新原・奴山古墳群
海を越えた交流の担い手として沖ノ島祭祀を行い、信仰の伝統を育んだ古代豪族宗像氏の
墳墓群です。 宗像氏は、5〜6世紀にかけて、入海に面し沖ノ島へと続く海を一望する台地上
に墳墓群を築きました。前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しています。
大型の前方後円墳(22号墳)や中型の前方後円墳(1号墳)は五世紀、中型の前方後円墳
(12・24・30号墳)は6世紀前半〜中頃、小型の円墳群(34〜43号墳)は6世紀後半に
築かれました。また、入海に突き出た位置に5世紀に築かれた7号墳は、宗像地域では珍しい
方墳で、沖ノ島祭祀と共通する鉄斧が発見されました。これらは良好な状態で現在まで
伝えられてきました。
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前方後円墳など古墳の形や、古墳の周囲をめぐる溝などもかつての姿を留めており、
散策しながら古墳群を楽しむことができます。
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宮地嶽神社
創建は約1700年前と古く、主祭神は「神功皇后」です。古事記や日本書記によれば、
神功皇后が渡韓の際に宮地嶽の山頂から開運を祈ったとされ、以来、「何事にも打ち勝つ開運の神」
として長い間信仰されてきました。
3つの日本一がある神社で、重さ5トンの大注連縄、大鈴と大太鼓があります。
日本一の大注連縄の本殿
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光の道
参道の先にある相島に夕陽が沈み、光り輝く道となる「光の道」の神社としても
知られています。1年のうち、2月と10月だけ出会える感動的な光景です。
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日本一の大鈴と大太鼓
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奥の院
それぞれ違うご利益のある8つの神社を巡ります。
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宮地嶽神社参道
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福津の魅力再発見
福岡県の北西部に位置し、福岡市と北九州市のほぼ中間に位置する、人口約6万5千人の
都市です。東部から南部にかけては許斐山・本木山・飯盛山などに、北西部は玄界灘に
囲まれている、海岸は玄海国定公園にも指定されており、風光明媚な土地です。
創建は約1700年前と古く、主祭神は「神功皇后」です。古事記や日本書記によれば、
神功皇后が渡韓の際に宮地嶽の山頂から開運を祈ったとされ、以来、「何事にも打ち勝つ開運の神」
として長い間信仰されてきました。
3つの日本一がある神社で、重さ5トンの大注連縄、大鈴と大太鼓があります。
また参道の先にある相島に夕陽が沈み、光り輝く道となる「光の道」の神社としても
知られています。1年のうち、2月と10月だけ出会える感動的な光景です。
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宮地嶽神社参道
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海を越えた交流の担い手として沖ノ島祭祀を行い、信仰の伝統を育んだ古代豪族宗像氏の
墳墓群です。 宗像氏は、5〜6世紀にかけて、入海に面し沖ノ島へと続く海を一望する台地上
に墳墓群を築きました。前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しています。
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福間海岸
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宗像&福津の地図