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関門海峡花火大会 / 食事付・指定席で観賞

桟敷席で関門海峡の夜空を彩る花火を楽しもう!
海峡の夜空を彩る大輪の花!
                            

九州で一番人気のある「関門海峡花火大会」
  門司と下関の両岸から打ち上げられる 1万3000発の迫力ある美しい花火!
  海峡ドラマシップの桟敷席でゆっくり食事しながら、花火を楽しみましょう。
    


日 程      8月13日(日)
       ・受付・入場時間      18:30~

        ・花火打上時間      19:40~20:40

 


 

観賞場所   海峡ドラマシップ
 ・5階 レストラン 
海峡ふくステージ 
   関門海峡が一望できる最高の花火スポット
 ・2階 テラス席 
   目の前で揚る花火のド迫力が楽しめる花火スポット

アクセス : JR門司港駅から徒歩6分
                  門司区西海岸1-3-3

 

 


 

料 金

5階 レストラン     12,500円 (ふぐ定食+ワンドリンク) 
2階 テラス席       7,500円 (花火弁当+ワンドリンク)


お申込方法
下記へ電話、Fax又はEメールでご連絡ください。
皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

お問合せ・お申込み先 
             
ジャパン九州ツーリスト(株)
 
電話 093-521-8897   FAX 093-521-8898
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メール info@japan-kyushu-tourist.com
802-0001
福岡県北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6

 

英語を学びながら楽しむ! 北九州世界遺産バスツアー

COOL Japanを探そう

英語を学ながら巡る
 
外国人が感動するまち北九州

英語に興味のある皆様向けの企画
バスツアー & ウォーキングツアー

他の地域にない、外国人が求めている COOL Japanがある
魅力的なまち北九州

そんな我がまちを外国人から見た視点で案内する
英語ツアー。英語と日本語の2ヶ国語で交互に
ガイドします。

外国人が感動する場所を巡るバスツアー
 外国人の未体験のゾーンをくすぐる、数多くの
COOL Japanを紹介します

●日程 7月9日(日)
●参加人数 Max 40名(最少25名)
●交通手段 貸切バス利用
●料金 4,500円(資料代含む)

行 程

9:00 JR小倉駅新幹線口出発 → めかり第二展望台→関門人道トンネル
みもすそ川公園 → 関門橋(バス)→門司港レトロ散策と昼食(自由食)
小倉城 → 旦過市場 → 16:00 JR小倉駅新幹線口解散


世界遺産がある東田を巡るウォーキングツアー

 


ヨーロッパから200年以上も遅れていた日本の産業

わずか150年で世界一の工業立国になった日本、その近代化の舞台が北九州。その急速な産業発展の訳と歩みを、
産業遺産を巡りながら紹介します   
●日程 7月15日(土)
●参加人数 Max 30名(最少15名)
●参加費 2,000円(資料代含む)

行 程(ウォーキング)

9:00 北九州イノベーションギャラリー→ 東田第一高炉 
→ 八幡泊地  →世界遺産・旧本事務所
12:00 JRスペースワールド駅解散


ツアーのガイド 
ジャパン九州ツーリスト㈱ 代表取締役 近藤政一
海外経験が豊富、新日鐵時代に下記国々で滞在し業務を
行ったアルゼンチン、ブラジル、アメリカ、フィンランド、イタリア、南アフリカ
現在、北九州、福岡を中心に外国人向けの旅行サービスを展開

お問合せ   (日本語又は英語で対応します)           
ジャパン九州ツーリスト(株) 福岡県知事登録旅行業 第3-688
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福岡県北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6

The Industry Club of West Japan (西日本工業倶楽部)

The Industry Club of West Japan, was built in 1911 as the house of the late Kenjiro Matsumoto.
A western style building was placed side by side with a Japanese style building.
This is a typical residence of high society in the latter part of Meiji era (1868-1912) and is designated
as important cultural property in Japan; a building remaining as it was.
 
     
 
This western style building was designed by Dr. Kingo Tatsuno, a pioneer of Japanese modern architectural world, and its appearance has a picturesque style of architecture.
Especially, half-timbered wall and detail design of “Art Nouveau” are of their own reminiscent
of good old days.
 
     
 
The Japanese style building, on the other hand, is of the Shoin-style, which was originated probably
in the living quarter of Zen-temple and adopted by the warrior class after the late Muromachi period
(the late fifteen century), and has carriage porch, A large reception room “Ozashiki” and a central
living room “Chuoshoin”.
 
This house is equipped with high class furnitures which Matsumoto procure from the inside and
outside of Japan, and most of them, including a large tapestry above the landing and stained
glasses in the Western style building, are well preserved as they were.

Besides, Japanese landscape garden, with Konpirasan (a small hill) for background, gives visual pleasure to visitors in the aspect of nature as it changes from season to season.

 

Showa no machi in Bungo Takada (昭和の町)

Showa no machi
Showa is the era that lasted till about 30 years ago in Japanese history, Bungo Takada was the most prosperous in Kunisaki Peninsula for over 300 years from the Edo period up to 1900.
Here remains various old structures and remnants of regional Japanese cities in the 60’s-when the shopping district culture was as its height.


This shopping district itself is like time travel theme park. 
It comes with a facility replicating some of the old residential buildings and school classrooms, as well as a museum displaying nostalgic toys from old days.

  

  
 


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世界遺産物語 第6話 / 反射炉で始まった日本の鉄づくり

世界遺産物語 第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり

 

なぜ反射炉を造ったのか
ヨーロッパに対し300年も遅れていた日本の鉄づくりの技術では大型の洋式大砲を
製造することは困難であったが、外国の技術者を外国の技術者を招聘することの
叶わない時代でもあった。

   
 ヨーロッパの反射炉       ヒュゲンの技術書

そこで、佐賀藩の鍋島直正はオランダのヒュゲン著の技術書「ロイク国立製鉄大砲鋳造所に
おける鋳造法」
の翻訳を伊東玄朴に命じて大島高任達と完成させた。
鋳造の原理しか記載していない技術書を解読しながら反射炉の建設が始まる。
 
各地で建設された反射炉
1853年に佐賀藩が、江戸で反射炉試作を行った江川英龍の協力を得ながら築地反射炉
完成させ、日本で初めて銑鉄性の大砲を製造した。

  
      萩反射炉             韮山反射炉

同年に島原藩も現在の大分県宇佐に佐田反射炉を完成させ海防の強化を図った。
水戸藩では徳川斉昭が南部藩士の大島高任を招き、1854年に那珂湊反射炉を完成させた。
更に、1857年には那珂湊2号反射炉も完成させた。
萩藩は佐賀藩の技術を導入し、1854年に試験用の萩反射炉を建設するも、実用化はされなかった。
この反射炉は現存し、世界遺産に登録された。
薩摩藩も佐賀藩の協力を得て、1857年に集成館反射炉を完成させ、日本初の近代的な方法で
大量生産を行った。
江戸幕府は、江川英龍の指導の基で、当初下田に建設する予定であったが、ペリー艦隊の水兵
の侵入事件が起こり、1857年に韮山反射炉を完成させた。これも現存し世界遺産に登録された。
また、鳥取藩六尾反射炉を1857年に完成させた。
更に、江戸幕府は東京水道橋に滝野川反射炉を1864年に完成させる。
 
日本各地の反射炉で造られた大砲は、幕末には外国勢力への牽制や明治維新に入って
1868年に勃発した戊辰戦争で用いられたと言われている。
 
反射炉建設の背景と問題点
日本の反射炉の基となった「ロイク国立製鉄大砲鋳造所における鋳造法」は、
1783年にイギリスのH.コートが開発したパドル法の反射炉であった。
反射炉で鉄(鋼)をつくるには一回の作業に10時間以上を要し、得られる鋼は少ないため
大量生産に向いていなかった。
そのためヨーロッパでは次第に反射炉法が廃れ、連続的に大量生産できる高炉法に移行し、
高炉の技術が急速に発達していった。
しかし当時の日本では鉄づくりの技術も遅れていたため、古来の「たたら製鉄」みたいに砂鉄を
原料として、反射炉を使う方法を採用し、上述のように各地で多くの沢山建設された。
 
反射炉法から高炉法への移行
反射炉の欠点をいち早く見抜き、最初から高炉法の重要性に着目したのが、南部藩の大島高任
であった。

  
     大島高任           釜石の洋式高炉跡

最初大島は水戸藩徳川斉昭の依頼で、1854年に那珂湊反射炉を建設するが、
安定して鉄を大量に生産するためには高炉が必要だと、釜石において日本で最初の
洋式高炉建設に取り掛かる。
 
第7話は、舞台を釜石に移し、高炉による鉄づくりを紹介します。


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第5話 / 日本の産業革命の始まり

世界遺産物語 第5話 日本の産業革命の始まり
 
300年も遅れていた日本の鉄づくり
日本で初めて、佐賀藩で反射炉法による鉄づくりが行われた1853年当時は、
ヨーロッパに対して約300年以上も技術が遅れていた。
1490にはイギリスで高炉操業が始まり1543年には鋳鉄製大砲の生産を開始した。
そして、1709年にはコークスによる高炉操業に成功した。
1783にはパドル法反射炉が開発されたが、反射炉では高品質の鋼を効率的に
量産できなかった。 そのから、次第に高炉法による鉄づくりに移行していった。
そして日本で初めて反射炉で鉄づくりが始まった時は既に、高炉法によって
高品質の鉄を連続的に量産できる技術が発達していた。
 
日本の産業革命の始まり
鎖国政策で海外との交易をオランダと中国に限定していたが、次第に外国船が来航し、
日本との
交易を求めてきたが、幕府はそれを断り続けた。

            
     鍋島直正         技術書            反射炉

しかし、植民地化の危機が迫って来たため、日本各地で国防の機運が高まった。
そして、最初に行動を起こしたのが、長崎の警備を担当する佐賀藩鍋島直正で、
1847年に幕府に海防の必要性を献策するも、その提案は却下された。
そのため、佐賀藩は独自で動いた、それが大砲をつくるための反射炉をつくることであった。
しかし、上述のようにヨーロッパに対して300年も技術が遅れている日本が、外国の技術者を
招聘することの叶わない時代でもあった。
そこで、鍋島直正はオランダのヒュゲン著の技術書「ロイク国立製鉄大砲鋳造所における鋳造法」
の翻訳を伊東玄朴に命じて大島高任達と完成させた。
 
これが、日本が産業革命を行う第一歩であった。
今まで古来の「たたら製鉄」でしか鉄をつくったことのない日本が、原理しか記載していない
ヨーロッパの技術書を解読しながら、反射炉づくりを開始した。
 
第6話では、苦難の反射炉づくりを紹介します。


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる 
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第4話 / 幕末の日本に変化が起きる

世界遺産物語 第4話 幕末の日本に変化が起き始める
 
鎖国政策で海外との交易をオランダと中国に限定していたが、17世紀に入って
次第に外国船が来航し、日本との交易を求めてきた。

1647
年にポルトガル、1673年にはイギリスが国交回復のため来航、1894年には
長崎にロシアが来航するも幕府は断り続けた。

  

1824年には、水戸の大津浜に英国捕鯨船員が上陸する事件、1837年にはモリソン号事件
日本人漂流民を乗せたアメリカ商船が鹿児島湾と浦賀沖に現れ、日本が砲撃した。
1840年のアヘン戦争でイギリスが中国を占領した情報も入り、日本各地で海防強化の
気運が高まった。
1847年には長崎の警備を担当する佐賀藩の鍋島直正が幕府に海防の必要性を献策するも、
その提案は却下された。
そして、1853年には決定的な出来事である、アメリカのペリー率いる黒船が来航してきた。
 
植民地化の危機が迫る日本はどのように対応していくのか?
 
つづきは第5話で紹介します。


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第3話 / 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり

世界遺産物語 第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
 
豊臣秀吉の死後、1600年の関ヶ原に勝利した徳川家康は、1603年に江戸幕府を創設した。
そして1867年の大政奉還までの260年間の長きにわたって武家政権が続いた。
幕府は様々な施策を講じて長期政権の安泰を図る。

    

日本の植民地化を防ぐために、1612年にはキリシタン禁止令を発令した。
そして、鎖国政策をとり、外国との交易を制限する。
既に、豊臣秀吉が発令したバテレン追放令(ポルトガルとの交易を断絶)に続き、
1624年にスペインとの国交も断絶した。
1635年には長崎の出島でオランダと中国のみとの交易に限定した。
実際には、薩摩に支配されていた琉球王国での中国との交易や渡島半島の松前氏
による北方交易も行っていた。
 
そして、国内重視の政策をとり、武家諸法度をつくって幕府に反抗できないようにした。
更に、大型船の製造禁止参勤交代一国一城令手代普請など実施し
江戸幕府防衛を行っていき政権が安定してくる。
 
江戸時代初期・中期の鉄づくり
幕府の政策によって、世の中は落ち着き、城下町や都市の形成に伴って、
市民生活に必要な鉄の需要が高まった。


製鉄用のたたら炉の大型化、地下構造の充実が進み、輸送・流通事情も改善され、
鉄生産が中国地方に集約されるようになり、製鉄技術も進歩して行った。

第4話は幕末に舞台が移る。


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第2話 / 種子島に鉄砲伝来

世界遺産物語 種子島に鉄砲伝来

●日本に大きな変化が起きる
1543年にポルトガル人が、種子島に来て鉄砲を伝えられ、それを機に
外来の文化が入り始め、日本の中に変化が起き始める。

   

そして、1549年にはフランシスコ ザビエルが薩摩に来て、それから平戸、
山口などを訪問しキリスト教を伝えた。
1571年にはポルトガル船の寄港地として長崎が開港され、長崎の統治を
イエズス会に託す。

豊臣秀吉は外国に日本が占領されるのではないかと、1587年のバテレン追放令を出し、キリスト教と南蛮貿易を禁止する。

そして1588年には、豊臣秀吉が幕府の長崎を直轄地とする。
ポルトガル人に侵略を阻止するための手段として、キリスト教を封じるため、
159725日に26人のキリスト教信者が長崎の西坂の丘で磔によって処刑される。
後にカトリック教会に
「日本26聖人」をして聖人に加えられた。

そして、1598に豊臣秀吉が生涯の幕を閉じ、時代は変わって行く。

鉄砲伝来後、日本の鉄づくりが急速に発展する。

 


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉

世界遺産物語 第1話 / 日本最古の鉄器は糸島で出土

世界遺産物語 第1話 日本最古の鉄器は糸島市二丈町で発見 

●明治日本の産業革命遺産
201575日に世界文化遺産に登録された、製鉄・製鋼、造船及び石炭産業の
遺産群で、8県(岩手県、静岡県、山口県、福岡県、佐賀県、
熊本県、長崎県、
鹿児島県)にまたがる23の施設で構成されている。

   

登録された目的は、施設そのもの(有形)の価値が認められたのではない。
世界中の誰もが成しえなかったことを、ドラスティックな産業革命とその後の
急速な産業発展(無形の事柄)が高く評価されたことによる。

【世界遺産物語とは】
ヨーロッパに比べて重工業が非常に遅れていた日本が、どのようにして
ヨーヨッパから技術を学び、産業革命を行い、急速な産業発展がなされたのかを
時代を遡ってその物語を紹介します。

●物語の始まり
鉄は稲作とともに伝わったと言われている。

日本で最も古い鉄器は、縄文時代(紀元前3~4世紀)と言われていれ、
福岡県糸島市二丈町で出土した。

  


弥生時代
に入ると、稲作も盛んになり、斧や鍬など農機具が鉄で
造られるようになる。
その方法は「たたら製鉄」によるもので、砂鉄を用い、木炭の燃焼熱によって
砂鉄を還元し、鉄をつくる方法。
 
古代のたたら製鉄は、北部九州、中国地方や東北など始めとする
日本各地で行われた。
11世紀以降、砂鉄の豊富な中国地方で大型炉による鉄づくりが始まった。
15世紀の室町時代後半に入ると刀の需要が急速に増え、各地で刀鍛冶が
発達して行く。
 
1543に、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えた。
その一年後の1544年には、種子島の鍛冶工・八坂清定が日本初の鉄砲をつくった
その方法は、鍛造で鉄の板をつくり、それを丸い棒に巻き付け、
溶着させる。ねじのない時代に鉄製の栓をつくり、それを溶着させて
片方を塞ぎ、苦心の末鉄砲を完成させた。
恐るべき創造力と職人業であり、これが今日のものづくり日本の原点ともいえる。
 
その後、刀鍛冶の盛んな地域である、和泉・堺近江・国友近江・日野
備前・長船、そして城下町鹿児島仙台などで鉄砲が造られるようになる。

そして、豊臣秀吉の時代に入って、刀や鉄砲づくりの技術は更に進んでいく。
 


ー世界遺産物語の目次ー

第一篇 
古来の鉄づくりから官営八幡製鐵所創業までの歩み
・第1話 日本最古の鉄器は糸島で出土
・第2話  種子島に鉄砲伝来
・第3話 江戸幕府の政権安定策と鉄づくり
・第4話 幕末の日本に変化が起きる
・第5話 日本の産業革命の始まり 
・第6話 反射炉で始まった日本の鉄づくり
・第7話 釜石で始まった洋式高炉による鉄づくり

・第8話 釜石から八幡へ
・第9話 官営製鐵所建設の背景 その1 
・第10話 
官営製鐵所建設の背景 その2
・第11話 野呂景義による幻の製鉄所建設計画 
・第12話 
営製鐵所建設地が八幡に決定
・第13話 わずか4年で田畑に製鉄所をつくった偉業
 
第二編 八幡製鐵所創業から終戦までの歩み
・第 1話 八幡製鐵所の苦難の船出
・第 2話 日露戦争が八幡製鐵所拡張に拍車をかける
・第 3話 日露戦争後の反動不況と鉄鋼需要の伸び
・第 4話 第一次世界大戦後に鉄鋼需要が大幅に伸びる
・第 5話 河内貯水池物語
・第 6話 くろがね線物語
・第 7話 高見神社物語
・第 8話 満州事変と洞岡地区の拡張
・第 9話 戦争時代の終焉