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若松南海岸(若松港)
2015/01/17
Blogレトロな町並み・若松南海岸 洞海湾の畔にある、かつて石炭の積出港として賑わった若松のまちの面影を残す場所。 今も現役の大正期建築物が多く立ち並び、港町・若松を象徴するエリアとなっています。 若松南海岸の歴史 筑豊の石炭は、遠賀川から芦屋経由で、輸送されていたが、1894年に遠賀川と洞海湾を結ぶ 堀川が完成した後は、堀川を使って若松経由で運ばれるようになった。 そして石炭の需要増に伴い、門司港が築港を開始した翌年の1890年(明治23年)、若松港を 石炭積出港として築営することを目的として、安川敬一郎を中心として若松築港会社が設立され、 1898年(明治31年)に開港しました。 また1891年(明治24年)には筑豊興業鉄道により、若松駅―直方駅間の鉄道路線が 開業しました。 そのことにより、石炭がどんどんと鉄道を使って若松港に集められ全国に送っていき、 “石炭の町、若松”として日本中に知られていきます。 最盛期には若松駅の1日の貨物の取扱量が全国の駅で1番多い時期があったそうです。 若松に集められた石炭は「ごんぞう」とよばれた石炭荷役たちによって船に積み 込まれていきました。 いま若松には映画館は一つもなくなってしまいましたが、最盛期にはたくさんの映画館や 芝居小屋があり、当時石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれ、石炭景気で若松は繁栄していきました。 一方で、1896年(明治29年)に国会で製鉄所設置決議案が承認されました。 製鉄事業調査会で製鐵所の条件に会う場所を調査し、製鐵に必要な石炭の供給や輸送の 利便性等が評価され、洞海湾を挟んだ対岸の八幡に決定されました。 1901年(明治34年)に東田第一高炉で火入れが行われ、日本の産業近代化の 歴史が始まりました。 【関連リンク】 ・近代化産業遺産 in 北九州 ・近代化産業遺産 製鉄編 ・北九州の産業観光ツアー ・女子大生が企画 北九州の魅力再発見ツアー【世界遺産編】 ・近代化産業遺産ツアー 製鉄編 ・近代化産業遺産ツアー 炭坑編 ・洞海湾 夜景クルーズ ・洞海湾 クルーズ ・皿倉山から見た北九州 ・皿倉山の夜景
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鈴木商店
2015/01/17
Blog門司の産業発展の礎を築いた鈴木商店 門司港は明治22年(1889年)に国の特別貿易港に指定されると、明治後半から 大正時代にかけ、人や貨物を載せ日本と海外を行き来する船が寄港する 国際貿易港として繁栄していきます。 事業や販路拡大を願う実業家や貿易商がこぞってこの地を目指し、 三井や三菱などの財閥もこの地に進出を図ります。 門司港が繁栄していく中、わずか数キロ先の門司・大里地区に神戸の貿易商 「鈴木商店」が目を付けて進出してきました。 1914年(大正4年)ごろの大里 金子直吉 鈴木商店の歴史 神戸の砂糖商「辰巳屋」に砂糖の鑑別と商才を見込まれた初代創業者鈴木岩次郎が 辰巳屋ののれん分けという形で明治7年(1874年)に開業しました。 それから数年を経て岩治郎が亡くなった後は、2代目店主となった妻鈴木よねとともに、 丁稚奉公から身を起こした金子直吉が鈴木商店の大番頭として驚異的な経営と 拡大を遂げていきました。 樟脳、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立するとともに、製糖・製粉・製鋼 タバコ・ビールなどの事業を展開、さらに保険・海運・造船などの分野にも進出し、 ロンドン・バルティック取引所で日本企業として2番目のメンバーとなりました。 鈴木商店の子会社の1つ、日本商業会社は岩井産業と合併し日商岩井へ、 更にニチメンと合併し現在の双日のルーツの一つでもあります。 良質な水と海上輸送に適した大里では、1904年(明治37年)の大里製糖所 (現関門製糖)の開業を皮切りに、神戸製鋼門司工場や帝国麦酒(現門司麦酒煉瓦館) など、鈴木商店の発展とともに次々と工場が建設されました。 大里製糖所(現関門製糖) 帝国麦酒(現門司麦酒煉瓦館) 1914年(大正3年)焼酎工場を建設し、大里酒精製造所(現ニッカウヰスキー) から始まります。 操業当時は、主に朝鮮や中国向けに輸出する焼酎を製造していました。 焼酎を醸造するための発酵原料として必要な糖蜜、フスマ、ビール酵母などは、 全て隣接地にある鈴木商店経営の大日本製糖、大里製粉、帝国麦酒から容易に 調達することができました。 大里酒精製造所(現ニッカウヰスキー) 世界恐慌などの影響を受け、1927年に倒産しましたが、これらの工場や事業は 日本を代表する企業に引き継がれました。 以来大里地区は日本の産業において重要な地として発展してきました。 鈴木商店の傘下で発展した企業 日商岩井(現在の双日)、三菱レイヨン、石川島播磨重工業、昭和シェル石油 日本化学、日産化学工業等 【関連リンク】 ・近代化産業遺産 in 北九州 ・近代化産業遺産 製鉄編 ・北九州の産業観光ツアー ・女子大生が企画 北九州の魅力再発見ツアー【世界遺産編】 ・近代化産業遺産ツアー 製鉄編 ・近代化産業遺産ツアー 炭坑編 ・洞海湾 夜景クルーズ ・洞海湾 クルーズ ・皿倉山から見た北九州 ・皿倉山の夜景
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若松南海岸(若松港)
2015/01/17
Blogレトロな町並み・若松南海岸 洞海湾の畔にある、かつて石炭の積出港として賑わった若松のまちの面影を残す場所。 今も現役の大正期建築物が多く立ち並び、港町・若松を象徴するエリアとなっています。 若松南海岸の歴史 筑豊の石炭は、遠賀川から芦屋経由で、輸送されていたが、1894年に遠賀川と洞海湾を結ぶ 堀川が完成した後は、堀川を使って若松経由で運ばれるようになった。 そして石炭の需要増に伴い、門司港が築港を開始した翌年の1890年(明治23年)、若松港を 石炭積出港として築営することを目的として、安川敬一郎を中心として若松築港会社が設立され、 1898年(明治31年)に開港しました。 また1891年(明治24年)には筑豊興業鉄道により、若松駅―直方駅間の鉄道路線が 開業しました。 そのことにより、石炭がどんどんと鉄道を使って若松港に集められ全国に送っていき、 “石炭の町、若松”として日本中に知られていきます。 最盛期には若松駅の1日の貨物の取扱量が全国の駅で1番多い時期があったそうです。 若松に集められた石炭は「ごんぞう」とよばれた石炭荷役たちによって船に積み 込まれていきました。 いま若松には映画館は一つもなくなってしまいましたが、最盛期にはたくさんの映画館や 芝居小屋があり、当時石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれ、石炭景気で若松は繁栄していきました。 一方で、1896年(明治29年)に国会で製鉄所設置決議案が承認されました。 製鉄事業調査会で製鐵所の条件に会う場所を調査し、製鐵に必要な石炭の供給や輸送の 利便性等が評価され、洞海湾を挟んだ対岸の八幡に決定されました。 1901年(明治34年)に東田第一高炉で火入れが行われ、日本の産業近代化の 歴史が始まりました。 【関連リンク】 ・近代化産業遺産 in 北九州 ・近代化産業遺産 製鉄編 ・北九州の産業観光ツアー ・女子大生が企画 北九州の魅力再発見ツアー【世界遺産編】 ・近代化産業遺産ツアー 製鉄編 ・近代化産業遺産ツアー 炭坑編 ・洞海湾 夜景クルーズ ・洞海湾 クルーズ ・皿倉山から見た北九州 ・皿倉山の夜景
