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溶岩なぎさ遊歩道
2021/04/21
Christian Pilgrimage tour桜島港から西へ広がる大正溶岩地帯、その海岸の一角から烏島展望所までの約3キロが 遊歩道になっています。ジョギングやサイクリングには格好のロードで、岩場では海苔や ワカメ、貝捕りなどを楽しむことができます。また、メジナやカサゴをはじめ一年中魚種が 豊富です。絶好のポイントばかりで最高の釣り場にもなっています。周辺には、金子兜汰を はじめ、有名俳人たちの句碑が立ち並んでいます。 基本情報 ・住 所 鹿児島県鹿児島市桜島横山町 ・アクセス 桜島港から徒歩で10分、車で3分 桜島の地図 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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鉄鋼の産業発展物語 第5話 / 日本の産業革命の始まり
2021/04/21
鉄鋼の産業発展物語300年も遅れていた日本の鉄づくり 日本で初めて、佐賀藩で反射炉法による鉄づくりが行われた1853年当時は、 ヨーロッパに対して約300年以上も技術が遅れていた。 1490年にはイギリスで高炉操業が始まり、1543年には鋳鉄製大砲の生産を開始した。 そして、1709年にはコークスによる高炉操業に成功した。 1783年にはパドル法反射炉が開発されたが、反射炉では高品質の鋼を効率的に 量産できなかった。 そのから、次第に高炉法による鉄づくりに移行していった。 そして日本で初めて反射炉で鉄づくりが始まった時は既に、高炉法によって 高品質の鉄を連続的に量産できる技術が発達していた。 日本の産業革命の始まり 鎖国政策で海外との交易をオランダと中国に限定していたが、次第に外国船が来航し、 日本との交易を求めてきたが、幕府はそれを断り続けた。 鍋島直正 技術書 反射炉 しかし、植民地化の危機が迫って来たため、日本各地で国防の機運が高まった。 そして、最初に行動を起こしたのが、長崎の警備を担当する佐賀藩の鍋島直正で、 1847年に幕府に海防の必要性を献策するも、その提案は却下された。 そのため、佐賀藩は独自で動いた、それが大砲をつくるための反射炉をつくることであった。 しかし、上述のようにヨーロッパに対して300年も技術が遅れている日本が、外国の技術者を 招聘することの叶わない時代でもあった。 そこで、鍋島直正はオランダのヒュゲン著の技術書「ロイク国立製鉄大砲鋳造所における鋳造法」 の翻訳を伊東玄朴に命じて大島高任達と完成させた。 これが、日本が産業革命を行う第一歩であった。 今まで古来の「たたら製鉄」でしか鉄をつくったことのない日本が、原理しか記載していない ヨーロッパの技術書を解読しながら、反射炉づくりを開始した。 第6話では、苦難の反射炉づくりを紹介します。 鉄鋼の産業発展物語 / 目 次 へ
