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洞海湾
2015/09/27
Blog洞海湾から見た北九州 洞海湾から見た北九州市をクルージングルートに沿って紹介します。 クルージングに使用する船 第18若戸丸 (38総トン、全長16・3m、幅6m、定員140名) 1)若松北海岸 若松港を出発し、若戸大橋の下を通過すると、左側に若松そして右側が戸畑。 右を見える、新日鐵住金の製品岸壁を通過し、進路をやや右に撮ると関門海峡が目の前に拡がる。 ①若松側 ルーツは戸畑の日立金属(日産と同じ) 石炭からコークスをつくる日本コークス 軍艦防波堤の奥に拡がるエコタウン 太平洋戦争時使われていた軍艦 ②戸畑側 新日鐵住金 雨の日でも使える製品岸壁 高炉周りの全景 鋼をつくる製鋼工場 今年改修工事を行った戸畑第4高炉 ここで発電もしています こんな船も通ります(スパイラル鋼管) 2)奥洞海 戸畑・八幡側 ルートマップ ニッスイパイオニア館 戸畑から望む皿倉山 洞海湾の水先案内人 都島展望台 八幡港の向こうにスペースワールド 昔は離島だった葛島 この緑地の裏側は八幡製鉄所 岩場で楽しむ野鳥達 黒崎城があった城山 三本煙突が目印 三菱化学 幻想的な化学プラントの工場 皿倉山をバックに見る化学プラントの工場群 三菱マテリアル 3)奥洞海 若松側 渡船乗り場 上野海運ビル 旧古河鉱業ビル 石炭会館 ごんぞう小屋 久岐の浜 二島工業団地 二島工業団地 スクラップから鉄鋼製品を作る東京製鉄 4)東 田 皿倉山をバックにした東田地区 東田第一高炉 出荷岸壁 堂山製品岸壁(近代化産業遺産) スペースワールド 【洞海湾クルージングのご案内】 弊社では、人数が20名以上のお客様のご要望に応じて、洞海湾クルージングの企画とガイドを 実施しております。 また洞海湾クルージングと近代化産業遺産と組合せしたツアーも実施しておりますので お申し付け下さい。 お問合せ (日本語又は英語で対応します) ジャパン九州ツーリスト(株) 福岡県知事登録旅行業 第3-688号 電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898 Email info@japan-kyushu-tourist.com 〒802-0001 福岡県北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階 【関連リンク】 ・近代化産業遺産 in 北九州 ・近代化産業遺産 製鉄編 ・北九州の産業観光ツアー ・女子大生が企画 北九州の魅力再発見ツアー【世界遺産編】 ・近代化産業遺産ツアー 製鉄編 ・近代化産業遺産ツアー 炭坑編 ・洞海湾 夜景クルーズ ・洞海湾 クルーズ ・皿倉山から見た北九州 ・皿倉山の夜景
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近代製鉄発祥の地/東 田
2015/09/27
Blog日本の産業はここから始り、そして未来のまちづくりもここから! 東田地区の今日までの歩み 1896年(明治29年)に国会で製鐵所設置が承認され、数ある候補地の中から八幡に 決定されました。 そして、1901年(明治34年)に八幡東田の地で官営八幡製鐵所が産声を上げ、 日本の本格的な産業の歴史の幕が開きました。 1972年(昭和47年)に東田第一高炉が休止するまでの東田地区はものづくりの中心地として 貢献してきた。 高度経済成長後、生産効率向上や物流革新のため、主要製鉄設備が海沿いの戸畑地区に 新設され、この広大な120ヘクタールの場所が遊休地となった。 新日鐵は北九州市ルネッサンス構想に基づく基盤整備に1994年(平成6年)に着手し、 道路や電気、水道、ガスなどを整備して企業誘致の基盤を整えた。 次の転機が、平成13年(2001年)の「北九州博覧祭2001」で、近代産業の発展と環境問題の 克服を経験した北九州市は「環境」博覧祭の主要テーマに揚げました。 それを機に東田地区の開発発展に「環境共生」を主要コンセプトにして、2003年に 「世界の環境都市」を目指す街づくりの基本構想となる「八幡東田グリーンビレッジ構想」を 策定し、2008年(平成21年)には「環境モデル都市」に認定されました。 新たな街づくりの「パークコンプレックスシティ構想」では、職・住・学・遊が融合した進化した コンプレックスシティを目指して、情報産業を中心にした企業集積するエリアやマンション などの居住エリア、商業施設エリアなど、120ヘクタールの土地をゾーンに分けて、 それぞれの目的に応じた街づくりに取り組みなした。 ゾーンを決める際に新たに設置されたのが、新駅(スペースワールド駅)や都市高速道路などの アクセスはもちろん、開発エリアと周辺街区との調和を考慮しました。 例えば、両エリアを分断していたJR鹿児島本線の線路を移設・直線化し物理的にも開かれた 場所を生み出しました。 平成15年(2003年)には環境共生と低炭素型都市を目指す産官学民が協働した 「八幡東田グリーンビレッジ構想」がスタートしました。 この取組を支えるのがエネルギーの地産地消で、隣接する製鐵所のエネルギー基盤を活用し、 LNGによる電力供給をスタート(東田コジェネ)、電力は東田地区で利用し、蒸気熱は製鐵所で 再利用することで低炭素・効率的なエネルギー利用を実現しました。 又、日本初の試みとして、店舗・住宅・集客施設などにパイプラインを設置し、製鐵所で発生する 水素を供給し、エコファーム用の燃料として供給するほか、燃料電池車の水素ステーションにも 設置しました。 更に太陽光発電も将来的に設置し、電力・排熱・蒸気・水素などの様々な副産物の再利用を含め、 トータルマネージメントを発揮し、一般地域に比べて約30%のCO2削減を達成しています。 【関連リンク】 ・近代化産業遺産 in 北九州 ・近代化産業遺産 製鉄編 ・北九州の産業観光ツアー ・女子大生が企画 北九州の魅力再発見ツアー【世界遺産編】 ・近代化産業遺産ツアー 製鉄編 ・近代化産業遺産ツアー 炭坑編 ・洞海湾 夜景クルーズ ・洞海湾 クルーズ ・皿倉山から見た北九州 ・皿倉山の夜景
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旧本事務所 世界遺産
2015/09/29
Blog近代化産業遺産 製鉄編 日本の近代化製鉄を担ってきた明治の遺産/旧本事務所 八幡製鉄所の創業2年前に建設された日本と西欧の建築様式を併せ持った建物。 建物内には、長官室、顧問技師室、外国人技師室などがあり、製鉄所の重要な施設でした。 1922(大正11)年までは、本事務所として使用されていましたが、その後、研究所や 検査部門などに利用されました。 ●竣工時期 1899年(明治32年) ●構造 煉瓦造二階建て ●所在地 八幡東区大字尾倉
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高 炉
2015/09/29
Blog高炉は鉄鉱石から 「銑鉄」をつくる設備です。 工場見学で案内する戸畑第4高炉を紹介します。 2014年に改修工事が行われ、新しく生まれ変わった高炉です。 内容積が5,000m3で1日に10,000トン以上の銑鉄を製造することができます。 工場見学 バスを降りたら、目の前にそびえる大きな高炉の全貌を見てもらいます。 それから、鋳床に上り、真赤に溶けた銑鉄が実際にでれ来る様子を見学してもらいます。 昼夜休みなく稼働し続ける、ダイナミックな工場を肌で感じてもらいます。 高炉とは 上部から鉄鉱石とコークスが交互に挿入されて、炉内に積まれ、 下にある羽口というところから、熱風炉で熱せられた熱風が吹き込まれます。 その温度は2200~2500℃にも達します。 炉内で鉄鉱石の酸素がコークスの燃焼で発生した一酸化炭素ガスと作用して 還元され、鉄分が底に沈殿します。 その鉄は、この過程で炭素を吸収するので「銑鉄」と呼ばれます。 つまり銑鉄は高炉で作られた鉄で、炭素を1.7%以上含んでいるため 硬くて脆く、強く叩いただけで割れてしまいます。 その銑鉄はトピードカーで製鋼工場に運ばれ、転炉に入れて酸素を吹き込み精錬作業が行われます。 写真は東田高炉記念広場に展示してある、トピードカーと転炉です。 銑鉄を製鋼工場に運ぶトピードカー 酸素を吹き込み精錬する転炉 新日鐵住金/八幡製鉄所工場見学
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北九州の観光情報 / 猿喰新田
2015/09/27
Blog江戸時代に襲った大飢饉から、人々を救うため、庄屋・石原宗祐が私財を投じ、 10年もの歳月をかけ、猿喰湾を埋め立てて作った猿喰新田。 それから、人々に受け継がれ、 今もなお、その田んぼで稲作が営まれています。 先人の偉業に触れる歴史遺産に触れたり、日本に原風景を楽しめる場所です。
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東田第一高炉
2015/09/28
Blog近代化産業遺産ツアー 東田第一高炉は日本の産業近代化の聖地 世界でここだけ 高炉設備一式が完全な状態で保存されているところ 1901年(明治34年)日本の近代製鉄がここで生まれた。 多くの人々の手によって日本の産業近代化の礎がここで築かれた。 そして、日本の産業発展の道程、先人たちの功績を後世に伝えるべく 1972年(昭和47年)まで操業を続けた10代目の東田第一高炉が、 実際使われていた状態で保全され、いまも当時の息づかいが感じ取れる。 まさにここは、日本の近代製鉄の聖地です。 更に、実際に使われていた高炉設備一式が写真のように完全な形で保存されているのは 世界ひろしと言えども唯一ここだけ。 装入装置 高炉本体 出銑口 鋳床 環状管 熱風炉 弁 類 除塵器 ●学びの宝庫 高炉設備が保存されているだけでなく、当時使われていた装置類や部品の展示 製鉄の歴史や人々の暮らしの歴史、公害克服の歴史に関する写真や展示物 更には、鉄作りを学ぶための写真や展示物が沢山あります。 ●学びのツアー企画と案内 そんな東田第一高炉は、小学生から中学・高校生、そして工業を専門に学ぶ大学生や あらゆる年代の人達に学びの材料を提供しているところです。 又、直接鉄鋼業に携わっている専門家の人達にとっても、貴重な学びの場です。 ジャパン九州ツーリスト株式会社では、長年世界各国の高炉建設に携わった 元製鐵マンが、皆様のご要望に応じたテーマで学びのツアーを企画し、案内しています。 【テーマの一例】 ・鉄の作り方 ・先人達の取組 ・日本の産業発展の歴史 ・公害克服の歴史 ・当時の製鉄設備技術 ・製鉄文化 ・日本のものづくり 先ずは、電話、Eメール又はFAXで気軽にお問合せください。 お問合せ (日本語又は英語で対応します) ジャパン九州ツーリスト(株) 福岡県知事登録旅行業 第3-688号 電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898 Email info@japan-kyushu-tourist.com 〒802-0001 福岡県北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階 ●遺産の裏側に隠された物語 日清戦争前の製鉄所建設構想、八幡製鐵所立地の経緯、建設の状況、そして1901年の 東田第一高炉火入れ時の苦難と今日の鉄鋼の技術的基礎がどのようにしてどのようにして 築かれたか? その物語を紹介します。 ・第1話 官営製鐵所がなぜ八幡に立地 ・第2話 日清戦争以前の製鉄所建設構想 ・第3話 製鐵所操業開始までの紆余曲折 ・第4話 八幡製鉄所創業の意義 ●東田第一高炉写真集 史跡広場内にある設備、装置、部品、掲載写真や展示物の一部を紹介します。 ●当時使われていた設備・装置・部品 炉内の羽口 トピードカー 転 炉 環状管煉瓦積 ●製鉄所建設の歴史 八幡村 芳賀村長 建設の様子 ●東田第一高炉の歴史 ●製鉄の礎を築いた先人達 安川敬一郎 野呂景義 沼田尚徳 田中熊吉 ●鉄づくりについて学ぶ 高炉の設備 鉄鉱石 石 炭 コークス ●八幡製鉄所に鋼材を使った代表的な建築物 国会議事堂 ワールドトレードセンター 関門橋、新幹線 北九州市庁舎 ●公害克服の歴史 ●活躍したオリンピック選手 昭和35年頃の大気汚染 現在の環境未来都市北九州 田中聡子 君原健二 ●鉄ってなんだろう ●この漢字読めるかな
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野呂景義 近代鉄鋼技術の父
2015/09/27
Blog近代鉄鋼技術の父 野呂景義 1854年名古屋橦木町生まれ、1882年東京大学採鉱冶金学科を卒業し、 1895年~1889年欧米に留学した。 それから野呂景義の製鉄所ストーリーが始まる。 わずか2年で閉鎖した官営釜石製鉄所 1880年(明治13年)官営釜石製鉄所が操業開始したが、 原料が近くに豊富に存在しないことや技術を全てイギリスから輸入したため、 わずか2年で閉鎖 釜石鉱山田中製鉄所が発足 その後1887年(明治20年)釜石鉱山田中製鉄所が発足し、操業を開始する。 1894年(明治27年)に野呂景義が顧問として迎えられ、日本初、コークス炉を利用した 銑鉄作りが成功した。 野呂が参画した製鉄事業調査会 1995年製鉄事業調査会は発足。 政府は野呂に一刻も早い製鉄所の実現を期待した。 野呂は、そうした性急な方針には反対であった。 「新しい製鉄所を立ち上げるには、釜石製鉄所の失敗の原因を徹底的に調査する必要がある」 成功は失敗から学ぶ。これが野呂の技術者としての信念であった。 足掛け2年釜石に通い、失敗の原因として ① 不十分な原料調査 ②全て海外技術に依存 と結論づけた。 野呂の新しい製鉄所建設構想は、始めに導入する技術は小さくてよい、技術そのものよりも、 外国技術を改良したり、それぞれの長所を取り入れる力、いわば技術を生かす「技術力」を重視した。 しかし、大型製鉄所を目指す政府方針に合わず、野呂は失脚した。 その後野呂は、鉱山や製鉄所で技術指導を続ける。 東田第一高炉火入れ 1901年2月、ドイツ技術の粋を集めてつく大規模生産方式の製鉄所が操業開始。 しかし、その滑り出しは惨憺たる状況であった。 火入れの翌日1.2トン出銑したが、原料装入車の故障や断水があり、除塵機のガス爆発、 羽口の閉塞などで3日間休風(操業停止)し、炉底の溶銑が凝結した。 その後対策を行って、操業を進めるもきわめて不良、予定出銑量160トン/日に対して わずか83トン/日、銑鉄1トンに対して多量の1.7トンのコークス消費するありさまで、 銑鉄の品質は概して粗悪であった。 そしてついに1902年5月に休止した。 急遽、野呂景義が呼び出され、製鉄所立上げが始まる 野呂の門下生である製銑部長服部斬が記した操業記録と現場を徹底的に調査した。 その結果、高炉の構造、高炉装入物の配合、炉内における装入物の溶結、数度に及んだ 送風停止が原因であると指摘。 結局、操業不調の主な要因は、炉床の冷え込みと使用するコークスの品質に起因することは 明確であるとして、抜本的な改善案を提示した。 抜本的な設備改善と新しい技術の導入 炉内に突出する部分が過大過ぎた羽口構造の改善を行った。 コークス製造において、「二瀬炭に無煙炭もしくは三池炭を配合して、堅質で大塊のものを製造」 という配合技術が導入され、砕炭、洗炭など原料処理技術やコークス炉の改良が相まって 積極的な改善が進められた。 日本の技術者達は自信による高炉操業の失敗の過程を通し、外国人技術者の設計と操業指導が 必ずしも当を得たものではなかったことを明らかにした。 このように、我が国の自然的諸条件を軽視又は無視した技術の在り方が批判され、生産技術の 実際的諸経験に基づいて、野呂景義の指導のもと、東田第一高炉は可能な限り改良がおこなわれた。 再火入れ 1903年7月23日に再度火入れされ、以後操業は快調で1910年6月2日まで連続稼働し、 2140日に亘って出銑を続けた。 八幡製鐵所創業の意義 野呂景義の汗と努力が実を結び、鋼材生産高は著しく急増し、日本の国づくりに大いに 貢献することになった。 そして、これまで、八幡製鉄所が培った高炉操業技術は、世界に誇る鉄鋼生産技術と成長し、 戦後の経済発展の基盤とし、また鋼材輸出や海外への進出など著しい活躍を続ける 原動力となっている。 生みの苦しみから一世紀余を経て、母なる八幡製鉄所の創業意義は極めて偉大である。
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田中熊吉 「高炉の神様」
2015/09/27
Blog生涯現役を貫いた「高炉の神様」田中熊吉 私が尊敬する、日本の近代産業の礎を築いた一人「田中熊吉」を紹介します。 官営八幡製鐵所の東田第一高炉の建設時1899年(明治32年)に職工として入社。 100歳まで生きると宣言し、生涯現役を貫き通し、1972年(昭和47年)の数え年の100歳で 人生の幕を閉じる。 田中熊吉が建設から携わった東田第一高炉も、彼の没年に歴史の幕を閉じた。 現在では東田記念高炉をして残され、その歴史を後世に伝え続けている。 田中が建設に携わった高炉(初代) 田中の後を追って幕を閉じた高炉(10代目) 生涯を高炉に捧げ、「高炉の神様」としてその功績を讃えられている、「田中熊吉」人生ドラマも 紹介していきますのでお楽しみにしておいてください。
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高見神社
2015/09/27
Blog殆ど知られていない世界遺産の裏側! 明治神宮の兄貴分である 高見神社の物語り❗ 八幡製鐵所の守護神であり、現在もなお北九州の産業の安全を守り続けている高見神社は、 製鉄所建設前は旧本事務所の近くにあった。 現在の高見神社 建設当時の製鉄所 貯水池や官舎を作るための用地確保のために移設を余儀なくされ、製鉄所建設時に豊山八幡宮 (千草ホテルの近く)に仮住まいすることになった。 そして、官営製鐵所と他の民間企業を合併し、日本製鐵㈱をなった昭和8年に現在の地に新しい 神社造営が決まり、10年の歳月をかけて昭和19年に現在の高見神社が完成した。 高見神社は製鉄所建設前から八幡の人々の氏神として、製鉄所建設後は製鉄所の守護神として 日本の産業発展を見守り続けている。 高見神社も今回の世界遺産登録の大きな功労者である。
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名古屋の大学院生の産業技術ツアー
名古屋工業大学の大学院生の産業技術研修ツアーを北九州市で実施しました。 ●日程 2015年9月1日~2日 1泊2日 ●参加人数 24名 ●コンセプト:大学で学んでいる技術が、社会でどのように使われているかを学ぶ 【1日目】 FDAで名古屋空港を出発し、8:40に北九州空港へ到着。 北九州空港を見学した後、研修ツアー開始。 10:00~11:30 新日鐵住金 八幡製鉄所見学 原料岸壁、高炉工場、熱延工場 11:50~12:30 枝光のママの餃子で昼食 13:10~15:30 安川電機ロボット工場&安川電機みらい館 15:45~17:00 東田地区 安田工業 → 八幡泊地 → 世界遺産 旧本事務所 北九州イノベーションギャラリー → 東田第一高炉 18:30~20:00 皿倉山 【9月2日】 10:00~11:00 TOTOミュージアム → 11:40~12:30 割烹旅館かねやすで昼食 13:00~14:30 北九州エコタウン 15:00~16:00 洞海湾クルージング 16:30~18:00 門司港レトロ 18:30 北九州空港で解散 会社概要 企業理念 サービスのご案内 お問い合わせ 団体バス旅行 世界遺産ツアー 環境・エコツアー 研修・視察旅行 外国人向けサービス NPO法人・明治日本の産業革命遺産協議会 世界遺産物語 英語サイト(About us) 電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898 Email info@japan-kyushu-tourist.com 〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階
