北九州の観光情報
九州の最北端に位置し、関門海峡を介して本州・山口県を繋がっている交通の要所です。
門司、小倉、若松、八幡、戸畑の5市が合併してできた人口94万人の政令指定都市です。
1889年に門司港が日本で初めて国際貿易港に指定され、1901年に八幡で近代製鉄所が誕生して
以来、日本の産業近代化を牽引してきたまちです。そして現在は世界の環境をリードする
環境未来都市です。
近代の北九州の歴史は「日本の産業近代化に貢献した北九州の歩み」をご覧ください。
勝山公園内にある北九州のランドマークである小倉城。
あまり大きく見えない天主閣であるが、実は全国で6番目の高さです。
1602年から細川忠興が約7年かけて唐造の天守閣を築城し、細川氏の熊本転封の後、1632年に
譜代大名である小笠原忠真が入城し、以後幕末まで小笠原氏が居城した。
門司港が1889年に大陸貿易の拠点として特別輸出港に指定され、この地に多くの産業が生まれ、
ここから日本の産業近代化が始まりました。
また、ノーベル物理学賞受賞のアインシュタインが1922年に初めて来日して、門司港に滞在し
その時に ❝見るもの全てが芸術作品❞と門司港を絶賛しました。
2017年(平成29年)には、門司港レトロを含む関門海峡が、”関門”ノスタルジック海峡として
日本遺産に登録されました。
日本の近代製鉄発祥の地で、日本の産業近代化をリードしてきた場所です。
さまざまな歴史を歩み、日本の産業発展に大きく貢献した場所です。
東田第一高炉 |
世界遺産・旧本事務所 |
八幡泊地 |
その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、「土木は悠久の記念碑」という
明治時代の初めまでは、普通の漁村にすぎませんでしたが、日本の工業の発展とともに、
石炭の需要が増えていき、石炭の積み出し港として発展していきました。
1898年(明治31年)には若松港が開港し、石炭がどんどんと鉄道を使って若松港に集められ
全国に送っていき、“石炭の町、若松”として日本中に知られていきます。
その当時に立てられた建築物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に
沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも美しい地域です。
標高622mの山頂から北九州市を一望できる皿倉山。
夜になると、日本新三大夜景にも指定されている、世界一ダイナミックな夜景が楽しめます。
山頂までは、皿倉山登山鉄道のケーブルカーとスロープカーを使えば、山麓駅から山頂駅まで
10分で行くことが出来ます。
また複数の登山ルートが整備されていますので、トレッキングを楽しむこともできます。
日本三大カルストと呼ばれ、北九州国定公園に指定されています。
最高峰は北九州市小倉南区の貫山 (712m) でその周辺には400m~600m級の山が点在する。
千仏鍾乳洞、目白洞、牡鹿洞、青龍窟などの鍾乳洞が点在し、大小のドリーネのある
カルスト地形が広がっています。トレッキング等にも最適の場所です。
1952年頃、個人の植物公園 「四季の丘」として開園し、市民に40数年間親しまれて
きました。1993年(平成5年)北九州市が買取り、約3年の年月をかけ公園の整備並びに改修工事を
行いました。1996年(平成8年4月)に「北九州市立 白野江植物公園」として 発足し、
現在に至っています。
北九州の遺産 及び 歴史スポット
関門海峡のストーリー性を持った歴史的価値が評価され、2017年(平成29年)に
“関門”ノスタルジック海峡が日本遺産に登録されました。関門地域を空から見下ろすと、
本州と九州とが互いに手を伸ばし、今にも陸続きになりそうな地形が目に入ります。
海峡を挟んだ両岸からは、山々が海にせり出すように対峙し、そこからは大型のタンカー
や旅客船が途切れることなく往来する海峡 景観とレトロな近代建築が建ち並ぶ街並みを
望むことができます。
北九州市門司区企救半島の北東端、瀬戸内海周防灘に面した小高い丘にあり、1872年
(明治5年)に竣工した複合低塔型灯台です。日本で12番目に点灯した洋式の灯台で、
「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの指導で建設しました。
この灯台の設置場所は、かつて僧清虚が13年間、焚火を焚き続けて灯台の役目を果たした、
遭難が多かった関門海峡東口で、今も航行の安全を見守り続けています。
旧サッポロビール九州工場の赤煉瓦建物などを保存活用した貴重な歴史的建造物です。
門司麦酒煉瓦館は旧工場事務所を改装し、ビールの歴史と門司麦酒工場・九州工場の沿革の
ほか、ビールの製造や原材料・缶・ビンのリサイクルについての解説展示を行っています。
門司麦酒煉瓦館をはじめ、現在残る醸造棟・旧組合棟(赤煉瓦写真館)・倉庫跡(赤煉瓦交流館)
の4つの建物は歴史的価値を認められ国の有形文化財に登録されています。
戸畑の夜宮公園の南隅の鬱蒼とした松林の中に溶け込むように邸宅の門を構える
アール・ヌーボーの館と称され、国の重要無形文化財に指定されています。
旧松本家住宅は、炭鉱主・実業家の松本健次郎が自分と家族の住宅と明治専門学校(父安川敬一郎と
ともに創立した学校で現在の九州工業大学)の迎賓館を兼ねて建てたものです。
若松港(現在の北九州港)の長さ770mの防波堤のうち約400mを、駆逐艦「涼月」
「冬月」「柳」の3隻の船体を沈設して作られました。 設置当初は船体そのものが防波堤の
役割を果たしていたが、のちに「涼月」「冬月」はコンクリートで完全に埋設されましたが、
「柳」は船体上部の船体の形を約80mにわたり留めています。軍艦防波堤からの対岸は
日本製鉄 九州製鉄所や若戸大橋、そして皿倉山まで望めます。
明治日本の産業革命遺産の遠賀川水源地ポンプ室。八幡製鐵所に水を供給するために1910年に稼働を
開始し、100年以上経過した今でも、当時と変わらぬ威厳のある姿のポンプ室から、毎日八幡製鐵所
(現日本製鉄 九州製鉄所)で必要とする水の約70%を休みなく送り続けている製鐵所の心臓部です。
戸畑と八幡を結八幡製鐵所の専用鉄道
八幡製鐵所は、戸畑で操業していた東洋製鐵と1921年に合併した当時から、戸畑地区で生成する
熔銑を船舶で八幡へと輸送していたが、海上輸送のリスクと不経済性が指摘されていた。
一方八幡地区では、高炉の溶銑をつくるときの副産物である鉱滓(スラグ)の処理が問題化していた。
これらの打開策として建設されたのが、戸畑地区と八幡地区を鉄道で結ぶくろがね線。
背後に足立山系を控えた、響灘と関門海峡を望む絶景スポットです。展望広場からは、眼下に
広がる日本製鉄 九州製鉄所の戸畑と小倉の工場群や武蔵、小次郎の決闘「舟島(巌流島)」、
そして関門橋も望むことができます。江戸時代は、小倉小笠原藩の家老宮本伊織の所領地で、
明治から昭和にかけては旧日本軍の砲台地、終戦後は公園になったという歴史があり、
園内では、武蔵・小次郎の碑や探照灯台、砲座跡などの石碑や史跡に出会えます。
手向山公園 展望広場 |
日本製鉄 九州製鉄所 |
巌流島と関門橋 |
北九州の地図
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