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鉄鋼の産業発展物語 第9話 / 官営製鐵所建設の背景 その1

 
製鉄所建設の歴史的背景
伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任した1885年(明治18年)頃の鋼材の民間需要は少なく、
我国の銑鉄の需要の60%はイギリス銑やインド銑に依存しており、鋼材に至っては民間需要の
全量を欧米から輸入していた。
しかし、鉄鋼の国内の需給率の向上は重工業の発展や軍機製造面必要不可欠であり、
一貫製鉄所建設が求められるようになった。
一方で、既に清国漢陽製鉄所が、自国の鉄鉱石を使い、ベルギー人の指導の基で稼働を始め、
日本へ軌条の売込及び九州の石炭の買い付けに訪れた。
これが日本の製鉄所建設に拍車がかかり1891年明治24年)に製鉄所建設構想が始まった
 
なぜ釜石製鉄所では駄目だったのか
1880年(明治13年)に操業を開始した官営釜石製鉄所は、イギリス式高炉2基を始め、
全ての設備をイギリスから輸入外国人技師の指導の基で建設された
高炉で銑鉄をつくり、バトル炉(反射炉)で錬鉄を製造して、錬鉄圧延製品をつくる
製鉄所だった。
錬鉄は鋼に比べて、強度が低く、品質の均質性にも欠き、生産効率も低かった。
いわば、時代遅れのプロセスの設備をイギリスが持ち込んだともいえる。

そこで、高強度、高品質の製品づくりが求められ、鋼を大量生産できる、製鋼設備を備えた
新しい一貫製鉄所の建設が必要であった。

 

参考)
当時の釜石製鐵所の鉄の年間の生産量は、1890年4,000トン1891年は9,000トンであったが、
ちなみに若戸大橋の鉄の使用料28,000トンから比べても、非常に量的に少なかった。

 

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