Japan KYUSHU Tourist  ジャパン九州ツーリスト株式会社

We are the Specialist of Kyushu travel in Japan for the customers from all over the World

北九州のお客様の団体旅行と日本を訪れる世界中のお客様の旅行の専門会社です

TEL 093-521-8897
FAX 093-521-8898
E-mail

Kyushu Travel Guide in Japan

世界遺産物語 第4話 / 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる

世界遺産物語 第話 / 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
 
1914年に勃発し、1918年にドイツの敗北をもって集結した第一次世界大戦は、それまで
日露戦争の反動不況に悩んでいたわが国に未曾有の「大戦景気」をもたらした。
そして、鉄鋼需要産業である、金属・化学・造船・機械等の重工業や電力業の伸びが飛躍的に
加速した。
鉄鋼需要の70%を輸入に頼っていたわが国は、第一次世界大戦により各国が輸出禁止措置を
とることによって、空前の「鉄餓死」に見舞われた。
そこで、八幡製鐵所の第三拡張計画を行うことになる。
 
第三期拡張計画(1917年〜1927年)
第二期拡張計画で年産能力35万トンとなったが、これを65万トンに一気に倍増する計画、
予算は3,450万円で1917年から拡張した。
  
主な設備
東田第5高炉、東田第6高炉、黒田式コークス炉新設(2基)、第2製鋼工場拡張
坩堝鋼工場拡張、鍛鋼工場及びバネ鋼工場拡張、珪素鋼板工場、薄板及びブリキ工場新設
ドロマイト工場新設、発電所及び変電所新設、岸壁整備、河内貯水池
 
本事務所移転
  
      初代本事務所           2代目本事務所
1899年に建設された本事務所は、製鉄所拡張に伴い手狭となり、1922年に2代目に
本事務所に移設された。
 
八幡製鐵所周辺の主な歩み
  
     小倉製鋼所        アインシュタイン来日      戸畑市役所
・1
917年 八幡市誕生、東洋陶器(TOTOの前身)創業
神戸製鋼所門司工場(神鋼メタルプロダクツの前身)
・1918年 小倉製鋼所(住友金属工業、新日鐵住金の前身)創業、黒崎窯業(クロサキハリマの前身)
       山九運輸(山九の前身)創業、鈴木商店日本冶金(東邦金属の前身)創業
       明治紡績創業
・1919年 桑木あやお(明治専門学校教授)日本人で初めてアインシュタインに会い
相対性理論を日本に広める
戸畑競馬場が三萩野へ移る
・1921年 門司港 欧州航路と上海航路を開設
・1922年 アインシュタインが来日し講演活動を行う、門司に宿泊、中原海水浴場開設
・1923年 関東大震災 約105,000人が犠牲
・1924年 戸畑市が誕生
・1927年 門司西海岸の大規模港湾が完成


ー世界遺産物語の目次ー
第一篇 古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第5話 / 河内貯水池物語

世界遺産物語 第5話 / 河内貯水池物語
  世界遺産登録の引き金となった土木遺産
そして裏側に秘められた物語!
   

河内貯水池は、八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として
1919年(大正8年)に竣工し、8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で1927年(昭和2年)に
完成した。
   
その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳
当時は東洋最大級のダムで、
「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を
注いだ大事業。

この美しい景観の裏側に秘められた「愛と悲しみ、そして情熱」河内貯水池物語
紹介します。

 


水戸藩の沼田家
1875年(明治8年)、水戸藩に代々仕えた武家の家系で生まれた。
沼田家は尊王攘夷派/天狗党結成の発起人の一人である伯父沼田順次郎、
藩幹部の筆頭書記官で祖父沼田久次郎を持ち、そして祖父とともに「大発勢」と呼ばれる
討伐隊に加わり、明治維新後は教育者の道を歩んだ沼田順三郎の長男として生まれた。
 
青年時代
1894年(明治24年)旧制第一高等中学に入学、そして新たに新設された京都帝国大学に
1897年(明治30年)に入学し土木技術や鉄筋コンクリート技術学び、更に水道施設や
琵琶湖疏水などの技術にも関心を持っていたと言われている。
 
官営八幡製鐵所に入社
1900年(明治33年)に京都帝国大学を第一回生として卒業、当時建設中だった
官営八幡製鐵所に土木技師として入社した。
    
1901
年(明治34年)に東田第一高炉に火が入り、日本で初めての銑鋼一貫製鐵所が
操業を開始する。
 
1902年(明治35年)に技師を命じられ、1911年(明治44年)に修築科長となり、
1915
年(大正4年)にはアメリカとイギリスに出張した。
  
手がけた工事は繋船壁築造工事に始まり、40万坪の洞岡埋築、くろがね線建設そして
河内貯水池や養福寺貯水池建設といずれも当時の日本で最大級の土木工事ばかりである。
 
最初の挫折
1916年(大正5年)に竣工した下大谷貯水池が、わずか1ヶ月余りの後に豪雨で脆くも決壊し、
製鉄所や付近の住宅地域に多大な被害を及ぼし住民
1名の尊い命を奪う大惨事を引き起こした。
事故の原因は堰堤の強度不足であった。事故により尊い命が犠牲になったことが大きな
心の痛手となり、その後この教訓から、建設現場を自らの足で歩き自分の目で確認する
現場第一主義の仕事スタイルを育んでゆく。
 
渾身の大事業、河内貯水池 「土木は悠久の記念碑」
製鉄所第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として1919年(大正8年)に竣工し、
8年の歳月をかけて1927年(昭和2年)に完成した。
当時は東洋最大級のダムで、「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく
英知と情熱を注いていく。

かつての河内地域は、八幡製鐵所から南10㎞ほど谷あいの31戸が暮らす
自然豊かで平穏な農村、また都市の児童の山村留学も受入れている教育先進地域

    
その人達に立退きを快く応じてもらい、当時西日本最大の大事業が始まる。

ダムには当時最新の土木技術をふんだんに用い、一方で現場の石材や自社鋼材を
用いた独自の設計で土木構造物への新しい挑戦をした。
更に環境にも優しい工法を積極的に採用し将来市民の憩いの場所をすべく、
橋から取水塔、管理事務所に至るまで欧米風の洒落たデザインを凝らした。

  
このことは、先祖代々の土地と故郷の美しい自然を提供し、建設に協力を惜しまぬ
村人へ何としても恩返しでもあった。
安全管理でも最新の配慮がなされ、当時の西日本最大級の難工事にも関わらず8年の
建設期間中1名の死者も出さなかった。
80年経過した今でも給水の本来の機能を果たしながら、憩いの場として多くの人達に
親しまれている。

独特の英知を凝らして作った堰 ヨーロッパの古城をイメージ
当時コンクリートは高価の為、粗石を混ぜて使用、銅板を内部に入れた伸縮継手で
亀裂を防止した。
  

工事段階での型枠代わりに石壁をつくり、ダム完成の耐久性を確保。
  

使用した切石は12万個、加工時発生した小さな石も、付帯建築物に張付けて
美観に優れたダムを作り上げた。

悲しみを乗り越えて

河内貯水池建設中、沼田尚徳は現場では明るく振る舞っていたが、数々の悲しみを心に
押し潜めていた。
山の神はこの大事業と引き換えにかけがえのない家族を貢ように強いていたようでもあった。
父そして5人の子供を次々と亡くした。そんな中明るく支えてくれたのが妻泰子。
しかし、最愛の妻もダムの完成を待たずして猩紅熱でこの世を去ってしまった。

  

その後母も亡くなり、家族をダムが人柱として飲み込んでしまったような悲劇であった。

河内貯水池完成の翌年に、白山宮の参道に隣接した土地を自費で購入し、
妻泰子への感謝と哀悼の想いをこめて妻恋の碑を建てた。
  

碑の両面には、漢文と英文でその思いが刻まれている。
  
     漢 文(河内貯水池側)          英 文(神社側)
【漢文】

愛する妻の魂はどこにあるのか。麗しきあの人と今は世を隔て、
素晴らしき日々は夢に帰してしまった。散り行く桜の前にたたずむと断腸の思い。
【英 文】
IN MY MEMORY OF MY LATE BELOVED WIFE MRS. YASUKO NUMATA 
THROUGH WHOSE SELF-SACRIFICE AND UNDER GOD’S BLESSING 
I HAVE ENABLED TO CONSTRACT KAWACHI WATER WORKS.
 
【企業利益より社会貢献 沼田尚徳の美学】
実直でロマンティストの沼田尚徳は、営利栄達にはあまり縁がなかった。これほどの大事業を成功させ、
製鉄所と八幡市の発展の礎を築いき、勲三等瑞宝章まで授与され、製鉄所では土木部長でありながら
製鉄所長官に次ぐ処遇を受けていた。
にも関わらず、1930年(昭和5年)に55歳の誕生日を待たずして静かに勇退した。
その後、八幡、戸畑、若松市の委託として三市の上水道整備を指導し多大な貢献をし、
日本最大の軍事工場であった小倉陸軍造兵廠の土木関連業務も手がけたが、
1934年(昭和9年)に全ての職を辞し田舎に陰棲した。
 
遠 想
河内貯水池の堰堤を見下ろす小高い場所にヨーロッパの古城を模したと言われる管理事務所が建っている。
その出入り口に沼田尚徳の「遠想」の言葉を刻み込んだ石の掲額が残されている。

ここから河内貯水池を静かに見下ろしながら、遠く未来の想いを馳せているに違いない。
その未来の姿はどのようなものであったのであろうか。それは百年経った今でも人々の
潤し続ける河内貯水池の姿、そして彼が残した礎の上にいつまでも成長を続ける
日本の未来だったのではなかろうか。
 
本投稿は、西日本ペットボトルリサイクルの千々木亨氏の論文 鉄都に生きる男たちから
引用させてもらいました。


ー世界遺産物語の目次ー
第一篇 古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第6話 / くろがね線物語

世界遺産物語 第6話 / くろがね線物語
  戸畑と八幡を結八幡製鐵所の専用鉄道

八幡製鐵所は、戸畑で操業していた東洋製鐵と1921年に合併した当時から、戸畑地区で生成する
熔銑を船舶で八幡へと輸送していたが、海上輸送のリスクと不経済性が指摘されていた。

 溶銑の運搬(船への積み込み)
一方八幡地区では、高炉の溶銑をつくるときの副産物である鉱滓(スラグ)の処理が問題化していた。
これらの打開策として建設されたのが、戸畑地区と八幡地区を鉄道で結ぶくろがね線

くろがね線概要
・八幡地区と戸畑地区を結ぶ、全長6kmの鉄道
・宮田山トンネル:1180m
・レール幅:1067mm(旧国鉄/JR在来線と同じ)
・設計者:河内貯水池建設の総指揮である沼田尚徳
・工期:1927
年(昭和2年)起工し、1930年(昭和5年)に完成した。

その工事は全て製鉄所の社員で行っており、中間地点に当たる宮田山トンネルは
出水等に見舞われて難工事だった。

また、宮田山トンネルの洞門は沼田尚徳によって、凝った意匠が施されている。
  
        戸畑側                   八幡側
・戸畑側入口はローマの古い城壁をかたどったデザイン。
・八幡側入口はギリシャ・ローマの古典を倣ったルネッサンス風

使用目的
開業当初は戸畑で出来た銑鉄を八幡に輸送し精錬した、一方で八幡で出来た鉱滓を戸畑に
輸送し戸畑地区拡張のための埋立に使われた。
現在では、半製品のスラブ、ホットコイルやレール等の輸送に使われています。

くろがね線の様子

  
一枝地区から宮田山トンネルへ        宮田山トンネル戸畑側入口

  
  宮田山トンネル八幡側入口         トンネルを抜けて八幡へ

  
             枝光の県道を渡る架構

  
           今は珍しい、リベット継手の架構 (枝光)

 

琵琶湖疏水の山トンネル東口にも似ている八幡側洞門
    
      くろがね線 八幡側洞門      琵琶湖疏水 山トンネル東口
このことは、設計者沼田尚徳琵琶湖疏水の設計者の田辺朔郎の著書の愛読者で、
学生時代に良く目にした琵琶湖疏水を参考にしたのではないだろうか。



ー世界遺産物語の目次ー
第一篇 古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第7話 / 高見神社物語

世界遺産物語 第7話 / 高見神社物語
  明治神宮の兄貴分となる高見神社
高見神社の由来は3世紀の時代に遡る。神功皇后が仲哀天皇を崩御の後、熊襲・朝鮮平定に
あたり、皇后みずから御祖神十二柱を祀ったのが創始といわれ、近郷高見神社の本宮でもある。
創始時代は洞海湾岸の大字尾倉字高見(現在のスペースワールド西側)の小高い丘陵、
高見山と呼ばれる場所にあった。
 
高見神社の移設
1897年(明治30年)に八幡村に官営製鐵所を建設することが決まった。
高見山に長官・技監を筆頭とする高等官の官舎や貯水池を設置することになったため、
高見神社は移設を余儀なくされ、製鉄所建設時に豊山八幡宮(千草ホテルの近く)に
仮住まいすることになった。
 

操業開始から
5年後の1906年(明治39年)に第一次拡張計画が議会で承認されると、高見山に
建設された高等官の官舎も、構外に移ることになった。
現在地の大蔵槻田地区に高等官・判任官用の官舎と職工用の宿舎である職工長屋が建設された。
1911年(明治44年)ごろに、高等官用官舎2626戸、判任官用の官舎2958戸、
工長屋
2301100戸と今でいうニュータウンが開発された。

             当時の地図
山手側に建ち並んだ高等官・判任官用の官舎の一体を高見と呼び、構内からの地名を引き継いだ。
職工長屋の一帯は一条町~六条町と名付けられた。
 
高見神社の建設
官営八幡製鐵所が操業した当初から高見神社は製鐵所の守護神とされ、それに相応しい地に造営
したいという思いが製鐵所関係者の間に強くあった。
    
民間会社の日本製鐵となった1934年(昭和9年)時に新しい神社を造営することを決定し、
設計を内務省神社局の角南隆技師に依頼した。
角南技師は、春日造、住吉造、大島造、大社造といった古い時代感覚の模倣を一歩も出ない建築家に
不満を持っており、昭和に時代を象徴するような神社建築を後世に残したいという思いで、
新様式の神社設計に取かかった。
そして近代遺産の観点からも評価できる高見神社が
1936年(昭和11年)に完成し、
37
年の仮住まいを経て現在の地に永住の地を定めるとともに、
地域の神様の枠を超え、製鐵所の守護神へと大きく性格を変えていった。
 
明治神宮と高見神社は兄弟
角南隆技師は、1920年(大正9年)に完成した明治神宮の設計を伊藤忠太教授の助手として参画した。
その後高見神社の設計を行い
1936年(昭和11年)に完成させた。当時は明治神宮が高見神社の
兄貴分であった。
 
         明治神宮                     高見神社
明治神宮は、1945年(昭和20年)に戦災で焼失したため、再び角南隆技師設計し、角南流の新しい
社殿を
1958年(昭和33年)に完成させた。
そして、今度は高見神社が明治神宮の兄貴分となった。
高見神社と明治神宮の双方を参拝する機会があるときは、是非とも兄弟の類似性という観点からも
ご覧ください。

全国でも珍しい御祖神十九柱
神功皇后が創始された時は御祖神十二柱を祀られた。
その後、七柱が加えられ合計「十九柱」の御祖神が祀られおり、これほど多くの御祖神が祀られているのは全国的にも珍しい神社である。


ー世界遺産物語の目次ー
第一篇 古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張

・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第3話 / 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び

世界遺産物語 第話 / 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
 
日露戦争後に不況に転じるが、我国の産業構造は着実に変化していく。
政府は財政の引き締めを行いながらも軍事拡大に力をいれ、民間においても、鉄道・造船の
鉄鋼需要は大きく伸びるとともに、工場・道路・港湾等の整備のために鋼材消費も大量にのぼった。
1910年の鉄鋼需要は53万トン/年にのぼるが、国内の生産高はわずか17万トンであり、
その不足分は輸入に頼らざるをえない状況であった。
 
第二期拡張計画(1911年〜1916年)
鉄鋼の大幅不足に状況下で政府は、第二期拡張計画を立案し、東田第四高炉を中心とし、
製鋼・圧延部門の増強を図り、鋼材年産35万トンを目標とした。
投資総額1,615万円で1911年(明治44年)から6ヶ年計画で拡張した。
  
  コッパ-ス式コークス炉      第二製鋼工場            鉱滓煉瓦工場
【主な設備】
東田第四高炉:250トン/日、コッパース式コークス炉(自社製):120基、400トン/日
煉瓦工場拡張、第2製鋼工場新設、電気炉工場、第3分塊工場、第2中形工場、
第3小形工場、
第2厚板工場他
 
八幡製鉄所周辺の主な歩み
  
      鈴木商店              門司駅              若松市
・1911年 路面電車 門司〜黒崎開通、田村汽船漁業部(ニッスイの前身)創業
      出光商会(出光興産の前身)創業、戸畑鋳物(日立金属&日産の前身)創業
・1912年 日本鋼管創業
・1913年 タイタニック号沈没
       鈴木商店関連創業(帝国麦酒、大里硝子製造所、大里酒精製造所)
       旧松本邸(西日本工業倶楽部の前身)完成
・1914年 若松市誕生、第一次世界大戦開戦、門司駅が現門司港駅のところに移転
・1916年 大阪砲兵工廠が小倉兵器製造所となる


ー世界遺産物語の目次ー
第一篇 古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第2話 / 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける

世界遺産物語 第2話 / 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける

八幡製鐵所の建設時の生産能力は9万トン/年であったが、1901年の操業開始からトラブルの
連続で惨憺たる状況だった。そして野呂景義を中心とした原因究明と対策で1904年にやっと
軌道に乗った。
しかし時を同じにして1904年に日露戦争が始まり、兵器や弾薬不足で苦しむ。
 
日露戦争と鉄づくり
1904年に日露戦争が開戦された時の鉄の需要は26万トン/年に対して、大幅に供給量が少なく兵器や
弾薬不足に苦しんだ。そのため、他の目的に鉄を使用せず、武器弾薬の製造に集中した。
そして、1905年に戦争は終結したが、このような惨憺たる苦労が、その後の国防強化に
拍車をかけることになった。
 
日清戦争後の第一次拡張計画 (1906年〜1910年)
戦後、軍事需要とともに、造船、建築、橋梁用鋼材の民間需要も増え、1905年時点で鉄の需要が
45万トン/年に対して36万トン/年も不足し、大部分を輸入に頼らなければなかった。
そのため、1906年に第一次拡張計画を策定し、18万トン/年を目標に設備の拡張が行われた。

  
 高炉の拡張(東田1高炉〜3高炉)       コークス工場増設

1909年に東田第3高炉が火入れし、1910年までに混銑工場、線材工場、第二分塊工場、
第二小形工場、鉱滓煉瓦工場、コークス炉増設、ロール工場拡張など数多くの設備が
増強された。

  
      中央汽缶場              遠賀川水源地ポンプ室

設備増強に伴い、工業用水の使用料も大幅に増えため、遠賀川水源地ポンプ室世界遺産
も建設し、
1910年に稼働を開始した。
 
八幡製鐵所周辺の主な歩み(1899年~1910年)
・1899年 門司市誕生
・1900年 小倉市誕生
1901年 鉄道連絡船 門司~下関開通
1902年 九州電気軌道 門司〜黒崎開通、戸畑~小倉間の鉄道開通(戸畑駅開設)
1903年 横須賀、呉、佐世保の鎮守府を海軍工廠に変更
1904年 鈴木商店 大里製糖所創業
1905年 若松石炭協同組合事務所開設(石炭会館)、日本初の潜水艇が進水(横須賀)
1906年 東京製鋼 小倉工場創業
1907年 戸畑競馬が始まる
1908年 鹿児島本線が戸畑経由に変更、安田工業八幡工場創業、明治紡績&明治鉱業創業
1909年 日本初の戦艦「薩摩」が竣工、明治専門学校(後の九州工業大学)開設
1910年 筑豊石炭協同組合直方事務所開設、森田範次郎商店(後のシャボン玉石けん)創業


ー世界遺産物語の目次ー
第一篇 古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第6話 / 反射炉で始まった日本の鉄づくり

世界遺産物語 第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり

 

なぜ反射炉を造ったのか
ヨーロッパに対し300年も遅れていた日本の鉄づくりの技術では大型の洋式大砲を
製造することは困難であったが、外国の技術者を外国の技術者を招聘することの
叶わない時代でもあった。

   
 ヨーロッパの反射炉       ヒュゲンの技術書

そこで、佐賀藩の鍋島直正はオランダのヒュゲン著の技術書「ロイク国立製鉄大砲鋳造所に
おける鋳造法」
の翻訳を伊東玄朴に命じて大島高任達と完成させた。
鋳造の原理しか記載していない技術書を解読しながら反射炉の建設が始まる。
 
各地で建設された反射炉
1853年に佐賀藩が、江戸で反射炉試作を行った江川英龍の協力を得ながら築地反射炉
完成させ、日本で初めて銑鉄性の大砲を製造した。

  
      萩反射炉             韮山反射炉

同年に島原藩も現在の大分県宇佐に佐田反射炉を完成させ海防の強化を図った。
水戸藩では徳川斉昭が南部藩士の大島高任を招き、1854年に那珂湊反射炉を完成させた。
更に、1857年には那珂湊2号反射炉も完成させた。
萩藩は佐賀藩の技術を導入し、1854年に試験用の萩反射炉を建設するも、実用化はされなかった。
この反射炉は現存し、世界遺産に登録された。
薩摩藩も佐賀藩の協力を得て、1857年に集成館反射炉を完成させ、日本初の近代的な方法で
大量生産を行った。
江戸幕府は、江川英龍の指導の基で、当初下田に建設する予定であったが、ペリー艦隊の水兵
の侵入事件が起こり、1857年に韮山反射炉を完成させた。これも現存し世界遺産に登録された。
また、鳥取藩六尾反射炉を1857年に完成させた。
更に、江戸幕府は東京水道橋に滝野川反射炉を1864年に完成させる。
 
日本各地の反射炉で造られた大砲は、幕末には外国勢力への牽制や明治維新に入って
1868年に勃発した戊辰戦争で用いられたと言われている。
 
反射炉建設の背景と問題点
日本の反射炉の基となった「ロイク国立製鉄大砲鋳造所における鋳造法」は、
1783年にイギリスのH.コートが開発したパドル法の反射炉であった。
反射炉で鉄(鋼)をつくるには一回の作業に10時間以上を要し、得られる鋼は少ないため
大量生産に向いていなかった。
そのためヨーロッパでは次第に反射炉法が廃れ、連続的に大量生産できる高炉法に移行し、
高炉の技術が急速に発達していった。
しかし当時の日本では鉄づくりの技術も遅れていたため、古来の「たたら製鉄」みたいに砂鉄を
原料として、反射炉を使う方法を採用し、上述のように各地で多くの沢山建設された。
 
反射炉法から高炉法への移行
反射炉の欠点をいち早く見抜き、最初から高炉法の重要性に着目したのが、南部藩の大島高任
であった。

  
     大島高任           釜石の洋式高炉跡

最初大島は水戸藩徳川斉昭の依頼で、1854年に那珂湊反射炉を建設するが、
安定して鉄を大量に生産するためには高炉が必要だと、釜石において日本で最初の
洋式高炉建設に取り掛かる。
 
第7話は、舞台を釜石に移し、高炉による鉄づくりを紹介します。


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第5話 / 日本の産業革命の始まり

世界遺産物語 第5話 日本の産業革命の始まり
 
300年も遅れていた日本の鉄づくり
日本で初めて、佐賀藩で反射炉法による鉄づくりが行われた1853年当時は、
ヨーロッパに対して約300年以上も技術が遅れていた。
1490にはイギリスで高炉操業が始まり1543年には鋳鉄製大砲の生産を開始した。
そして、1709年にはコークスによる高炉操業に成功した。
1783にはパドル法反射炉が開発されたが、反射炉では高品質の鋼を効率的に
量産できなかった。 そのから、次第に高炉法による鉄づくりに移行していった。
そして日本で初めて反射炉で鉄づくりが始まった時は既に、高炉法によって
高品質の鉄を連続的に量産できる技術が発達していた。
 
日本の産業革命の始まり
鎖国政策で海外との交易をオランダと中国に限定していたが、次第に外国船が来航し、
日本との
交易を求めてきたが、幕府はそれを断り続けた。

            
     鍋島直正         技術書            反射炉

しかし、植民地化の危機が迫って来たため、日本各地で国防の機運が高まった。
そして、最初に行動を起こしたのが、長崎の警備を担当する佐賀藩鍋島直正で、
1847年に幕府に海防の必要性を献策するも、その提案は却下された。
そのため、佐賀藩は独自で動いた、それが大砲をつくるための反射炉をつくることであった。
しかし、上述のようにヨーロッパに対して300年も技術が遅れている日本が、外国の技術者を
招聘することの叶わない時代でもあった。
そこで、鍋島直正はオランダのヒュゲン著の技術書「ロイク国立製鉄大砲鋳造所における鋳造法」
の翻訳を伊東玄朴に命じて大島高任達と完成させた。
 
これが、日本が産業革命を行う第一歩であった。
今まで古来の「たたら製鉄」でしか鉄をつくったことのない日本が、原理しか記載していない
ヨーロッパの技術書を解読しながら、反射炉づくりを開始した。
 
第6話では、苦難の反射炉づくりを紹介します。


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる 
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第4話 / 幕末の日本に変化が起きる

世界遺産物語 第4話 幕末の日本に変化が起き始める
 
鎖国政策で海外との交易をオランダと中国に限定していたが、17世紀に入って
次第に外国船が来航し、日本との交易を求めてきた。

1647
年にポルトガル、1673年にはイギリスが国交回復のため来航、1894年には
長崎にロシアが来航するも幕府は断り続けた。

  

1824年には、水戸の大津浜に英国捕鯨船員が上陸する事件、1837年にはモリソン号事件
日本人漂流民を乗せたアメリカ商船が鹿児島湾と浦賀沖に現れ、日本が砲撃した。
1840年のアヘン戦争でイギリスが中国を占領した情報も入り、日本各地で海防強化の
気運が高まった。
1847年には長崎の警備を担当する佐賀藩の鍋島直正が幕府に海防の必要性を献策するも、
その提案は却下された。
そして、1853年には決定的な出来事である、アメリカのペリー率いる黒船が来航してきた。
 
植民地化の危機が迫る日本はどのように対応していくのか?
 
つづきは第5話で紹介します。


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第3話 / 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり

世界遺産物語 第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
 
豊臣秀吉の死後、1600年の関ヶ原に勝利した徳川家康は、1603年に江戸幕府を創設した。
そして1867年の大政奉還までの260年間の長きにわたって武家政権が続いた。
幕府は様々な施策を講じて長期政権の安泰を図る。

    

日本の植民地化を防ぐために、1612年にはキリシタン禁止令を発令した。
そして、鎖国政策をとり、外国との交易を制限する。
既に、豊臣秀吉が発令したバテレン追放令(ポルトガルとの交易を断絶)に続き、
1624年にスペインとの国交も断絶した。
1635年には長崎の出島でオランダと中国のみとの交易に限定した。
実際には、薩摩に支配されていた琉球王国での中国との交易や渡島半島の松前氏
による北方交易も行っていた。
 
そして、国内重視の政策をとり、武家諸法度をつくって幕府に反抗できないようにした。
更に、大型船の製造禁止参勤交代一国一城令手代普請など実施し
江戸幕府防衛を行っていき政権が安定してくる。
 
江戸時代初期・中期の鉄づくり
幕府の政策によって、世の中は落ち着き、城下町や都市の形成に伴って、
市民生活に必要な鉄の需要が高まった。


製鉄用のたたら炉の大型化、地下構造の充実が進み、輸送・流通事情も改善され、
鉄生産が中国地方に集約されるようになり、製鉄技術も進歩して行った。

第4話は幕末に舞台が移る。


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉