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鉄鋼の産業発展物語 第12話 / 官営製鐵所が八幡に決定

 
製鉄所建設計画
日清戦争後、軍備増強と産業資材用鉄鋼生産の増大を図るため、1896年(明治29年)に
第9回帝国議会で製鐵所建設の「創立案」の予算が承認された。
その内容は日清戦争前に「野呂景義」が提案した製鐵所建設構想と異なり
和田維四郎わだ つなしろうによる銑鋼一貫の巨大製鉄所構想であった

初代長官の山内提雲の後任で、2代目の長官となった和田維四郎が、製鉄所創立の
中心的な役割を果たす。

 

   
     和田維四郎  大島道太郎


技監は本来なら、日本で初めてコークス炉を使った製鉄法を成功させ、日清戦争前まで
製鉄所建設構想を作り上げた野呂景義が考えられるが初代長官の山内が
大島道太郎を任命した大島道太郎は、近代製鉄の父大島高任の長男
総予算額650万円、その中に清国から受け取った賠償金のうち58万円が含まれる
 
製鉄所建設地の検討 
 
 1)17の地域が候補地
1896年に政府によって17の地域が候補地として選ばれた。その中の3地域が北九州。
青森 釜石 塩釜 千葉 品川 鶴見 静岡 和歌山 梅田 尾道
呉 大竹 大牟田 長崎 大里(門司) ⑯板櫃(小倉) 八幡(八幡)
各候補地とも郷土に近代的な製鉄所をと意気込み誘致活動を展開し、
お互いに一歩もゆずらなかった。

 2)
現地調査の実施
大島道太郎が候補地決定の責任者となり、調査団を率いて候補地を調査した。
その立地の条件は、①広大な建設用地が安価で得られる ②海上・陸上の交通の便がよい
② 原料と燃料が得やすいことが考慮された。
調査の結果、4ヶ所に絞られる。

広島県大里門司板櫃小倉八幡八幡

 

    
        呉         板櫃 & 大里       八幡

 
原料と燃料入手の点で呉は落ちて、北九州の三村が残る。
 
 3)大里が第一候補
その中で、大島は、石炭に入手には洞海湾(八幡)だが、若松港の水深が浅く到底大型船を
出入りさせることができないと、一旦は「大里第一」とした。
大里は、筑豊炭田を背後に持ち、アシが生い茂る湿地帯が多い土地、海陸の交通条件に優れ、
八幡が足元に及ばない人口を抱えていた。
更に、江戸時代に村の一角から鉄鉱石と銅鉱石が採掘されていたことも影響している。

 4)八幡の立地に向けての取組
これに対して、若松築港会社会長の安川敬一郎は、水深を深くすれば大里に勝ると確信し、
起死回生の政治工作を行う。
旧黒田藩主・金子堅太郎、岩崎弥太郎、渋沢栄一の同意を得、渋沢栄一と後の長官和田維四郎
を通じて、大島と長官山内堤雲の説得を依頼した。

こうした安川敬一郎の運動が紅を奏し、用地買収担当の製鉄所事務次官に八幡出張の
辞令が出された。

 

  
  安川敬一郎      芳賀種義

 
当時の八幡村は、人口2,000人足らずの農業と漁業を営む寒村であった。
製鉄所建設用地確保のため、八幡村の芳賀種義村長「八幡村に製鉄所を、日本の
鉄づくりは八幡から」
と熱心に村民を説得し、100万m2もの広大な土地を地価の
半値で売り払うことに協力してもらった。
 
官営製鐵所が八幡に決定
こうした後、1897年2月6日「官営製鉄所は福岡県 下筑前国遠賀郡 八幡村に置く」
と公布された。

             製鉄所建設前の八幡村

 

そして、1901年の創業に向けての建設工事が開始される。

 

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