豊後高田 & 国東半島の観光情報
国東半島は、大分県の北東部に位置する半島です。標高721mの両子山をはじめとする両子火山群
の峰々がそびえており、半島全体が円に近い火山地形である。丘陵地と谷が海岸に向かって放射状
に伸びています。奈良時代から平安時代にかけて、仏教に宇佐八幡の八幡信仰を取り入れた
「六郷満山」と呼ばれる仏教文化が形成され、山岳地域の険しい山道を歩く「峰入り」と呼ばれる
難行が行われるようになりました。
豊後高田市の中心商店街は、江戸時代から明治、大正、昭和30年代にかけて、国東半島でもっとも
栄えた町でした。江戸時代から海上運輸で栄え、昭和初期にも京阪神に行き来した運搬船が多数
停泊していました。
そして、商店街が元気だった最後の時代、あの昭和30年代の活気が今でも残るまちです。
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春は約2,200万本の菜の花、夏は約160万本のひまわりが咲き誇る、キャンプ場“花とアートの
岬長崎鼻”です。長崎鼻は周防灘に面した岬の先端に位置したリアス式海岸で、海水の力で
浸食された“海蝕洞窟”が島全体で約20程あります。海水浴ができるビーチもすぐそばにあります。
鬼が一晩で積んだという、険しい石段を登った先にあるのが熊野磨崖仏です。日本最大級の磨崖仏は、
国指定の重要文化財で、平安時代の末期の作といわれています。絶壁の右手に引き締まった表情の
「大日如来(約6.7m)」、左手に微笑んでいるかのような「不動明王(約8m)」がそれぞれ刻まれて
いるのですが、その姿は余りに自然で、まるで以前からそこにあったかのように周囲の風景に溶け
込んでいます。
国東半島の中心にある六郷満山寺院で、開基は718年(養老2年)仁聞菩薩によるものです。
特に江戸時代より総持院として満山寺院を統括してきました。山門に安置されている仁王像は
国東最大のもので、その彫りの美しさから、国東半島を代表する仁王像であるといわれています。
護摩堂の本尊は鎌倉時代の不動明王で毎月28日の縁日には、護摩焚きがあり、特に厄除けなど
諸祈願を行っています。また、奥の院本殿に祀られている十一面千手観音、両所大権現は古来
より子授けの信仰があります。また境内一帯は春の新緑、秋の紅葉と名所になっています。
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平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院で、中でも富貴寺大堂は、
宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、
現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。
美しい緑の山々に囲まれた国東半島の中心部にある温泉宿泊施設です。露天風呂は、
四季の移ろいを堪能できる絶景が広がっています。宿泊施設として、カナディアンログ製の
コテージ4棟、和室と洋室がそれぞれ4室あります。都会の喧騒から離れ、山里で自然を
満喫できます。コテージ4棟と和・洋室それぞれ4室あります。
国東の海の幸山の幸を使った料理も評判です。
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国東半島の地図