炉が空襲で停止し、わずか八幡の3基だけが残った
しかし、炭鉱の閉鎖され肝心の石炭が入ってこないので高炉操業ができない
そこで製鉄所の従業員が立ち上り、自ら炭鉱に行って石炭を掘り、首の皮一枚繋がった
高炉を動かし、戦後復興に繋げた。


まとめ
北九州で行われた産業近代化が評価され、明治日本の産業革命遺産が世界遺産に登録された
北九州が世界遺産である

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