Japan KYUSHU Tourist  ジャパン九州ツーリスト株式会社

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北九州市内ツアー / 北九州の近代の歴史を学ぶ旅

お客様の団体のための、北九州発着のオーダーメイドバスツアーです。

北九州の知られざる魅力を紹介するツアーで、自治会、婦人会、老人クラブや同窓会などの

団体で旅行を楽しみませんか。また北九州市民のシビックプライド醸成にも役立つツアーです。

更に、小学校、中学校や高校の修学旅行や大学の研修ツアーにもご利用ください。

 


 

ツアーのポイント

世界中の人々がコロナ禍で苦労しているなか、北九州の歴史をみれば

明るい未来に向けた多くのヒントやメッセージがあります。

1889年に門司港が特別輸出港に指定されてから北九州の近代の歴史、すなわち日本の

産業近代化の歴史が始まります。そして1901年に日本の近代製鉄がこの地で産声を上げ

多くの産業がこの地で生まれ日本の産業近代化に大きく貢献したところです

戦争と共に発展した日本の近代化原爆の投下の候補地だった小倉公害を経験したところ

そして現在は環境未来都市で更にはSDGs 未来都市。 

世界一の工業立国となった、日本の近代歴史の縮図がここにあります

このツアーで北九州の歴史を知って、新しい未来のことをみんなで考えましょう。

 

ツアーガイド:ジャパン九州ツーリスト㈱ 近藤

 


 

行 程

9:00 北九州市のご指定の場所出発

めかり第二展望台

門司港

大里 (車窓から)日本の産業近代化に貢献した鈴木商店を紹介

若松南海岸

・小倉リーセントホテルで昼食

勝山公園 & 小倉城

八幡泊地

世界遺産 / 旧本事務所

東田第一高炉

小伊藤山公園(車窓から)

河内貯水池

17:00頃  北九州市のご指定の場所解散

 


 

旅の見どころ

 

めかり第二展望台

北九州の絶景スポットの一つで、瀬戸内海国立公園の西側の起点です。

本州と九州に連なる山々、その間を湾曲し川のように流れる関門海峡、行き交う船の数々。

関門海峡を一望できる展望台からは、門司港市街から下関市街までの大パノラマが広がります。

日中はもちろん、ライトアップした関門橋や市街地の灯りが彩る夜景も格別です。

また道沿いには、有田焼のレリーフで源平壇之浦合戦の模様を描いた壁画があります。

   関門橋

   門司港レトロ

 

有田焼で描いた源平壇之浦合戦


 

門司港

門司港が1889年に大陸貿易の拠点として特別輸出港に指定され、この地に多くの産業が生まれ、

ここから日本の産業近代化が始まりました。また、ノーベル物理学賞受賞のアインシュタインが

1922年に初めて来日して、門司港に滞在しその時に ❝見るもの全てが芸術作品❞と門司港を

絶賛しました。2017年(平成29年)には、門司港レトロを含む関門海峡が

”関門”ノスタルジック海峡として日本遺産に登録されました。


 

日本の産業近代化に貢献した鈴木商店

門司港が1889年(明治22年)に国の特別貿易港に指定されると、実業家や貿易商が

こぞってこの地を目指し、三井や三菱などの財閥もこの地に進出を図ります。

門司港が繁栄していく中、わずか数キロ先の門司・大里地区に神戸の貿易商「鈴木商店」

が目を付けて進出してきました。そして、帝国麦酒(サッポロビール)をはじめ、多くの

企業を立上げ、日本の産業近代化に大きく貢献してきました。

 


 

若松南海岸

明治時代の初めまでは、普通の漁村にすぎませんでしたが、日本の工業の発展とともに、

石炭の需要が増えていき、石炭の積み出し港として発展していきました。

1898年(明治31年)には若松港が開港し、石炭がどんどんと鉄道を使って若松港に集められ

全国に送っていき、“石炭の町、若松”として日本中に知られていきます。

その当時に立てられた建築物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に

沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも美しい地域です。


 

勝山公園

小倉城を中心として広がる公園で、紫川と一体となった都心部の憩いの場として、多くの市民に

親しまれています。勝山公園は小倉陸軍造兵廠敷地の一部で、1945年(昭和20年)8月9日の

原爆投下の目標とされました。しかし、8月8日の八幡大空襲の煙と八幡製鐵所でコールタールを

燃やして黒い煙幕を上げたため造兵廠の位置が確認できず、急遽変更し長崎に原爆が投下され

ました。そのような歴史的経緯から、公園内に「長崎の鐘」が設置され、毎年8月9日の長崎原爆の

日には北九州市民による慰霊祭が行われています。


 

八幡泊地

日本の近代製鉄の歴史はここから始まった場所です。八幡製鐵所がこの地に建設され、

製品積出しに頻繁に利用され、日本産業の最前線を担ってきました。


 

世界遺産 / 旧本事務所

1897年(明治30年)に八幡の地に近代製鉄所を建設することが決定されてから、わずか4年で

製鉄所を完成させました。その製鉄所の指令を行うところが本事務所。外側が赤煉瓦のモダンな

建物です。1901年(明治34年)に製鉄所が創業し、富国強兵の基製鉄所が次々と拡張しました。

そのため、本事務所は手狭になり、その機能は1922年には新しい2代目の本事務所(枝光)に

移りました。その後、初代の本事務所は製鉄製品の研究所や、様々な目的で使用されました。

そして、現在まで日本の産業近代化の歴史を見続けて来た本事務所です。


 

東田第一高炉

ものづくりの息吹を感じる日本の産業近代化の聖地です。世界でここだけ 高炉設備一式が

完全な形で保存されているところ! 1901年(明治34年)日本の近代製鉄がここで生まれました。

多くの人々の手によって日本の産業近代化の礎がここで築かれた。そして、日本の産業発展の道程、

先人たちの功績を後世に伝えるべく1972年(昭和47年)まで操業を続けた10代目の東田第一高炉が

保存されています。


 

小伊藤山公園

1945年(昭和20年)8月8日の八幡大空襲。大量の焼夷弾を投下され、約2500人の人たちの

大切な命が奪われました。その惨劇の象徴とされるのが今のJR八幡駅近くにあった小高い丘の

「小伊藤山」。内部に掘られた横穴防空壕に逃げた大勢の人は煙に包まれ、窒息などで約300人の

犠牲者が出たとされています。その霊を慰めるため、1952年(昭和27年)に小伊藤山公園に

慰霊塔が建てられました。1953年(昭和28年)には、八幡の戦後復興と世界の平和を祈念して、

復興平和記念像が設置されました。


 

河内貯水池

八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として1919年(大正8年)に竣工し、
8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で1927年(昭和2年)に完成しました。
その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、「土木は悠久の記念碑」という
ヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を注いだ大事業です。
河内貯水池は近代化産業遺産としての価値だけでなく、北九州のエコの原点や未来を見据えた
SDGsの取組みを学ぶことの出来るところです。


 

旅行代金

お客様の人数、発着場所、食事の内容や訪問する観光施設等の旅行条件に従い

パッケージとして見積致します。

 


 

北九州の地図

 


 

お問合せ・お申込先 

ジャパン九州ツーリスト株式会社

福岡県知事登録旅行業 第3-688号

電話 093-521-8897   FAX 093-521-8898

Email info@japan-kyushu-tourist.com
〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階

 


 

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