世界遺産物語 第6話 / 反射炉で始まった日本の鉄づくり
ヨーロッパに対し300年も遅れていた日本の鉄づくりの技術では大型の洋式大砲を
製造することは困難であったが、外国の技術者を外国の技術者を招聘することの
叶わない時代でもあった。
ヨーロッパの反射炉 ヒュゲンの技術書
おける鋳造法」の翻訳を伊東玄朴に命じて大島高任達と完成させた。
1853年に佐賀藩が、江戸で反射炉試作を行った江川英龍の協力を得ながら築地反射炉を
完成させ、日本で初めて銑鉄性の大砲を製造した。
萩反射炉 韮山反射炉
この反射炉は現存し、世界遺産に登録された。
大量生産を行った。
の侵入事件が起こり、1857年に韮山反射炉を完成させた。これも現存し世界遺産に登録された。
1868年に勃発した戊辰戦争で用いられたと言われている。
1783年にイギリスのH.コートが開発したパドル法の反射炉であった。
大量生産に向いていなかった。
そのためヨーロッパでは次第に反射炉法が廃れ、連続的に大量生産できる高炉法に移行し、
高炉の技術が急速に発達していった。
原料として、反射炉を使う方法を採用し、上述のように各地で多くの沢山建設された。
反射炉の欠点をいち早く見抜き、最初から高炉法の重要性に着目したのが、
南部藩の大島高任であった。
大島高任 釜石の洋式高炉跡
安定して鉄を大量に生産するためには高炉が必要だと、釜石において日本で最初の
洋式高炉建設に取り掛かる。
第7話は、舞台を釜石に移し、高炉による鉄づくりを紹介します。
会社概要 企業理念 サービスのご案内 お問い合わせ
団体バス旅行 世界遺産ツアー 環境・エコツアー 研修・視察旅行 外国人向けサービス
NPO法人・明治日本の産業革命遺産協議会 世界遺産物語 英語サイト(About us)
電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898 Email info@japan-kyushu-tourist.com
〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階