お城の数が多いまち北九州市
多分お城の数では日本一ではないかと思います。
豊前の国が35城、筑前の国が15城。
一国一城令以降は多くの城が破壊され小倉城だけになりました。
若松城や黒埼城もその中の一つです。
【豊前の国】 35城
① 天賀城 戸畑区菅原
② 塔ヶ峰城 小倉南区井手浦
③ 虹山城 小倉南区蒲生
④ 貫城 小倉南区貫 別府
⑤ 朽網城 小倉南区朽網
⑥ 稗畑山城 小倉南区高津尾
⑦ 山本城 小倉南区山本
⑧ 椎山城 小倉南区志井
⑨ 長尾城 小倉南区長行
⑩ 長野城 小倉南区長野
⑪ 海老野城 小倉南区頂吉
⑫ 水上城 小倉南区頂吉
⑬ 大山ヶ岳城 小倉南区辻三
⑭ 小山ヶ岳城 小倉南区辻三
⑮ 赤松城 小倉南区道原
⑯ 高畑山城 小倉南区道原
⑰ 堀越城 小倉南区堀越
⑱ 福相寺城 小倉南区堀越
⑲ 木下城 小倉南区木下
⑳ 小倉城 小倉北区城内
21 足立城 小倉北区足原
22 若王子城 小倉北区富野
23 引地山城 小倉北区都
24 吉川城 八幡東区大蔵
25 三角城 八幡東区田代
26 猿喰城 門司区猿喰
27 伊川城 門司区伊川
28 寒竹城 門司区吉志
29 金山城 門司区黒川
30 丸山城 門司区大積
31 柳城 門司区大里
32 陣山城 門司区畑
33 三角山城 門司区門司
34 門司城 門司区門司字子城山
35 東明寺城 門司区東門司
① 高塔山城 若松区修多羅
② 若松城 若松区中島
③ 花房城 若松区畠田(岩尾山)
④ 黒埼城 八幡西区屋敷
⑤ 花尾城 八幡西区熊手花ノ尾(花尾城公園)
⑥ 市ノ瀬城 八幡西区市瀬
⑦ 帆柱山城 八幡西区市瀬(帆柱山)
⑧ 竹ノ尾城 八幡西区上上津役
⑨ 浅川城 八幡西区浅川
⑩ 畑城 八幡西区畑
⑪ 本城城 八幡西区本城(本城霊園)
⑫ 岡田浦城 八幡西区里
⑬ 茶臼山城 八幡東区大蔵
⑭ 多良倉城 八幡東区大蔵(皿倉山)
⑮ 篠谷城 八幡東区大蔵(大蔵中学校)
北九州から世界遺産を!
北九州の歴史や魅力について紹介しました。
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若松南海岸散策
若松南海岸の様子。
1898年の開港した若松港。
筑豊から、遠賀川と堀川を経て川ひらたで運ばれて来た石炭。
ごんぞうによって荷役作業が行われた場所。
近くに石炭の積出港があることで、官営製鐵所が対岸にできた。
そんな昔の状況を思い浮かべながら散策しました。
産業観光 / 八幡製鉄所 戸畑4高炉
そして、目の前で真っ赤に溶けた銑鉄が流れてくる様子を是非ご覧ください。
産業観光 / 八幡製鉄所では何をつくっている?
新日鐵住金㈱ 八幡製鐵所では何をつくっているでしょうか。
鉄づくりの最初の原料はこんなものです。
鉄源となる鉄鉱石、熱源及び還元材のコークス、副原料の石灰等
北九州の産業観光 / 新日鐵住金 八幡製鉄所
1901年に操業を開始した銑鋼一貫製鉄所で、日本の産業近代化に貢献した企業で、
粗鋼生産高は現在世界第2位。
最終製品は自動車鋼板、ジュース缶、食缶用ブリキ、建設用スパイラル鋼管
新幹線や列車にレール、変圧器などに使われる電磁鋼板、ステンレス厚板
粗鋼生産高世界第6位の新日本製鐵と第26位の住友金属工業が平成24年(2012年)
10月に合併し、世界第4位の粗鋼生産高を誇る、新日鐵住金㈱が誕生しました。
八幡をあげ、鉄づくりに必要な石炭の産地・筑豊炭田、豊富は水資源、気象条件や労働力等の理由で八幡が選ばれました。
官営八幡製鐵所の東田第一高炉の火入れは明治34年(1901年)2月5日で、昭和に入ると世界恐慌による鉄鋼不況で製鋼会社の合同が進められ、官営八幡製鐵所は1934年釜石鉱山(株)、三菱製鐵(株)、輪西製鐵(株)、富士製鋼(株)、九州製鋼(株)と合体し日本製鐵(株)八幡製鐵所となりました。
戦後、昭和25年(1950年)過度経済力集中排除法により日本製鐵(株)は4社に分割され、八幡製鐵所は八幡製鐵(株)となりました。
モデルになりました。
昭和42年(1967年)には日本初の連続鋳造設備を導入し、八幡製鐵(株)の鉄づくりは高度経済成長期に黄金時代を迎えました。
北九州の産業観光 / ニッカウヰスキー
鈴木商店が大正3年に設立した大里酒精製造所が始まり。
製造している、レンガ造りが特徴の工場です。
にかかる全ての工程を一貫して行う、日本でも有数の規模の焼酎工場です。
北九州の産業観光 / 関門製糖
門司の地で砂糖をつくり続けて100年の伝統企業です。
明治37年に設立さて、鈴木商店の飛躍の原動力となりました。
主な理由でした。
大日本明治製糖(株)(大日本製糖(株)と明治製糖(株)の合併会社)の砂糖製造を行う
生産受託会社となり、社名が関門製糖(株)になりました。
関門海峡を望む工場で砂糖を作り続けて108年、いまも現役の赤レンガ倉庫(建築年不詳)が
歴史を伝えています。
近代化産業遺産 / 河内貯水池
平穏な農村、また都市の児童の山村留学も受入れている教育先進地域。
その人達に立退きを快く応じてもらい、当時西日本最大の大事業が始まる。
用いた独自の設計で土木構造物への新しい挑戦をした。更に環境にも優しい
工法を積極的に採用し、将来市民の憩いの場所をすべく、橋から取水塔、
管理事務所に至るまで欧米風の洒落たデザインを凝らした。
惜しまぬ村人へ何としても恩返しでもあった。
8年の建設期間中1名の死者も出さなかった。
人達の親しまれている。
美観に優れたダムを作り上げた。
●悲しみを乗り越えて
押し潜めていた。
ようでもあった。
父そして5人の子供を次々と亡くした。そんな中明るく支えてくれたのが妻泰子。
悲劇であった。
河内貯水池完成の翌年に、白山宮の参道に隣接した土地を自費で購入し、
妻泰子への感謝と哀悼の想いをこめて妻恋の碑を建てた。
【漢文】
愛する妻の魂はどこにあるのか。麗しきあの人と今は世を隔て、
素晴らしき日々は夢に帰してしまった。散り行く桜の前にたたずむと
断腸の思い。
【英 文】
WHOSE SELF-SACRIFICE AND UNDER GOD’S BLESSING I HAVE ENABLED TO
CONSTRACT KAWACHI WATER WORKS.
植えられている。
●河内貯水池にかかる橋
それぞれの場所の景観に合わせて作った橋。
①太鼓橋
旧大里製糖所 (関門製糖)
1904年(明治37年)、合名会社鈴木商店によって造られた大里精糖所の工場群。
199号線バイパスが造られる際、工場敷地を縦断する格好となったため、いくつかの建物が
壊されたのだが、工場に許可を得て入らなくてもその歴史ある重厚な雰囲気を享受できる。
1907年(明治40年)大里精糖所は売却され、大日本製糖(株)門司工場となりました。
その後、西日本製糖(株)と社名が変わり、さらに2001年(平成13年)には日本甜菜製糖(株)と
大日本明治製糖(株)(大日本製糖(株)と明治製糖(株)の合併会社)の砂糖製造を行う
生産受託会社となり、社名が関門製糖(株)になりました。関門海峡を望む工場で砂糖を作り続けて
108年、いまも現役の赤煉瓦倉庫(建築年不詳)が歴史を伝えています。
●竣工時期
1904年(明治37年)
●構造
煉瓦造4階建他
●所在地
門司区大里本町1-2-1
●建築主/設計者/施工業者
鈴木商店/不詳/前田組