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鉄鋼の産業発展物語 第7話 / 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

 
日本初の高炉法への試み

1854年に薩摩藩が集成館で日本で最初に高炉を建設したが、原料の制約などから

本格的な生産体制は構築できなかった。 


  
  薩摩藩 集成館       北海道 古武井   

 

また、1855年には、函館奉公傘下の北海道古武井でも建設されるが、
砂鉄を原料とした高炉だったので成功しなかった。

 

 
近代製鉄の父・大島高任の挑戦
南部藩医を父とした、大島高任は1826年に盛岡で生まれた。
藩命を受けて1846年から長崎に留学、蘭学を学び、オランダ語の文献を通して
「西洋の兵法、砲術、鉱山、精錬に関する方法」を修めた。
「ロイク国立製鉄大砲鋳造所における鋳造法」の翻訳にも携わり、
更に自ら「西洋鉄鋼鋳造篇」も 翻訳し、ヨーロッパの製鉄技術に接した。
 
  
  大島高任      オランダ語の技術書
 
そして、全国各地で反射炉が建設される中、いち早く高炉の必要性に着目していた。
自信も、水戸藩の反射炉建設に際して、安定した大砲を製造するためには、
釜石鉱山の鉄鉱石を原料した洋式高炉法で均質が銑鉄を使用することが重要
であることを提言した。
 
釜石での日本初の洋式高炉
水戸藩の反射炉が完成した後、休暇をもらい、製鉄に有利な立地条件の南部藩に
帰国し高炉建設に取り組む。

高炉の経験のない大島高任は、自ら翻訳した蘭書に理論を基に技術化を図り、

大橋第1高炉を1857年3月に着工して、釜石の鉄鉱石を使って同年12月1日

火入れして初出銑を行った。

 

    
   洋式高炉の図面       橋野高炉跡

 

高炉の形状は、高さ6mx縦横4.2mの花崗岩積に上に

炉床径0,7mx炉腹径1.7mx高さ8.4mの円柱徳利状。

これを記念して12月1日が「鉄の記念日」と定められた。
当初から順調に操業が行われたのでなく、原料の事前処理や設備の改善、
製造法の幾多の試行錯誤が行われ、基本技術が確立した。
1858には南部藩直轄の橋野仮高炉が建設された。1862年には高炉2基を増設した。
 
釜石の有利な立地条件】 
①良質な鉄鉱石が近くで採掘できる
②製炭原料となる森林が確保できる
③高炉建設に必要な花崗岩や石材採取に最適
④送風装置の水車運転の動力源となる水流に近い
⑤東北地方に古来製鉄法に従事する技術者や労働者が多い

⑥交通条件や村落の産業基盤が整っている

釜石での洋式高炉による鉄づくりに成功したため、次は製鉄所建設に繋がる。

第8話では、八幡につながる釜石製鉄所の物語を紹介します。

 

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