ジャパン九州ツーリスト株式会社  Japan KYUSHU Tourist

*

We are a specialist of Fukuoka and Kyushu travel
日本人のお客様の団体旅行と外国人のお客様のカスタマイズ旅行の専門会社です

宗像世界遺産巡り 宗像・大島と沖ノ島遥拝の旅

2017年7月9日 世界文化遺産に登録されました。
 神宿る島・沖ノ島を遥拝する旅

 宗像三女神人、海の航海の守護神として、宗像・辺津宮
に市杵島姫神、大島・中津宮に端津姫神、沖ノ島・沖津
宮に田心姫がそれぞれ祭られ、「神の宿る島」として
崇拝する伝統が古代から現在まで発展し、継承されて
います。
このツアーでは、大島に渡り、世界遺産の中津宮参に
参拝、そして神の宿る島・沖ノ島を大島から遥拝
します。更には宗像大社・辺津宮、新原・奴山古墳と宮地嶽神社にも案内します。
  


推奨行程 
所要時間:8時間 
JR小倉駅新幹線口出発宗像大社辺津宮(髙宮祭場も案内) 

→道の駅むなかた → フェリーで大島へ → 宗像大社中津宮 → 民宿で昼食
遥拝所から宗像大社・沖津宮を参拝 → 大島観光(砲台跡、風車展望所、御嶽山)
フェリーで神湊へ → 
新冶・奴山古墳(田園風景の中に広がる43基もの古墳群)
→ 宮地嶽神社 → JR小倉駅新幹線口解散

旅のハイライト

宗像大社
   
   宗像大社 辺津宮                     神宝館              高宮祭場
大島・中津宮
  
   中津宮の鳥居         本 殿          天真名井
沖ノ島・沖津宮遥拝所
  
   沖津宮遥拝所          沖津宮      遥拝所からの眺め
大島観光
  
     砲台跡          風車展望所        御岳山
新原・奴山古墳
   
                                 新原・奴山古墳群(43古墳)                   
宮地嶽神社
       
社殿(日本一の大注連縄)        奥の宮           日本一の巨石古墳         

基本条件
・参加人数: 2045
・交通手段:貸切バス利用 人数に応じて決定(大型;45人又は49人乗、中型:28人乗、小型:24人)
・出発・解散場所: 北九州市内のご指定の場所
・食 事: ご希望に応じてアレンジします。
・料 金: ツアーの条件に従い、お見積りいたします。
 


会社概要 企業理念 サービスのご案内  お問い合わせ 
団体バス旅行 世界遺産ツアー 環境・エコツアー 研修・視察旅行 外国人向けサービス 
NPO法人・明治日本の産業革命遺産協議会 世界遺産物語 英語サイト(About us)


電話 093-521-8897   FAX 093-521-8898  Email info@japan-kyushu-tourist.com
802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階                                   




宗像世界遺産巡り 宗像&福津の旅

2017年7月9日 世界文化遺産に登録されました。
 古代人がつくり上げた神宿るところ・宗像

 天照大神が御産みになった三柱の女神である
宗像三女神人、海の航海の守護神として、宗像・辺津宮
に市杵島姫神、大島・中津宮に端津姫神、沖ノ島・沖津
宮に田心姫がそれぞれ祭られ、「神の宿る島」として
崇拝する伝統が古代から現在まで発展し、継承されて
います。

このツアーでは、世界遺産になった、宗像大社・辺津宮と新原・奴山古墳でどのように継承されてきたのかを紹介します。また、宮地嶽神社との関わりも紹介
します。


  


推奨行程 
所要時間:8時間 
JR小倉駅新幹線口出発宗像大社辺津宮(神宝館&髙宮祭場も案内) 

→道の駅むなかた → 神湊で昼食 (玄界灘と宗像平野を一望できる場所)
新冶・奴山古墳(田園風景の中に広がる43基もの古墳群)
→ 宮地嶽神社 → JR小倉駅新幹線口解散

旅のハイライト

宗像大社
     
   宗像大社 辺津宮                     神宝館              高宮祭場
新原・奴山古墳
     
                                 新原・奴山古墳群(43古墳)                   
宮地嶽神社
       
社殿(日本一の大注連縄)        奥の宮           日本一の巨石古墳         

基本条件
・参加人数: 2045
・交通手段:貸切バス利用 人数に応じて決定(大型;45人又は49人乗、中型:28人乗、小型:24人)
・出発・解散場所: 北九州市内のご指定の場所
・食 事: ご希望に応じてアレンジします。
・料 金: ツアーの条件に従い、お見積りいたします。
 


会社概要 企業理念 サービスのご案内  お問い合わせ 
団体バス旅行 世界遺産ツアー 環境・エコツアー 研修・視察旅行 外国人向けサービス 
NPO法人・明治日本の産業革命遺産協議会 世界遺産物語 英語サイト(About us)


電話 093-521-8897  
 FAX 093-521-8898  Email info@japan-kyushu-tourist.com
802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6



 

世界遺産ツアー ~沼田尚徳の功績~

 

  1900年(明治33年)に、当時建設中だった官営八幡製鐵所に土木技師として入社し、数多くの製鐵所の土木事業を展開した沼田尚徳。
欧米から大きく遅れた技術、そして物資も十分ない時代に、独自の斬新的な創意工夫と取組で成し遂げた大事業は日本の近代製鉄のみならず、土木技術の発展に大きく貢献しました。
更には彼の事業の集大成でもある河内貯水池は「ユネスコ世界遺産の審査員」からも大きく評価され、世界遺産登録に引き金ともなった場所です。
このツアーでは、沼田尚徳が行った大事業の場所を巡り
産業発展の足跡を辿ります。

      


行 程
   

 9:00  JR小倉駅新幹線口出発 →  くろがね線 宮田山トンネル戸畑側           
 → くろがね線 宮田山トンネル八幡側 → 八幡泊地 → 東田第一高炉
大谷会館見学と昼食 → 河内貯水池 → 世界遺産・旧本事務所
→ 17:00頃 JR小倉駅新幹線口解散


旅のハイライト
くろがね線 宮田山トンネル・戸畑側
  
 八幡製鐵所の戸畑地区と八幡地区を結ぶために敷設した 工場の構内専用鉄道。
くろがね線 宮田山トンネル・八幡側
  
 昭和2年起工し、3年の歳月をかけて、工事は製鉄所の社員で行っており、
 中間地点に当たる総延長1180mの宮田山トンネルは出水等に見舞われて難工事だった
八幡泊地
 
 寒村な漁港から製鉄所の主要な港になり、様々な苦難を乗り越えてきた泊地
東田第一高炉
  
 日本初の近代高炉が操業を開始した聖地、実際に稼働していた高炉設備がそのままの状態で
 保存されているのは世界でここだけ、世界的に貴重な遺産
大谷会館
  
 昭和2年に完成した、アール・デコ調建築の洋館、
官営八幡製鉄所の
 社員クラブとしてオープン
河内貯水池
  
 8年の歳月をかけ多くの人達の手で創り上げた、自然と調和した土木遺産、
 ユネスコの審査員がこの地を訪れ、世界遺産登録の決定的な引き金となった遺産
世界遺産・旧本事務所(世界遺産眺望スペース)
 
 1901年(明治34年)操業開始依頼、日本の産業近代化の歴史を見続けてきた旧本事務所


基本条件 
・25名以上の団体のお客様のオーダーメイドツアー 
・日程:要望に応じて設定します(土・日・祝日でも可)

 ・最少催行人員:25名 最大40名
 ・交通手段: 貸切バス利用
 ・ガイド:世界遺産ガイド(ジャパン九州ツーリスト㈱ 近藤)が案内します
 ・出発場所:北九州市内のご要望の場所 
料 金  日程と人数によって異なります
 目安 4,500円〜6,000円/人 
 料金に含まれる項目:貸切バス代、有料道路代、駐車場代、昼食代、ガイド代、旅行保険代     
 *条件に合わせてお見積りを提示します。



会社概要 企業理念 サービスのご案内  お問い合わせ 
団体バス旅行 世界遺産ツアー 環境・エコツアー 研修・視察旅行 外国人向けサービス 
NPO法人・明治日本の産業革命遺産協議会 世界遺産物語 英語サイト(About us)


電話 093-521-8897   FAX 093-521-8898  Email info@japan-kyushu-tourist.com
802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6



  
 

北九州の世界遺産ツアー

  明治日本の産業革命遺産 官営八幡製鐵所関連
旧本事務所 ②旧鍛冶工場 ③修繕工場 
遠賀川水源地ポンプ室 
世界遺産群が伝えること
・幕末から明治初期にかけ短期間のうち産業革命を
    成し遂げ、技術立国の礎を構築したこと。
・その後、急速な産業発展を成し遂げ、現在世界一の
    工業立国をなった道程を証言すること。

 ●北九州で行われた日本の産業近代化
1901年(明治34年)に銑鋼一貫の近代的製鉄所が八幡で産声をあげ、北九州の地で日本の産業近代化が行われた。そして短期間のうちに、世界一の工業立国となった道程を世界遺産の施設や産業遺産を巡りながら紹介します。


1)世界遺産バスツアー(北九州発着の企画型ツアー)外国人向けの企画も行います。

 団体のお客様のご要望の日程に合わせて企画し、催行するツアーです。     

なぜ世界遺産に登録されたのか、八幡製鐵所の近代化産業遺産を
巡りながら、それら遺産の裏側に秘めた「謎」や「先人の取組」
を紹介します。


石炭と製鉄の歩みを辿る旅 
このツアーでは、石炭をテーマにし、安川敬一郎を始めとする
先人達の関連施設と筑豊から運ばれた石炭の経路を辿りながら、
日本の産業近代化の歴史の幕開けに紹介します。


沼田尚徳の功績を辿る旅 
当時東洋最大級の規模を誇り、日本を代表する近代化産業遺産の
ひとつとして世に知られている河内貯水池を始め、数々の遺産を
この世に残している。 その遺産群の裏側に秘められた
人間ドラマを紹介します。


2)新日鐵OBよるガイド
 (英語でも案内します)

 全員が製鉄設備の開発や建設などに携り、鉄鋼業の産業発展に貢献してきた、新日鐵OBの世界遺産ガイド隊

【案内場所】
東田地区
旧本事務所旧鍛冶工場修繕工場東田第一高炉八幡泊地(堂山成品岸壁)  
北九州イノベーションギャラリー  

製鉄所建設時の様子、操業立上げ時の苦難、そして遺産群が現在まで見てきた、戦争、公害問題、更には環境未来都市・北九州になるまでの道程を紹介します。  
関連地域
くろがね線河内貯水池遠賀側水源地ポンプ室 
堀川 
日本の産業近代化に貢献した遺産を巡り、未来の世界を見据えた先人達の取組を紹介します。


       東田第一高炉

 世界遺産・旧本事務所(外国人) 


  3)洞海湾クルーズ

 世界遺産(旧本事務所、旧鍛冶工場、修繕工場)を海から
望み、
工場群と自然の山々が調和した北九州の絶景を観賞しながら、産業発展の道程を紹介します


20名以上の団体のお客様に対して、ご要望の日程や時間に合わせ催行します。
・所要時間 1時間

 ・料金 61,000円 (ガイド付き)


  

       


世界遺産のことは弊社にお任せ下さい!  実体験をもとに伝えるます
新日鐵時代に製鉄所の主要設備である高炉の設計から建設業務に携りました。
1995年からは南アフリカの製鉄プラントの建設にに従事し、八幡製鐵所創業時に技術導入した
ドイツのGHH社とも肩を並べて仕事をしてきました。その当時既に世界一の技術立国をなった
ことを実感しました。言い換えると、急速な産業発展を肌で感じました。
今までの実体験も折り込みながら、製鉄業のみならず、日本の産業が北九州でどのようにして
発展して来たのかを紹介して行きます。


代表取締役 近藤

・全てのプロデュースはお客様の要望に沿って、近藤が自ら行います。
・日本人のお客様のガイドは、近藤と新日鐵OBで行います。
・外国人のお客様のガイドは、近藤が英語で行います。
・また世界遺産の講演も行っています。

宗像世界遺産巡り 宗像 & 福津 & 宇美の旅

2017年7月9日 世界文化遺産に登録されました
 神の宿る島の背景にある神功皇后伝説を知る旅

   天照大神が御産みになった三柱の女神である
宗像三女神人、海の航海の守護神として、宗像・辺津宮
に市杵島姫神、大島・中津宮に端津姫神、沖ノ島・沖津
宮に田心姫がそれぞれ祭られ、「神の宿る島」として
崇拝する伝統が古代から現在まで発展し、継承されて
います。

このツアーでは、世界遺産になった、宗像大社・辺津宮と新原・奴山古墳でどのように継承されてきたのかを知るためには、その歴史的背景に三韓征伐を行った「神功皇后伝説」を紐解く必要がある。
その謎を応神天皇の生誕地「宇美八幡宮」
明らかにする。


推奨行程
所要時間:8時間 
JR小倉駅新幹線口出発宗像大社辺津宮(神宝館&髙宮祭場も案内)

→道の駅むなかた → 神湊で昼食 (玄界灘と宗像平野を一望できる場所)
新冶・奴山古墳(田園風景の中に広がる43基もの古墳群)
=== 九州自動車道・古賀IC → 大宰府IC===
宇美八幡宮 → === 九州自動車道・大宰府IC→北九州都市高速・小倉北IC===
→ JR小倉駅新幹線口解散

 


旅のハイライト
宗像大社
     
   宗像大社 辺津宮                     第2宮              高宮祭場
新原・奴山古墳
     
                                 新原・奴山古墳群(43古墳)                   
宇美八幡宮
   
    衣掛けの森         応神天皇御降誕地の碑         社 殿       


基本条件
・参加人数: 2045
・交通手段:貸切バス利用 人数に応じて決定(大型;45人又は49人乗、中型:28人乗、小型:24人)
・出発・解散場所: 北九州市内のご指定の場所
・食 事: ご希望に応じてアレンジします。
・料 金: ツアーの条件に従い、お見積りいたします。


会社概要 企業理念 サービスのご案内  お問い合わせ 
団体バス旅行 世界遺産ツアー 環境・エコツアー 研修・視察旅行 外国人向けサービス 
NPO法人・明治日本の産業革命遺産協議会 世界遺産物語 英語サイト(About us)


電話 093-521-8897   FAX 093-521-8898  Email info@japan-kyushu-tourist.com
802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6




洞海湾クルーズ

洞海湾から望む世界遺産                    
工場群と自然の山々が調和した北九州の絶景を望める洞 海湾クルージング!

   洞海湾の両岸に拡がる工業地帯、製鉄、化学プラントを始めとして、多くの種類の工場群が点在し、全国でも類の無い工場萌えのメッカです。

洞海湾でしか見ることのできない、ダイナミックは工場萌えとその背後拡がる皿倉山を始めとする自然豊かな山々と調和した景色をクルージングでお楽しみ下さい。
クライマックスは洞海湾から望む世界遺産、
日本の産業発展もドラマを紹介します。


洞海湾クルージングのご案内
20名以上の団体のお客様向けのオーダーメイドの洞海湾クルージング。
ご要望の日程や時間に合わせた洞海湾クルージング(ガイド付き)をアレンジします。
                    
発着地   若松港又は戸畑港
所要時間  60分
クルージングルート
①奥洞海コース
若松港 or 戸畑港出発 → 葛島 → 奥洞海 → 東田 → 出発した港着
②若松北海岸コース
若松港 or 戸畑港出発 →若戸大橋 →若松北海岸 → 東田 → 出発した港着
料 金  61,000円 (ガイド料含む)※50名定員


   
バーチャルクルージング体験
若松北海岸

  
    新日鐵住金 八幡製鐵所                八幡製鐵所 成品岸壁
  
    エコタウン 日本コークス                八幡製鐵所 製鋼工場
若戸大橋
  
    奥洞海からの眺め                     葛島付近からの眺め
若松南海岸
  
     上野ビル                          ごんぞう小屋
奥洞海
  
      三菱化学と皿倉山                       三菱化学
  
      東京製鉄                           二島工業団地
東 田
  
     皿倉山を望む八幡港                     八幡製鐵所 成品岸壁

  
      東田第一高炉                       世界遺産 


会社概要 企業理念 サービスのご案内  お問い合わせ  
団体バス旅行 世界遺産ツアー 環境・エコツアー 研修・視察旅行 外国人向けサービス 
NPO法人・明治日本の産業革命遺産協議会 世界遺産物語 英語サイト(About us)


電話 093-521-8897   FAX 093-521-8898  Email info@japan-kyushu-tourist.com
802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6
 



北九州が舞台となった、日本の産業近代化の歩み

北九州がつくった日本の産業近代化の礎
     北九州を舞台とした 日本の産業発展の道のり!
 
北九州の官営八幡製鉄所の施設が世界遺産となった。
登録の目的は、『日本の急速な産業発展』についての歴史と人々の営みを
世界中の人達に伝えること。
     
 
北九州の歴史を辿れば、日本の産業発展の道のりが見えてくる。
     
この資料は、産業近代化の視点から、ジャパン九州ツーリスト株式会社が独自で歴史を
調査・研究して、「日本の急速な産業発展」
として編集したものです



製鉄・鉄鋼産業に焦点を当て、どのようにして世界一の工業立国となったか
堀川の建設から、筑豊炭鉱との関わりも含め、現在の環境未来都市・北九州までの歴史を紹介します。
堀川建設 1621年(慶長5年)~1801年(寛政13年)
遠賀川周辺の洪水対策として人口の河川・堀川が1621年から180年の歳月をかけて1801年に完成。
明治に入って石炭輸送用として利用。
  
      堀川の様子               寿命の唐戸              JR折尾駅付近


筑豊炭鉱 1700年代(江戸中期)~1976年(昭和51年) 
室町時代に香月で発見、江戸中期から塩田用燃料として炭鉱開発が始まり、1872年(明治5年)鉱山解放令
から筑豊御三家(麻生太吉、貝島大助、安川敬一郎)を中心に急速に鉱山開発が進み、戦前は日本最大の産炭地。1976年(昭和51年)貝島炭鉱閉山を最後に筑豊炭鉱の幕を閉じる。
      
    筑豊石炭組合                山本作兵衛の世界記憶遺産    貝島炭鉱 ドイツ製機関車


門司港 特別輸出港に指定 1898年(明治31年)   産業近代化の起点
石炭・米・麦・硫黄・麦粉の5特定品目の特別輸出港に指定され築港工事が開始された。
金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで進出し、外国航路の港としての歴史が始まる。
             
    開港当初の門司港             石炭積出し          現在の門司港


九州鉄道開通 1889年(明治22年)
1889年 九州鉄道の起点門司駅が開設(現在の門司港駅の東側)
1897年 筑豊鉄道を吸収合併し、筑豊炭坑からの石炭輸送を可能とし、門司港が石炭の
積出港として繁栄。
             
    九州鉄道の起点             九州鉄道旧本社              現在の門司港駅


若松港築港 1890年(明治23年)~1898年(明治31年)
普通の漁村にすぎなかったところを、石炭の積出港として築港、最盛期には日本一の
貨物取扱量を誇った。
      
       若松港                                        石炭会館                ごんぞう小屋                   


筑豊興業鉄道開業  1891年(明治24年)
石炭専用の運搬鉄道 直方〜若松間が開業
     
     開業当初の若松駅         1970年代の直方駅           現在の若松駅


製鐵所建設計画 1891年(明治24年)に開始
中国で製鉄所建設され、日本の製鉄所建設に拍車がかかる。
野呂景義により年間6万トンの製鉄所を計画。
              
            橋野高炉跡                              筑豊炭鉱                野呂景義


日清戦争後の製鉄所建設構想 1896年(明治29年)
 1896年に和田維四郎により、大幅に製鉄所建設計画が変更し、年間9万トンとした。 
                 
             春帆楼                     日清講和条約               和田維四郎


建設場所の決定 1897年(明治30年)
全国で17ヶ所選ばれ、門司の大里が第一候補地となる。
大里は、筑豊炭鉱に近く、広大な湿地帯、海陸の交通、労働力の面で有利
八幡は水深が浅いことが難点、それ以外は石炭入手の面等でベスト、安川敬一郎が政治化を動かす。
      
           門司・ 大里                    八 幡                  安川敬一郎


八幡で建設用地を確保
 1897年(明治30年)
当時は自然豊かな寒村、芳賀種義八幡村長が、『八幡村に製鉄所を、日本の鉄づくりは八幡から』
熱心に村民を説得し広大な土地を売り出した。 → 1897年八幡村に決定
 
                 製鉄所建設前の八幡村                           芳賀種義


●製鉄所建設
 1897(明治30年)~1901年(明治34年)
長閑な寒村だった八幡村の地に、わずか3年間で製鐵所を完成させる。
旧本事務所、旧鍛冶工場、修繕工場(以上世界遺産)、東田第一高炉、軌条ロール工場、大型ロール工場、
中型ロール工場、小型ロール工場、薄板ロール工場、高見貯水池、炉材工場他
    
     岸壁建設の様子               旧本事務所            東田第一高炉


東田第一高炉火入れ    1901年(明治34年)
ドイツのGHH社の技術で設計・建設そして操業を開始するも、故障の連続で惨憺たるすべり出し。
所定の出銑量がいつまでたっても出ないありさま。
その危機を救い、日本の産業発展の礎を築いたのが野呂景義
          
           東田第一高炉                  製鉄所の様子                野呂景義


鈴木商店 門司に進出 1904年(明治37年)~
国際貿易港として繁栄していくなか、製鉄所建設の候補地ともなった門司・大里地区に神戸の貿易商
鈴木商店が進出してきた。
1904年(明治34年):大里製糖所(現在の関門製糖)、1912年(明治45年):帝国麦酒(現在のサッポロ)
1914年(大正3年):大里酒精造所(現在のニッカウヰスキー
         
        ニッカウヰスキー               関門製糖              帝国麦酒(門司麦酒煉瓦館)


八幡製鐵所/第一次拡張期 1906年(明治39年)~1910年(明治43年)
日露戦争が膨大な軍事物資供給が必要となり、鋼材生産量年間18万トンに拡張。
東田第三高炉、分塊工場、小形工場、線材工場、鉱滓煉瓦工場他、八幡泊地
  
     東田の高炉群              製鉄所の様子             製鉄所周辺の住宅


八幡製鐵所/八幡泊地 1906年(明治39年)~1925年(大正14年)
原料の荷卸し、成品の積出の為に岸壁が建設された。
西田岸壁東部:1906年、中央岸壁:1920年、堂山製品岸壁及び松ヶ島岸壁:1922年
西田岸壁西部:1925年
    
     八幡泊地全景              中央岸壁               堂山製品岸壁


安田工業 八幡で洋釘造りを開始 1908年(明治41年)
1897年(明治30年)、安田財閥の創始者・安田善次郎が、東洋で初の釘製造を決意し、

東京深川で、東洋初の洋釘の製造販売を開始。
1908年(明治41年)に八幡工場を建設し、八幡製鐵所で製造した、国産線材を使った
洋釘づくりが始まる。

           
     辰野金吾設計の工場     八幡製鐵所から材料を運んだ線路の跡       工場の様子


明治専門学校の開校 1909年(明治42年) 
日本の産業発展に、理想的な工業技術者の育成を目的として、安川敬一郎と松本健次郎親子が設立した。
初代総裁に山川健次郎を迎え、「技術に堪能なる士君子」の養成を掲げ、その後の産業発展に大きく貢献、1949年(昭和24年)現在の九州工業大学となる。
   
     旧本館 辰野金吾設計           当時の機械               現在の正門


八幡製鉄所/遠賀川水源地ポンプ室(世界遺産) 1910年(明治43年)
製鉄所拡張計画に伴い、大量の水が必要となり、遠賀川から製鉄所まで水を送るため、

遠賀川水源地ポンプ室が造られました。 現在も現役として稼働中。
      
                遠賀川水源地ポンプ室                        送水管


八幡製鐵所/第二次拡張期  1911年(明治44年)~1915年(大正4年)
日露戦争後、鉄道、造船更には工場・道路・港湾等の整備のための鋼材需要が大きく伸び、鋼材の
年産30万トンに能力アップ。 東田第4高炉を中心として、製鋼・圧延部門を増強。

   1912年の製鉄所の状況


多くの企業が北九州で誕生 1910年(明治43年)~
1910年(明治43年):森田範次商店(現在のシャボン玉石けん)
1911年(明治45年)田村汽船(現在の日本水産)、出光商会(現在の出光興産)
1915年(大正4年):安川電機製作所(現在の安川電機)
1917年(大正6年):東洋陶器(現在のTOTO)、
1918年(大正7年):黒崎窯業(現在の黒崎播磨)、山九運輸(現在の山九)
                 
        シャボン玉石けん           安川電機                  TOTO


八幡製鐵所/第三次拡張期  1918年(大正7年)〜1929年(昭和4年)  
第一次世界大戦下の輸入断絶、民間需要拡大に対応するために、年産75万トンに能力アップ。
東田第5、6高炉、コークス炉新設、銑鉄鋳銑機、第三製鋼工場、珪素鋼板工場、河内貯水池
養福寺貯水池他
   
     東田の高炉群          八幡製鉄所で作った国会議事堂の鋼材


他の製鉄会社の創業 1917年(大正6年)、1918年(大正7年)
日本の鉄鋼需要増大に伴い下記の製鉄所が北九州で生まれた。
・1917年:九州製鋼所(八幡)、 後の新日鉄、現在の新日鉄住金 八幡製鐵所 
・1917年:東洋製鉄(戸畑)、後の新日鉄、現在の新日鉄住金 八幡製鐵所 
・1918年:浅野小倉製鋼所(小倉) 後の住友金属小倉製鉄所、現在の新日鐵住金八幡製鉄所
      
     東洋製鋼所(現在の戸畑)        浅野小倉製鋼所(現在の小倉)


八幡製鐵所/本事務所移動 1922年(大正11年)
・初代本事務所:1899年に建設された赤煉瓦2階建て、製鉄機械同様にドイツの建築様式を取り入れた
当時としては、最もバタ臭い(西洋風)なものであった。
・2代目本事務所:官界、経済界に誇るべき地位を示すために、所要資材全てを八幡製鐵所のものを使った
ルネッサンス様式の3階建てのモダンな事務所。 1922年から使用された。
     
      初代本事務所              2代目本事務所


八幡製鐵所/河内貯水池 1919年(大正8年)~1927年(昭和2年)
土木技師・沼田尚徳の指揮のもと、8年の歳月をかけて完成させた、自然と調和した、第一級の
近代化産業遺産。 完成当時は東洋一のダム。
    
     建設の様子                   堰 堤                   南河内橋


八幡製鐵所/くろがね線 1927年(昭和2年)~1930年(昭和5年)

3年の歳月をかけてつくった、八幡と戸畑地区を結ぶ製鉄所専用の鉄道。
その工事は製鉄所の社員で行い、中間地点に当たる総延長1180mの宮田山トンネルは
出水等に見舞われて難工事だった。
    
   宮田山トンネル戸畑側入口      宮田山トンネル八幡側入口             枝  光


八幡製鐵所/厚生施設 & 守護神
大谷会館 1927年、 高見倶楽部 1928年、 高見神社 1933年
        
     大谷会館               高見倶楽部               高見神社


初回の八幡空襲 1944年 (昭和19年) 
B29による日本本土の最初の空襲が八幡製鐵所を標的としたもので、6月16日、そして8月20日に
人命と設備に甚大な被害をこうむった。東田・洞岡コークス炉、鋼板工場、西田発電そして動力・ガス・水道
電話などが寸断。また同時に北九州5市全土に多大な被害があった。
  
    B29による空襲           投下されたB29の残骸(若松)          門司の状況


終戦前の八幡大空襲 1945(昭和20年)年8月8日
一瞬にして目の前が煙で覆われた。2500人もの尊い命が一瞬で奪われ、町や工場も壊滅状態。
石炭の入手が困難となったが、操業を維持すべく社員が炭鉱で労働しながら危機を乗り越えた。
 
  
     八幡製鐵所の状況               前田地区の状況         


長崎に原爆投下 1945年 (昭和20年)8月9日

       
           原爆投下                爆心地              平和記念像
小倉が第一目標地であったが視界不良のため、第二目標地の長崎に変更。
11時2分、長崎に投下、街は壊滅的な被害を受け、多くの尊い人命が奪われた。
そして、8月15日に終戦を迎える。
長崎は、この苦難を乗り越え、美しい故郷を取り戻すために努力し、そして被爆地の使命として、
核兵器による惨禍が再び繰り返されることのないよう、核兵器廃絶と恒久平和の実現を世界に訴え続けている。


環境問題 1950~60年代
当時公害を防止する環境対策技術がなく、国内最悪の大気汚染と死の海と化した洞海湾。
市民運動を発端に、世界でも類の無い方法で、官・学・企業をあげた取組で公害対策を行った。
1987年(昭和62年)に、環境庁の「星空の街コンテスト」で大気環境が良好な「星空の街」に選定され
公害克服が証明された。
        
   1950年代の東田             1960年代の洞海湾         洞海湾浚渫


若戸大橋開通 1962年 (昭和37年)
洞海湾に架設された、若松と戸畑を繋ぐ我が国最初の吊り橋。
完成当時は東洋一の吊り橋、溶接の信頼性の問題から、リベット継手を使用した構造。
八幡製鐵所で製造した鋼材 24,000トン使用。
         
               若戸大橋全景                            若戸渡船


北九州市発足 1963年 (昭和38年)
明治に入り、1989年(明治22年)に大日本帝国憲法が発布、各地で合併が行われ新しい村や町が出来る。
各地で産業が発達し、5市が誕生。 1899年(明治32年):門司市、 1900年(明治33年):小倉市
1914年(大正3年):若松市、1917年(大正6年):八幡市、1924年(大正13年):戸畑市
それから、5市で一大都市圏を形成しながら共通のインフラも持ちながらも、異なった行政地域であったため、
各市間を一体化して都市機能を有効に発揮し、一体感のあるまちづりをすべく、1963年に北九州市が誕生。
         
     北九州市誕生              北九州市庁舎            市庁舎に隣接する小倉城


1970年代の様子
    
     2代目本事務所                   皿倉山から望む八幡製鉄所


八幡製鐵所/東田第一高炉(第10次)  1972年(昭和47年)吹止め
1962年に第10次の改修工事を行い、24時間365日休みなく10年間操業を続け、高炉の神様
田中熊吉が生涯を全うするのと同じ年の1972年に吹止され、日本近代製鉄の聖地・東田の高炉の
幕を閉じた。現在高炉設備一式が、そのまま完全な状態で保全されている、世界で唯一の遺産。
  
     東田第一高炉全景               鋳 床                   トピードカー


関門橋開通 1973年 (昭和48年)
関門海峡の下関市壇之浦と北九州市門司区を結ぶ、、開通時点では日本最大規模の橋。
3径間の吊り橋で、補剛桁はトラス。橋梁等の防食法には溶射が採用。
八幡製鐵所で製造した鋼材 30,000トン使用
         


八幡製鉄所/戸畑へ鉄源集約 1976年(昭和51年)
八幡の洞岡高炉群、焼結工場、コークス工場及び東田の製鋼工場の全ての工場を休止。
八幡地区は、圧延工場だけを残す。
戸畑地区に鉄源を移し、戸畑第一高炉と第四高炉を改修、製鋼工場を新設、若松に焼結工場を新設。
    
               戸畑地区全景              海から見た戸畑地区              高 炉


北九州市ルネッサンス構想 1994年 (平成6年)~
1901年に製鐵所が操業を開始し、日本の産業発展を礎を築いた場所、1972年に東田第一高炉が休止後
東田地区及び洞岡地区の製銑・製鋼関連の工場休止に伴い、広大な120ヘクタールが遊休地となった。
新日鐵は道路、電気、ガス、等のインフラを整備し、北九州市ルネッサンス構想を基に新しいまちづくりが
始まる。
    
     東田地区の全景              スペースワールド       イノベーションギャラリー&東田第一高炉


北九州エコタウン 1997年 (平成9年) 
あらゆる廃棄物を他の産業分野の原料として活用しする、リサイクル事業に1997年に川取り組む企業団地で
1997年に日本で初めて承認を受けた。
    
        北九州エコタウンセンター           風力発電                九州製紙


現在の北九州市  世界を牽引する環境都市
2008年(平成20年):環境モデル都市に認定、2010(平成22年):アジア低炭素化センターを開設、2011(平成23年):「環境未来都市」やOECDからアジア初の「グリーン成長モデル都市」に選定。
日本の近代産業の礎をつくった北九州市、世界の低炭素化社会実現に向けた牽引役としての
新たな挑戦が行っています。

           
      
平尾台                 八幡、若松地区                 洞海湾


サービスのご案内 北九州の世界遺産ツアー 団体バス旅行 外国人向け旅行 お問合せ先


河内貯水池 / 世界遺産登録の引き金となった土木遺産

                                       英 語


明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録のきっかけとなったくった
自然と調和した、第一級の近代化産業遺産 河内貯水池
 

                             土木技師・沼田尚徳の大偉業

河内貯水池は、八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として
1919年(大正8年)に竣工し、8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で
1927年(昭和2年)に完成した。

その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳
当時は東洋最大級のダムで、
「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を
注いだ大事業。

河内貯水池は近代化産業遺産としての価値だけでなく、
北九州国定公園の自然と調和した、心和む河内貯水池へ是非お越しください。
この美しい景観の裏側に秘められた、「愛と情熱」の物語がここにあります。

    


かつての河内地域は、八幡製鐵所から南10㎞ほど谷あいの31戸が暮らす
自然豊かで平穏な農村、また都市の児童の山村留学も受入れている教育先進地域

    
その人達に立退きを快く応じてもらい、当時西日本最大の大事業が始まる。

ダムには当時最新の土木技術をふんだんに用い、一方で現場の石材や自社鋼材を
用いた独自の設計で土木構造物への新しい挑戦をした。
更に環境にも優しい工法を積極的に採用し将来市民の憩いの場所をすべく、
橋から取水塔、管理事務所に至るまで欧米風の洒落たデザインを凝らした。

  
このことは、先祖代々の土地と故郷の美しい自然を提供し、建設に協力を惜しまぬ
村人へ何としても恩返しでもあった。
安全管理でも最新の配慮がなされ、当時の西日本最大級の難工事にも関わらず8年の
建設期間中1名の死者も出さなかった。
80年経過した今でも給水の本来の機能を果たしながら、憩いの場として多くの人達の
親しまれている。


●独特の英知を凝らして作った堰堤 ヨーロッパの古城をイメージ
当時コンクリートは高価の為、粗石を混ぜて使用、銅板を内部に入れた伸縮継手で
亀裂を防止した。
  
工事段階での型枠代わりに石壁をつくり、ダム完成の耐久性を確保。
  
使用した切石は12万個、加工時発生した小さな石も、付帯建築物に張付けて
美観に優れたダムを作り上げた。


悲しみを乗り越えて

河内貯水池建設中、沼田尚徳は現場では明るく振る舞っていたが、数々の悲しみを心に
押し潜めていた。
山の神はこの大事業と引き換えにかけがえのない家族を貢ように強いていたようでもあった。
父そして5人の子供を次々と亡くした。そんな中明るく支えてくれたのが妻泰子。
しかし、最愛の妻もダムの完成を待たずして猩紅熱でこの世を去ってしまった。
  
その後母も亡くなり、家族をダムが人柱として飲み込んでしまったような悲劇であった。

河内貯水池完成の翌年に、白山宮の参道に隣接した土地を自費で購入し、
妻泰子への感謝と哀悼の想いをこめて妻恋の碑を建てた。
  
碑の両面には、漢文と英文でその思いが刻まれている。
  
     漢 文(河内貯水池側)          英 文(神社側)
【漢文】

愛する妻の魂はどこにあるのか。麗しきあの人と今は世を隔て、
素晴らしき日々は夢に帰してしまった。散り行く桜の前にたたずむと断腸の思い。
【英 文】
IN MY MEMORY OF MY LATE BELOVED WIFE MRS. YASUKO NUMATA 
THROUGH WHOSE SELF-SACRIFICE AND UNDER GOD’S BLESSING 
I HAVE ENABLED TO CONSTRACT KAWACHI WATER WORKS.
 
この神社は今でも地元の人達によって清掃され、更に泰子さんの為にと
花も植えられている。


河内貯水池にかかる橋

自然との調和をコンセプトにし、当時の技術を結晶し、創意工夫して設計で、
それぞれの場所の景観に合わせて作った橋。
①太鼓橋
堰堤から眼下に見える、当時日本でも珍しい鉄筋コンクリートの橋
  
スパン28m、最少厚さ20cmの薄っぺらい板の橋、スパン/最少厚の比が140という
世界的にも類の無い橋。80年経った今でもヒビ一つも入っていない沼田尚徳の傑作品。

②北河内橋
一見すると鉄筋コンクリートの橋に見えるが、実はやじろべ形状の鉄骨梁を三つ並べ、
コンクリートで覆った橋。
    
鉄で強度を持たせ、コンクリートで座屈や錆を防止した。

③中河内橋
鉄をつくり時の副産物・スラグからできた鉱滓煉瓦を使った、三連絡アーチ橋。
  
別名を眼鏡橋と言う。
 
④南河内橋
日本で唯一残るレンティキュラー・トラス橋(レンズ型のトラス橋)。
出張中に見た欧米にかかるこの橋をみてデザインした鉄骨の橋。
  
この形と色が実に自然と調和し、鉄の街八幡のシンボルとなっている。
全て八幡製鐵所の鋼材を使い、設計も全て自社で行った。


河内桜公園

春になると、桜の咲き誇る花見の名所です。堰堤の下流側に位置しています。
   
          桜公園の地図                   桜吊橋

  
             弁 室                   亜字池(浄水場)


河内貯水池地図

明治日本の産業革命遺産 / 世界遺産物語

世界遺産物語

日本の産業近代化成し遂げた!基幹産業『製鉄・鉄鋼物語』
 
この物語は、農業や漁業の第一産業が主だった江戸時代に遡り、
なぜ産業革命が起こり、どのようにして今日の世界一の工業立国に
なったのかを、基幹産業である製鉄・鉄鋼に焦点を当てながら3篇にわたり紹介します。
          

第一篇 古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
 ・第 1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
 ・第 2話  種子島に鉄砲伝来
 ・第 3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
 ・第 4話 幕末の日本に変化が起きる
 ・第 5話 日本の産業革命の始まり 
 ・第 6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
 ・第 7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり
 ・第6話 くろがね線物語
 ・第7話 高見神社物語
 ・第8話 満州事変と洞岡地区の拡張

第三編 戦後復興から世界一の工業国への道のり

      

英語で案内する 北九州の世界遺産ツアー

日本初の試み
日本人のお客様向けの英語ツアーを計画中
バスに乗車して、ツアーに出発してから解散するまで全て英語で案内するツアーです。

案内役は、新日鐵OBであるジャパン九州ツーリスト株式会社の近藤と
英語のネイティブスピカーのスタップで行います。

日程は現在調整中で、決まり次第公開致します。

   【案内する場所】
明治日本の産業革命遺産として登録された、
4つの世界遺産である旧本事務所、旧鍛冶工場、
修繕工場、遠賀川水源地ポンプ室、更に日本の
産業発展に証としての貴重な遺産である
東田第一高炉と河内貯水池を紹介します。
【食事場所】
近代化産業遺産に登録された大谷会館

    世界遺産 旧本事務所

●基本条件 
・日程:5月に予定(現在調整中)

 ・最少催行人員:25名 最大45名 
 ・交通手段: 貸切バス利用
 ・出発場所:JR小倉駅新幹線口団体バス駐車場 
 


●行 程
9:00 JR小倉駅新幹線口出発 ===  都市高速(小倉駅北IC→大谷IC → 枝光IC) === 
→ 3つの世界遺産 
旧本事務所旧鍛冶工場修繕工場 (車窓から案内) → 
 
安田工業(洋釘づくりのパイオニア)車窓から案内  →  八幡泊地(堂山製品岸壁)
→  世界遺産眺望スペース → 東田第一高炉  → 昼食 → 河内貯水池 → 堀 川
遠賀川水源地ポンプ室 
=== 都市高速 (引野IC→小倉駅北IC) ===  16:30頃 JR小倉駅解散


車窓から世界遺産見学
  
日本の近代製鉄発祥の地、そして日本の産業近代化の礎を築いた場所

安田工業
  
 世界をリードする洋釘づくりのパイオニア、工場建屋は辰野金吾が設計

八幡泊地
  
寒村な漁港から製鉄所の主要な港になり、様々な苦難を乗り越えてきた泊地

世界遺産眺望スペース(旧本事務所)
  
 1901年(明治34年)操業開始依頼、日本の産業近代化の歴史を見続けてきた旧本事務所

●東田第一高炉
  
 日本初の近代高炉が操業を開始した聖地、実際に稼働していた高炉設備がそのままの状態で
 保存されているのは世界でここだけ、世界的に貴重な遺産

河内貯水池
  
8年の歳月をかけ多くの人達の手で創り上げた、自然と調和した土木遺産、ユネスコの審査員が
この地を訪れ、世界遺産登録の決定的な引き金となった遺産
 
堀 川
  
 遠賀川と洞海湾を結び、筑豊の石炭輸送で、日本の産業近代化に大きく貢献

●遠賀川水源地ポンプ室
    
1910年操業依頼、今でも現役で働き続けている世界遺産