大分 & 臼杵の観光情報
大分市は、大分県の沿海部のほぼ中央に位置する県庁所在地です。古くは豊後国の国府が置かれ、
府内と呼ばれた。中世には大友氏の城下町として発展し、戦国時代にはキリシタン大名大友宗麟の
庇護のもと、日本におけるキリスト教布教の中心地となり、南蛮文化が花開きました。
臼杵は大分市に隣接する都市で、国宝の臼杵石仏や醤油の製造で有名。近年では城下町の町並み
でも知られるようになりました。
豊臣秀吉に仕えた石田三成の妹婿・福原直高から竹中重利が引き継ぐ形で築かれた大分城は、
別名・府内城とも呼ばれていました。現在は、天守閣のあった本丸周辺の水堀は埋められ、
大分城址公園として利用されています。
桜の名所としても知られており、毎年70本以上のソメイヨシノが咲き始めると、
花見客で賑わいます。城址の石垣から見ることができる桜色の絨毯は、一見の価値あります。
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創業50年の大分の人気店「こつこつ庵」。大分名物の関アジ・関サバ、ふぐから、
りゅうきゅう・だんご汁・とり天などの大分の郷土料理が堪能できます。
午前と午後に分けて仕入れる新鮮な海鮮は県外のお客さんをはじめ、芸能人の方の
ファンも多い。約100種類の焼酎を揃えており、焼酎好きにはたまらないラインナップです。
レトロな雰囲気の店内はJAZZが流れており、アットホームで女性一人でも入りやすい店です。
山肌の凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏『臼杵石仏』は、石仏造営の時期や事情を証する史料は
一切残っていませんが、地元に伝わる伝説「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」によれば、
長者が亡くなった娘の菩提を弔うために彫らせたといわれ、仏像の様式などから平安時代後期
から鎌倉時代の作と推定されています。その磨崖仏の規模と、数量において、また彫刻の質の
高さにおいて、わが国を代表する石仏群であり、1994年(平成7年)には磨崖仏では全国初、
彫刻としても九州初の国宝に指定されました。
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キリシタン大名として有名な大友宗麟の居城だったため、石垣にはアルファベットの様な
文字が刻まれ、城内には礼拝所が、城下にはキリシタンの修練所があったそうです。
築城当時は丹生島と呼ばれる孤島上の城郭で、周囲の海が天然の要害となり、堅固な守りを
誇っていました。廃藩置県後、明治6年(1873年)に臼杵城は廃城と決定され取り壊されました。
その後、本丸、二の丸は公園地に指定され、現在は2つの櫓と書院の庭園の一部、石垣などを
残すだけで、臼杵公園として市民の憩いの場となっており、春は桜の名所としても有名です。
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キリシタン大名として有名な大友宗麟が、キリシタン王国を築こうとし、そこから
「臼杵城下町」の歴史が始まりました。大友氏が志半ばで滅んだ後、江戸時代に入り、
商家を取り囲むように武家屋敷や寺院が整えられた地域は、「歴史の道」として今も当時の
風情を色濃く残しています。臼杵は古くから味噌醤油の製造がさかんな町でもあり、
城下町散策だけでなく、醤油や味噌を使った美味しいソフトクリームもいただけます。
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地元で水揚げされたお魚と地元で採れた野菜を使ったお料理を出している食事処です。
その日に獲れた新鮮な魚介類、地元の農家が作った自慢の野菜を使い、その季節にもっとも
美味しくいただけるお料理を心を込めて作っています。
臼杵のふぐも美味しく頂ける食事処です。
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大分 & 臼杵の地図