Japan KYUSHU Tourist  ジャパン九州ツーリスト株式会社

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Kyushu Travel Guide

旧百三十銀行八幡支店

赤と白のコントラストの外観には、赤煉瓦風の壁体で玄関や柱頭、窓周りに幾何学的模様を施し、

その部分を「流出し」で石造風に仕上げたモダンな雰囲気の建物です。

昭和62年に市指定有形文化財となりました。現在は貸ギャラリーとして使われています。


●竣工時期
  1915年(大正4年)

●構造
  鉄筋コンクリート造

●所在地
  八幡東区西本町1202

●見学情報
【入館料】無料

【開館時間】10001800

【休館日】年末年始

【駐車場】15


門司港駅

九州鉄道(現在のJR九州)は1891年に門司港と高瀬駅間で営業を開始しました。
これは九州で初の鉄道で、それから門司港は九州の玄関口として栄えました。

当初は“門司駅”として、今の駅舎の東側の北九州銀行の裏側に建設された。
その後、関門汽船の営業等に伴い、現在の場所に1914年に建設さて“門司港駅”となった。
イタリアのテルミノ駅をモデルにした、ネオルネッサンス様式の木造駅舎、
1988年に駅舎としては国の重要文化財に指定された。

     

建設から約100年経過した現在、駅舎の老朽化が進み、H24年9月29日から
H30年3月末まで改修工事を行います。
それに伴って、既存駅舎内と駅前広場は立入が制限されます。

      

『幸運の手水鉢』
トイレにある青銅製の手洗い器で、旧門司駅開設当時から、そのままの姿を保っています。戦時中の貴金属供出から免れたことから、幸運の手水鉢と呼ばれています。

『旅立ちの鐘』
開業以来列車の出発時に「出発合図の鐘」として使用され、昭和には「安全の鐘」
として、お客さまの安全を見守った鐘。
時代は平成に移り、この鐘は「旅立ちの鐘」として、結婚・進学・就職などを期に、
鹿児島本線の起点である門司港駅から旅立っていくお客さまを見守るという
願いを込め、この場所に蘇りました。


赤煉瓦プレイス

明治45年(1912年)門司市の合資会社九州興業仲介所代表社員山田弥八郎らが、
当時隆盛を誇った神戸市の鈴木商店の援助を受け、大里町に工場用地を取得し、
帝国麦酒㈱を設立しました。

大正2年に帝国麦酒㈱工場が竣工し醸造を開始しまし、「サクラビール」を発表して、

ビール業界への参入を果たした。



以来、「桜麦酒」『大日本麦酒』「日本麦酒」「サッポロビール」と社名変更、合併、分割と
会社形態の変遷をたどりながらも北九州門司の産業を支え続けてきました。

平成12年(2000年)大分県日田市に新九州工場が竣工され、九州工場は閉鎖となり、

この地における87年間のビール製造の歴史に幕を閉じた。

その後、土地区画整理事業として基盤整備を行い、建物の保存し活用されています。

保存された建物群は平成19年(2007年)に国の登録有形文化財に登録されました。

また、平成21年(2009年)に、近代化産業遺産続33
33九州窯業北九州市の鉱滓煉瓦製造関連遺産)に、
門司麦酒煉瓦館・旧サッポロビール醸造棟・赤煉瓦交流館が認定されました。


【門司麦酒煉瓦館】

旧工場事務所を改装。ビールの歴史と門司麦酒工場・九州工場の沿革のほか、

ビールの製造や原材料・缶・ビンのリサイクルについての解説展示を行っています。

【赤煉瓦交流館】

旧倉庫棟を改装。赤煉瓦ホール及び会議室ABC4室と

レストラン「ARK」が設けられています。

【赤煉瓦写真館】

旧組合棟を改装。この建物のみ大正6年(1917年)の建築です。

旧サッポロビール醸造棟


     

旧大里製糖所 (関門製糖)

1904年(明治37年)、合名会社鈴木商店によって造られた大里精糖所の工場群。

199号線バイパスが造られる際、工場敷地を縦断する格好となったため、いくつかの建物が
壊されたのだが、工場に許可を得て入らなくてもその歴史ある重厚な雰囲気を享受できる。


1907
年(明治40年)大里精糖所は売却され、大日本製糖(株)門司工場となりました。

その後、西日本製糖(株)と社名が変わり、さらに2001年(平成13年)には日本甜菜製糖(株)と
大日本明治製糖(株)(大日本製糖(株)と明治製糖(株)の合併会社)の砂糖製造を行う
生産受託会社となり、社名が関門製糖(株)になりました。関門海峡を望む工場で砂糖を作り続けて
108年、いまも現役の赤煉瓦倉庫(建築年不詳)が歴史を伝えています。


●竣工時期
 1904年(明治37年)

●構造
 煉瓦造4階建他

●所在地
 門司区大里本町1-2-1

●建築主/設計者/施工業者

 鈴木商店/不詳/前田組


 

北九州の観光情報 / 東 田

1901年に官営八幡製鐵所として、日本の近代製鉄が発祥した場所です。
それ以来1972年まで日本の鉄鋼業の発展に大きく貢献して来た中心的場所です。


その後最新鋭の高炉が建設され、製鉄の中心が戸畑地区に移転しました。
それから、かつて製鉄の中心地であった広大な東田地区は、新たな未来のための再開発が進み、1990年にはスペースワールドが開業しました。
その後、SHINE構想で、東田地区を5つのテーマをもった博物館として、新しい観光地とする取組が行われました。
SHINEとは輝きを意味し、その頭文字がそれぞれのテーマとなっています。
SScience 科学HHistory 歴史IIndustry 産業NNature 自然EEnvironment 環境

現在、東田第一高炉が遺跡として保存されシンボル的存在となっています。
その周辺にスペースワールド、西日本最大の博物館である・いのちのたび博物館
更に産業や環境学べる、北九州イノベーションギャラリー環境ミュージアムなどの
施設が集まっています。

  

●学ぶ
 北九州イノベーションギャラリー環境ミュージアム東田第一高炉記念広場

●遊ぶ
 いのちのたび博物館スペースワールド

●ショッピング
 イオン

旧門司米穀倉庫 (福岡食糧事務所門司倉庫)

米の価格調整のために、全国で7か所に建設された国立米穀倉庫の一つ

 

門司が選ばれた理由は水陸交通の要衝であり、背後に北九州工業地帯という膨大な市場を
抱えていること。倉庫は、大正158月に起工して翌年10月に第一期五棟が竣工した。
翌年に第二期五棟も完成し、合計1万㎡の倉庫群は10万石(1,800t)の収容能力を持っていた。
門司築港(株)が鉄道省線と倉庫を結ぶ鉄道工事を行い、1.5kmの路線は昭和42月に運送を開始した。

 

 

●大きな切妻屋根の十棟

倉庫であるだけに特別の装飾がなされているわけではないが、一棟約1,000㎡の倉庫が約6.3m
間隔で十棟、鋸の歯のように軒を連ねる。けらば(切妻屋根で斜めの上部二辺の箇所)には
スクラッチタイル、三角の切妻部には小口タイルが張られ、そのデザインにアクセントを付している。
倉庫内部は、米穀貯蔵の除湿のために床は木煉瓦敷で、近代化された理想的な構造をもつものと
評価されている。

 

 

●米穀集散市場としての門司 

倉庫の年間保管積数は昭和58年頃まで50万t前後(ピークは昭和52年度の74万t)で、利用率は
90%を超えている。昭和58年から激減して15万t前後、利用率も20%を割るようになった。
取扱は外国産麦が入庫の大半を占めていたが、昭和40年代には1万t程度の国内米が主となった。

 

 

倉庫は平成63月で閉鎖となり、現在は使用していない。現在所管している福岡食糧事務所は、
平成14年に民間への売り払いを決めたが、保存・活用を求める北九州市に、この建物の再利用を
方法を委ねている。北九州フィルムコミッションの斡旋で、時折テレビドラマ・映画の撮影に使われている。


●竣工時期
 1927年(昭和2年)【1期工事】
 1928年(昭和3年)【2期工事】

●構造
 鉄筋コンクリート造瓦葺き平屋

●所在地
 門司区大久保2-10-1

●建築主/設計者/施工業者

 農林省/不詳/大林組


  

国際友好記念図書館

北九州市と中国・大連市の友好都市締結15周年を記念して作られたドイツ風の建物です。

現在は図書間として使われています。

アクセス
 JR門司港駅から徒歩5分
営 業
 9:00~18:00
電 話
 093-331-5446
入場料
 無 料

      

門司救護会日用品市場 (中央市場)

戦前は公設市場、戦後はヤミ市、そして今はかしわ・昆布・漬物・補正屋などの
めずらしい老舗専門店が並ぶ、昔懐かしい市場



北九州市内で1919年(大正8年)、門司救護会が老松町に日用品市場の設計を計画したことが端緒である。
現在の老松公園隣接地兵器廠跡を利用して物品、蔬菜、魚肉の三種の販売所を選定し開設した。
戦前期では門司最大の公設市場であった老松町公設市場は、開設直後から3倍に拡張され、
1921年(大正10年)には門司救護会解散とともに門司市に寄贈された。戦後に焼失していたものの
民間の手により復興し、以来門司市民の台所として今日まで親しまれている。市場の中は
昔の下町商店街という雰囲気をそのままに留め、開設から約90年を経て、市場は市民の生活の中に
溶け込んでいるようだ。


●竣工時期
 1919年(大正8

●構造
 木造平屋建

●所在地
 門司区老松町1-18

●建築主/設計者/施工業者

 門司救護会/不詳/不詳


門司港レトロ展望室

日本を代表する建築家 黒川紀章氏が設計した高層マンション「門司港レトロハイマート」の
最上階(31階)にあります。
高さが103mで、門司港レトロ、関門橋そして更には関門海峡の対岸の下関まで素晴らしい景色が
望めます。
この展望台は午後10時まで使えて、午後8時になると門司港レトロ地区がライトアップされ、そこは
ロマンティックなデートスポットとなっています。

アクセス
 JR門司港駅から徒歩10分
営 業
 9:00~22:00
電 話
 093-331-3103
入場料
 大人・高校生:300円、小・中高生:150円

Samurai

Japanese Culture

Samurai were warriors who devoted themselves to feudal lords.
 
They were similar to European knights.
They wore their hair in topknots and carried swords.

Samurai first appeared around the 10th century when regional leaders, 
recruited groups of men to protect their property.


       

Over time academic study and the learning of martial arts become important 
parts of samurai tradition.


In the middle of the Edo (1603 – 1867), the economy worsened, and many 
samurai become poor.

They were forced to seek second jobs such as making umbrellas. 
But they were still very proud of being samurai.