-
-
門司港の魅力
2017/05/09
Blogノーベル賞物理学者・アインシュタインも絶賛した! 見るもの触れるもの全てが芸術作品 門司港 紺碧の関門海峡と調和した門司港レトロ地区に建ち並ぶ建物たち。 その周りに拡がる情緒あふれる下町の町並み、背後に拡がる緑の山々。 そこを訪れる観光客、そこで生活している人々。 すべてが、写真に収めたくなる芸術作品である『門司港』 関門海峡 門司港レトロ トロッコ列車の線路 漁 港 門司港の歴史に触れ、この場所や建物に秘められた情報や物語を知れば、更なる魅力が発見できる。 開港から門司港レトロのグランドオープンまでを、歴史に沿って紹介していきます。 門司港の歩み ①門司港開港 門司港が1889年(明治22年)に石炭・米・麦・硫黄・麦粉の5特定品目の特別輸出港に指定され 築港工事が開始された。 金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで進出し、外国航路の港としての歴史が始まる。 ②九州鉄道 ・1889年(明治24年) 九州鉄道の起点門司駅が開設(現在の門司港駅の東側) 本社を博多から門司に移転し、門司~博多~高瀬間が開通 九州鉄道本社(現九州鉄道記念館) 九州鉄道の起点 0哩標 ・1897年(明治30年) 筑豊鉄道を吸収合併し、筑豊炭坑からの石炭輸送を可能とし、 門司港が石炭の積出港として繁栄する。 ・1901年(明治34年) 関門連絡船が運行し、本州と鉄道で結ばれ、人の行き来が増える ・1907年(明治40年) 国有化される ・1914年(大正3年) 新駅舎が完成(現在の門司港駅) ・1942年(昭和17年) 関門鉄道トンネルが完成し、門司駅を門司港駅と改名 ・2003年(平成15年) 九州鉄道記念館開設(旧九州鉄道本社を利用) ③国際貿易港 国際貿易法としての歴史は、1889年(明治22年)に門司港が特別輸出港指定から幕が開く。 門司港駅を降りると旧大阪商船ビル、日本郵船ビルや三井倶楽部が見えてきて国際貿易港の 雰囲気が漂う。 ●日本郵船ビル 門司港の開港後、1897年(明治25年)に門司港出張所として開設し、1907年(明治35年)に 門司支店となり、門司港駅正面に建つビルは1925年(昭和2年)に建設された4階建ての アメリカ式オフィスビル。 当時まだ珍しかったエレベーターや暖房設備を備えた最新式ビルで、アールデコ風の デザインを基調とした階段手摺やモザイクタイル床、エレベーターのデザインに従事の 風格を残している。 アールデコは19世紀、欧米で流行したデザインで、アールヌーボーのしなやかな曲線や曲面の 装飾様式とは対照的で、基本形の反復、同心円、ジグザグの幾何学的なデザインを基調とした様式。 ●旧門司税関 門司税関の始まりは、門司港開港以前の1885年(明治18年)長崎税関門司出張所で、 1909年(明治42年)に門司税関となった。 この、赤煉瓦作りの建物は、1912年(明治45年)に建設された二代目の門司税関である。 大蔵省臨時建築部・桜寿栄一の設計で、明治期の洋館建築様式である。 1936年(昭和11年)に民間に払い下げられ、倉庫として利用していたが、屋根が空襲で焼け 落ちたこともあり、文化財としての評価も地に落ちていて解体寸前のところを、 門司港レトロ事業でリニューアルされた。 ●旧大阪商船ビル 1917年(大正6年)に建てられたエキゾチックで美しいビルで、タイル仕上げのオレンジ色に 白色帯が入ったデザインの外観と、八角形の塔屋が印象的。 現在、一階は当時の待合室で一等、二等、三等に区分されていた。二階はオフィス、 支店長室、電信室などがあった。 塔屋は高さ約27mあり、当時関門一番高い塔で、夜間は数多くの電灯を灯し、灯台の 役割をしていた。 戦前の門司港は大連、上海、基隆、仏印、欧州などへ月に60隻もの客船が出航していたので、 きっとこの待合室も期待と不安に駆られながら旅立つ人々の話声で賑わっていたのではなかろうか。 ●三井倶楽部 1921年(大正10年)三井物産の社交倶楽部として門司市谷町に建設されたが、門司港レトロ事業 で1994年(平成6年)に現在の場所に移築された。 建物面積は1888m2の木造二階建てで、設計者は直方出身の松田昌平。 その建築方法はハーフ・ティンバーと呼ばれるイギリスなど西洋で始まった工法を採用し、 外観には高原のロッジを思わせる雰囲気である。 一階の外壁は煉瓦や石積を用い、二階は塗り壁に木の柱や梁などティンバーを外に見せる造りで、 日本では大正期に流行した様式。 建設の翌年1922年(大正11年)にノーベル賞受賞物理学者アルバート・アインシュタイン夫妻が 宿泊した話は有名であるが、その部屋も当時のままに保存されている。 当時この建物は錦町の坂道を田ノ浦方面に向かう谷町にあったから、博士夫妻も桟橋通りを 人力車に駆け抜けたのではなかろうか。 ④大連への旅立ち 区役所から眼下に見下ろせる、大連航路上屋は1929年(昭和4年)に完成した。 ガラスブロックを多く用いたアールデコ様式のモダンな建物で、門司の貴重な建築遺産である。 この上屋は1930年(昭和7年)に就航した大連航路の発着所となった。 二階は待合室になっており、当時船が上屋の脇に接岸出来たため、乗客は二階から直接乗船できた。 当時この岸壁は大連港に向かう「うらる丸」やリバプールに向かう「箱根丸」など数多くの客船が 連なって停泊し、石炭ボイラーの黒い煙をモクモクと吐きながら出航を待つ雄姿を見ることが出来た。 待合室には、希望と不安を胸に秘めた人々や、別れを惜しむ恋人たちもいただろう。 ドラの音が鳴り響く岸壁では、風にざわめいていた別れのテープも静まり、見送りの歓声も 別れの悲しみに変わり、船が港を遠ざかる光景が目に浮かぶ。 ⑤門司の歴史を見続ける清滝 門司港を見下ろす山手側の清滝に位置し、その歴史を見続けている門司区役所と三宜楼。 ●門司区役所 1930年(昭和5年)に建てられた門司区役所。 タイル張り三階建の鉄筋コンクリート構造で、昭和初期の雰囲気が残る。左右対称の威厳ある 外観は門司の繁栄を物語るようなセピア色のレトロな役所である。 1894年(明治27年)、文字ヶ関村が門司町となり、その役場は桟橋通り交差点の南東角に造られた。 そして1899年(明治32年)北九州5市で最初に市制が施行され門司市となり、1898年(明治41年)に 現在の位置に移設開設された。移設当時は木造二階建ての質素な建物であった。 ●三宜楼 関門海峡を一望できる山側の傾斜地に1931年(昭和6年)に建てられた和風建築の料亭で、 1955年(昭和30年)ごろまで営業していた。 木造3階建で、現存する料亭の建屋としては九州最大級。 石炭と西日本唯一の国際貿易港として賑わっている時代に、建築の新古の粋を集め造られた 優雅で豪華な建物。 建物の2階には百畳の間と呼ばれる64畳の大広間と舞台があり、石炭業、海運業関係者らの 宴が多数開かれていた。 出光佐三や陸軍上層部、中野真悟など北九州の名士も足を運び、歌手・東海林太郎、 喜劇俳優・古川ロッパ、俳人・高浜虚子の足跡も残っている。 2005年(平成17年)には売りに出されたが、地元の保存会に熱心な保存活動の末、 北九州市に寄贈され、2014年(平成26年)に改修工事が完了し、50年ぶりに営業を開始した。
