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修繕工場 世界遺産
2015/09/27
Blog近代化産業遺産 製鉄編 日本の近代化製鉄を担ってきた明治の遺産/修繕工場 ドイツの会社が設計した鉄骨建築物です。当時の製鉄所には、製作加工や機械の組立、 修理を行う工場群があり、ここはその中心的な施設でした。 現存する日本で最も古い鉄骨構造の建物で、現在でも修理工場として使用されています。 建物南側の壁には赤煉瓦が積まれ、創業当時の面影が残っています。 ●竣工 …
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旧鍛冶工場
2015/09/27
Blog近代化産業遺産 製鉄編 日本の近代化製鉄を担ってきた明治の遺産/旧鍛冶工場 旧鍛冶工場はドイツの会社が設計、鋼材加工、仮組立を行った後、国内で建設された 鉄骨建築物です。 屋根はドイツ式の丸屋根形式、タイル張りされた床面は鉱滓煉瓦で作られています。 鍛冶工場では、高温に熱した鉄を大型のプレス機械でたたきながら形を整え、 機械据付け用の金物や大型の工具を作っていました。 …
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遠賀川水源地ポンプ室 世界遺産
2015/09/27
Blog近代化産業遺産 製鉄編 日本の近代化製鉄を担ってきた明治の遺産/遠賀川水源地ポンプ室 1906年に鋼材生産量をそれまでの2倍の18万トンとする第一次拡張計画が立案され、 更なる大量の水が必要となり、遠賀川から製鉄所まで水を送るため、 遠賀川水源地ポンプ室が造られました。操業当時は、蒸気ポンプを使用していましたが、 1950年に電動化されました。建物は今も当時のまま使用されています。 ●竣工時期 …
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くろがね線
2015/09/27
Blog近代化産業遺産 製鉄編 八幡製鐵所の戸畑地区と八幡地区を結ぶために敷設した構内専用鉄道。 1927年(昭和2年)起工し、3年の歳月をかけてつくり1930年(昭和5年)に完成した。 その工事は製鉄所の社員で行っており、中間地点に当たる総延長1180mの宮田山トンネルは 出水等に見舞われて難工事だった。 この設計は、河内貯水池建設の総指揮である沼田尚徳で、宮田山 …
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東田第一高炉 / 近代化産業遺産 in 北九州
2015/09/27
Blog近代化産業遺産ツアー ものづくりの息吹を感じる日本の産業近代化の聖地 世界でここだけ 高炉設備一式が完全な形で保存されているところ! 1901年(明治34年)日本の近代製鉄がここで生まれた。 多くの人々の手によって日本の産業近代化の礎がここで築かれた。 そして、日本の産業発展の道程、先人たちの功績を後世に伝えるべく 1972年(昭和47年)まで操業を …
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洞海湾
2015/09/27
Blog洞海湾から見た北九州 洞海湾から見た北九州市をクルージングルートに沿って紹介します。 クルージングに使用する船 第18若戸丸 (38総トン、全長16・3m、幅6m、定員140名) 1)若松北海岸 若松港を出発し、若戸大橋の下を通過すると、左側に若松そして右側が戸畑。 右を見える、新日鐵住金の製品岸壁を通過し、進路をやや右に撮ると関門海峡が目の前に拡が …
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近代製鉄発祥の地/東 田
2015/09/27
Blog日本の産業はここから始り、そして未来のまちづくりもここから! 東田地区の今日までの歩み 1896年(明治29年)に国会で製鐵所設置が承認され、数ある候補地の中から八幡に 決定されました。 そして、1901年(明治34年)に八幡東田の地で官営八幡製鐵所が産声を上げ、 日本の本格的な産業の歴史の幕が開きました。 1972年(昭和47年)に東田第一高炉が休止するまでの東田地区はものづくりの中心地として 貢献してきた。 高 …
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高見神社
2015/09/27
Blog殆ど知られていない世界遺産の裏側! 明治神宮の兄貴分である 高見神社の物語り❗ 八幡製鐵所の守護神であり、現在もなお北九州の産業の安全を守り続けている高見神社は、 製鉄所建設前は旧本事務所の近くにあった。 現在の高見神社 建設当時の製鉄所 貯水池や官舎を作るための用地確保のために移設を余儀なくされ、製鉄 …
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Space World
2015/09/27
BlogSpace World is the only amusement park in the World based around the theme of space, and was established under a licensing agreement with the US Space Camp Foundation in 1990. Ther …
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田中熊吉 「高炉の神様」
生涯現役を貫いた「高炉の神様」田中熊吉 私が尊敬する、日本の近代産業の礎を築いた一人「田中熊吉」を紹介します。 官営八幡製鐵所の東田第一高炉の建設時1899年(明治32年)に職工として入社。 100歳まで生きると宣言し、生涯現役を貫き通し、1972年(昭和47年)の数え年の100歳で 人生の幕を閉じる。 田中熊吉が建設から携わった東田第一高炉も、彼の没年に歴史の幕を閉じた。 現在では東田記念高炉をして残され、 …
