Japanese history
1549 |
St. Francis Xavier came Kagoshima Japan as a first Christian missionary and commenced the Christian history in Japan |
1571 | Nagasaki Port was opend to Portugal by feudral lord Omura Sumitada |
1587 | Shogunate, Toyotomi Hideyoshi proclaimed Christian ban |
1597 |
The Twenty-Six Martyrs of Japan, were a group of Catholics who were executed by crucifixion on February 5 at Nagasaki. |
1603 |
Tokugawa Shogunate was established and the natioal isolation policy was applied |
1614 |
Tokugawa Shogunate prohibited Christianity throughout Japan |
1637 |
Shimabara Rebellion : a peasant uprising against bakufu’s persecution of Christians |
1641 |
Dejima, the small artificial island was opened as Dutch trading port in Nagasaki |
1853 |
Mathew C Perry came to Uraga; the Commodore of the US navy, who played a significant role in Japanese history, succeeded in opening Japan to foreign countries Japanese industry was 200 years behind European countries at that time |
1853 |
Japanese’s industrial revolution started in Saga, Kagoshima and any other places |
1868 |
Meiji Restoration : led to enormous changes in Japan’s political and social structure and spanned both the late Edo period and the beginning of the Meiji period. |
1873 |
Ban on the Christianity was lifted |
1897 |
The Meiji Government made the decision to build the Imperial Steel Work in the small village in Higashida, Yahata, next to the Dokai Bay and close to the coal-rich Chikuho area |
1901 |
Operation of the Imperial Steel Work, in Yahata was commenced In the beginning of the Blast Furnace was not successful, and then Japanese engineer Kageyoshi Noro modified the design and successful operation followed in 1904. |
1915 |
Yaskawa Electric establish in Kitakyushu |
1917 |
TOTO establish in Kitakyushu |
1945 |
Atomic bomb dropped in Hiroshima on Aug. 6 and in Nagasaki on Aug. 9 |
2018 |
Hidden Christian site is registered on UNESCO’s World Heritage |
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鉄鋼の産業発展物語 第13話 / わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
建設機械もない時代、熟練工もいない時代に、八幡村の田畑に製鉄所建設が決定されてから、
わずか4年間で、近代的な一貫製鉄所をつくった。
そして、近代国家をつくりたいという日本人が熱い想いが結集して苦難の突貫プロジェクトを
完遂させた。
技術者の実習受け入れについて、全計画をGHHに委託する契約を締結した。
鍛冶等の従来型の職人はいたが、洋式工事の技能熟練者は皆無に近かった。
が始まった。
1897年(明治30年)に工務部機械課を設置し、設備基本計画、機材発注及び
基礎工事を始める。
機械設計や熟練工は陸海軍工廠に要請し、派遣してもらった。
GHHに委託し、担当工事が竣工するまでドイツ人職工長が滞在した。
変形や形状の悪い煉瓦の手直しもしながら、苦労の多い仕事を行った。
尾倉鋳造が完成した。
また、建設中の1900年には、初代内閣総理大臣の伊藤博文を始め多くの関係者が訪れ
東田第一高炉の前で記念撮影を行った。
そして、1901年2月5日に東田第一高炉に火が入り、
11月18日に多くの来賓を迎えて作業開始式が行われ、官営八幡製鐵所が創業した。
混銑炉(160t)x2基
修繕工場、鍛冶工場、製罐工場、鋳造工場
長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録
嬉しいニュース、私の生まれ故郷の原城が世界遺産に登録。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産。
今まで、隠れキリシタンとか島原の乱とか、幕府に反対した負の事柄として取り扱われてきた歴史。
人々が長年守り続けた信仰、世界が認めた人々の営み。
これから、中立な立場で、公平な立場で、我が故郷の素晴らしい世界遺産を多くの人々に
紹介して行きます。
原 城
大浦天主堂
外海の出津集落
日本26聖人殉教地 (関連遺産)
雲仙地獄 (関連遺産)
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ほたるの里・南丘のどんど焼き
JR小倉駅並びに製鉄所からわずか4kmに位置する住宅街。
なんと市街地に近い地域で、ほたるが生息しているのは全国的にも珍しい。
水の汚染が進んだ昭和40代に、小熊野川の清掃活動から始まり
地道な取り組みで、ほたるが飛び交う、環境に優しい地域となった。
ほたると共生するまち南丘の真骨頂は団結力。
年間を通して多くの行事が行われ、その一つであるどんど焼きが本日行われました。
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日本人の心に感じる登山道
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天皇皇后両陛下提灯奉迎
天皇皇后両陛下が10月27日から福岡県をご訪問されています。
宿泊は北九州のリーガロイヤルホテル。
朝倉、日田の被災地をご訪問され
29日は宗像を訪れれれた後
北九州で天皇皇后両陛下提灯奉迎が行われました。
国家の繁栄と国民の幸福のために、常に国民とともに歩まれている両陛下を
お迎え出来たことは、私自身にとって、北九州市民として嬉しく、誇りに思います。
本日は最高の感激でした、そして両陛下がこれからもお元気で
我々を見守って頂けるよう願いました。
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朝倉地方の状況
7月に発生した九州北部豪雨によって、多大な被害があった朝倉方面
災害発生後初めて訪問しました。
まだまだ災害の傷跡が残っているところが沢山ありますが、
道路の復旧に急ピッチで進められいます。
是非多くの皆さまに訪問してもらいたいとの思いで、その様子を紹介します。
●三連水車
短期間で復旧がなされ、全ての水車が稼働中、しかし田んぼやぶどう畑など
大きな被害にあった。
●山田堰
筑後平野に水を送るために、江戸時代に筑後川に造られた堰。石積の堰は日本でここだけ。
流木も撤去さて、ほぼ平常に機能している。
●原鶴温泉
全ての宿泊施設で平常通り営業中、但し今年の鵜飼は中止された。
●久留米市 田主丸のぶどう園
特に大きな被害もなく、通常通り営業中。
●にじの耳納の里
うきは市の野菜や果物を取り揃えているところ、平常通り営業中
●ハトマメ屋
創業・明治18年、朝倉名物のお菓子屋さん、是非お土産にどうぞ。
●東峰村
最も被害が大きかった場所の一つ、まだまだ復旧に時間がかかりそう。
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河内貯水池 / 世界遺産登録の引き金となった土木遺産
英 語
明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録のきっかけとなったくった
自然と調和した、第一級の近代化産業遺産 河内貯水池
土木技師・沼田尚徳の大偉業
河内貯水池は、八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として
1919年(大正8年)に竣工し、8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で
1927年(昭和2年)に完成した。
その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、
「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を
注いだ大事業。
河内貯水池は近代化産業遺産としての価値だけでなく、
北九州国定公園の自然と調和した、心和む河内貯水池へ是非お越しください。
この美しい景観の裏側に秘められた、「愛と情熱」の物語がここにあります。
かつての河内地域は、八幡製鐵所から南10㎞ほど谷あいの31戸が暮らす
自然豊かで平穏な農村、また都市の児童の山村留学も受入れている教育先進地域。
その人達に立退きを快く応じてもらい、当時西日本最大の大事業が始まる。
用いた独自の設計で土木構造物への新しい挑戦をした。
更に環境にも優しい工法を積極的に採用し、将来市民の憩いの場所をすべく、
橋から取水塔、管理事務所に至るまで欧米風の洒落たデザインを凝らした。
村人へ何としても恩返しでもあった。
建設期間中1名の死者も出さなかった。
80年経過した今でも給水の本来の機能を果たしながら、憩いの場として多くの人達の
親しまれている。
美観に優れたダムを作り上げた。
●悲しみを乗り越えて
父そして5人の子供を次々と亡くした。そんな中明るく支えてくれたのが妻泰子。
河内貯水池完成の翌年に、白山宮の参道に隣接した土地を自費で購入し、
妻泰子への感謝と哀悼の想いをこめて妻恋の碑を建てた。
【漢文】
愛する妻の魂はどこにあるのか。麗しきあの人と今は世を隔て、
素晴らしき日々は夢に帰してしまった。散り行く桜の前にたたずむと断腸の思い。
【英 文】
THROUGH WHOSE SELF-SACRIFICE AND UNDER GOD’S BLESSING
I HAVE ENABLED TO CONSTRACT KAWACHI WATER WORKS.
この神社は今でも地元の人達によって清掃され、更に泰子さんの為にと
花も植えられている。
●河内貯水池にかかる橋
それぞれの場所の景観に合わせて作った橋。
①太鼓橋
スパン28m、最少厚さ20cmの薄っぺらい板の橋、スパン/最少厚の比が140という
世界的にも類の無い橋。80年経った今でもヒビ一つも入っていない沼田尚徳の傑作品。
コンクリートで覆った橋。
鉄で強度を持たせ、コンクリートで座屈や錆を防止した。
●河内桜公園
春になると、桜の咲き誇る花見の名所です。堰堤の下流側に位置しています。
桜公園の地図 桜吊橋
弁 室 亜字池(浄水場)
河内貯水池建設物語
河内貯水池の裏側に秘めら物語
河内貯水池は、八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として
1919年(大正8年)に竣工し、8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で1927年(昭和2年)に
完成した。
その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、
「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を
注いだ大事業。
河内貯水池は近代化産業遺産としての価値だけでなく、北九州国定公園の自然と調和した、
心和む場所。
紹介します。
水戸藩の沼田家
藩幹部の筆頭書記官で祖父沼田久次郎を持ち、そして祖父とともに「大発勢」と呼ばれる
討伐隊に加わり、明治維新後は教育者の道を歩んだ沼田順三郎の長男として生まれた。
青年時代
1897年(明治30年)に入学し土木技術や鉄筋コンクリート技術学び、更に水道施設や
琵琶湖疏水などの技術にも関心を持っていたと言われている。
官営八幡製鐵所に入社
官営八幡製鐵所に土木技師として入社した。
1901年(明治34年)に東田第一高炉に火が入り、日本で初めての銑鋼一貫製鐵所が
操業を開始する。
最初の挫折
製鉄所や付近の住宅地域に多大な被害を及ぼし住民1名の尊い命を奪う大惨事を引き起こした。
心の痛手となり、その後この教訓から、建設現場を自らの足で歩き自分の目で確認する
現場第一主義の仕事スタイルを育んでゆく。
8年の歳月をかけて1927年(昭和2年)に完成した。
英知と情熱を注いていく。
かつての河内地域は、八幡製鐵所から南10㎞ほど谷あいの31戸が暮らす
自然豊かで平穏な農村、また都市の児童の山村留学も受入れている教育先進地域。
その人達に立退きを快く応じてもらい、当時西日本最大の大事業が始まる。
用いた独自の設計で土木構造物への新しい挑戦をした。
更に環境にも優しい工法を積極的に採用し、将来市民の憩いの場所をすべく、
橋から取水塔、管理事務所に至るまで欧米風の洒落たデザインを凝らした。
村人へ何としても恩返しでもあった。
建設期間中1名の死者も出さなかった。
80年経過した今でも給水の本来の機能を果たしながら、憩いの場として多くの人達の
親しまれている。
美観に優れたダムを作り上げた。
●悲しみを乗り越えて
父そして5人の子供を次々と亡くした。そんな中明るく支えてくれたのが妻泰子。
河内貯水池完成の翌年に、白山宮の参道に隣接した土地を自費で購入し、
妻泰子への感謝と哀悼の想いをこめて妻恋の碑を建てた。
【漢文】
愛する妻の魂はどこにあるのか。麗しきあの人と今は世を隔て、
素晴らしき日々は夢に帰してしまった。散り行く桜の前にたたずむと断腸の思い。
【英 文】
THROUGH WHOSE SELF-SACRIFICE AND UNDER GOD’S BLESSING
I HAVE ENABLED TO CONSTRACT KAWACHI WATER WORKS.
花も植えられている。
企業利益より社会貢献 沼田尚徳の美学
製鉄所と八幡市の発展の礎を築いき、勲三等瑞宝章まで授与され、製鉄所では土木部長でありながら
製鉄所長官に次ぐ処遇を受けていた。
日本最大の軍事工場であった小倉陸軍造兵廠の土木関連業務も手がけたが、
1934年(昭和9年)に全ての職を辞し田舎に陰棲した。
遠 想
潤し続ける河内貯水池の姿、そして彼が残した礎の上にいつまでも成長を続ける
日本の未来だったのではなかろうか。
本投稿は、西日本ペットボトルリサイクルの千々木亨氏の論文 鉄都に生きる男たちから
引用させてもらいました。
秋の旅行は熊本・阿蘇をお勧めします。
大変嬉しいニュース
熊本地震より5ヶ月ぶりに阿蘇山・草千里への道路が仮復旧にて
9月16日に開通しました。
阿蘇の様子 (当ページに掲載している写真は、全て7月19日に撮影したものです)
しかし、阿蘇登山道路の完全復旧にはまだまだ時間がかかると言われていますが、
急ピッチで復旧作業が行われています。
阿蘇神社は、楼門と拝殿が倒壊し神様をお祀りする3つの神殿も大きな被害を受けました。
阿蘇地方の復興の象徴となるように復旧作業が進められています。
熊本城
1601年から7年の歳月をかけて建設された、日本の三大名城の一つである熊本城。
4月14日以降に相次いで発生した地震で多く方々が犠牲になられ、多大な被害を被りました。
しかし現在各地で復旧作業が行われています。
そして、一部を除いて殆どの観光地も通常通り営業が行われています。
是非多くの人達に熊本・阿蘇を訪れてもらって、熊本・阿蘇の旅を楽しんでもらいたいと
思います。
世界最大でダイナミックなカルデラを持つ阿蘇、いたる処に湧きだす温泉
阿蘇の守り神・阿蘇神社、日本の三大名城・熊本城、周辺に点在する多くの観光地
数々のご当地グルメ。
是非、秋の旅行は熊本・阿蘇をお勧めします。
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