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海の中道海浜公園
2021/04/29
Christian Pilgrimage tour博多湾と玄界灘の2つの海に囲まれた砂州状の地形「海の中道」に位置する、 東西に約6キロメートル、面積約300ヘクタールと広大な敷地を有する国営公園です。 一年を通して季節の花々が楽しめるほか、リスザルやカピバラといった動物たちと ふれあえる「動物の森」、屋外レジャープールなど、都市部にありながら様々な レジャーがお楽しめます。 基本情報 ・住 所 福岡市東区西戸崎18-25 ・アクセス 電車:JR博多駅からJR香椎駅乗換、JR海ノ中道駅下車(乗車約30分) 車:都市高速内回り環状線、呉服町ランプor博多駅東ランプから香椎線へ、 香椎浜ランプから一般道、アイランドシティの海ノ中道大橋を 抜けてマリンワールドへ(約40分) ・料 金 大人450円 小中学生以下 無料 福岡市の地図 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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マリーンワールド海の中道
2021/04/29
Christian Pilgrimage tour海ノ中道海浜公園にある水族館で展示テーマは『九州の海』です。 熱帯から温帯、寒帯の魚350種類20,000点を暮らしぶりそのままに見ることができます。 館内には、魚類の他にイルカ、ゴマフアザラシ、ラッコ、ウミガメなどが展示されている。 イルカ・アシカショーや巨大なシロワニが泳ぐパノラマ大水槽が目玉です。 基本情報 ・住 所 福岡市東区西戸崎18-28 ・アクセス 電車の場合:JR博多駅からJR香椎駅乗換、JR海ノ中道駅下車(乗車約30分)、 徒歩5分 車の場合:都市高速内回り環状線、呉服町ランプor博多駅東ランプから香椎線へ、 香椎浜ランプから一般道、アイランドシティの海ノ中道大橋を抜けて マリンワールドへ(約40分) ・料 金 大人2,350円 小中学生 1,100円 幼児(3歳以上 小学生未満)600円 福岡市の地図 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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能古島
2021/04/29
Christian Pilgrimage tour福岡から最も近い離島、年中花畑 博多湾の中央に位置し、南北3.5キロメートル、東西2キロメートル、周囲12キロメートル、 最高標高195.0メートル、姪浜渡場からフェリーで10分で行ける身近な行楽地です。 能古島は福岡でも屈指の菜の花・桜・コスモス・水仙の名所で、満開のころは一年で最も 賑わいます。 姪浜渡場からフェリーで10分、西鉄バスでのこのしまアイランドパークへ13分 基本情報 ・住 所 福岡市西区能古 ・アクセス JR博多駅から西鉄バス能古渡船場行きで45分、 終点で市営渡船能古島行きに乗り換えて10分、能古渡船場下船、 西鉄バスアイランドパークきに乗り換えて6分、小平谷下車すぐ 福岡市の地図 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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秋 月
2021/04/28
Christian Pilgrimage tour標高約860m古処山の麓の町で三方を山で囲まれ、南に開けた町です。 中世に秋月氏が古処山に山城を築き、秋月氏16代、近世になって黒田氏が12代と 城下町としての歴史は大変古く、現在の街並みは黒田氏によってつくられました。 「筑前の小京都」とも称される美しい城下町です。最も風情を増すシーズンは、 春の杉の馬場の桜そして歴史ある建造物を艶やかな紅葉が彩る秋です。 基本情報 ・住 所 福岡県朝倉市秋月 ・アクセス 車の場合:大分自動車道 甘木ICより30分 秋月の周辺地図 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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カーボン・ニュートラルとは
2021/04/26
Christian Pilgrimage tour菅総理大臣は2020年11月21日のG20リヤド・サミットで2050年までに温室効果ガス排出を 実質ゼロにする「カーボン・ニュートラル」の実現を目指す決意を改めて表明しました。 カーボン・ニュートラルとは、ライフサイクル全体で見たときに、二酸化炭素(CO2)の 排出量と吸収量とがプラスマイナスゼロの状態になることを指します。 二酸化炭素の吸収は、植物の光合成の時に行われます。植物が成長するときに大気中の二酸化炭素の 炭素原子を取り込んで有機化合物を作るときに成長していきます。 従って、緑を増やすことは地球温暖化防止に大きな効果があります。 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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二酸化炭素はどこから排出されるのか
2021/04/26
Christian Pilgrimage tour地球温暖化と二酸化炭素は密接な関係があり、地球温暖化の主な原因とされている温室効果ガスの 大半を二酸化炭素が占めています。 JCCCA(全国地球温暖化防止活動推進センター)によると、人類が発生させている温室効果ガスの 76%が二酸化炭素と考えられています。 二酸化炭素は基本的には「もの」を燃焼したら生成されるガスです。 特に18世紀以降に石油や石炭そして天然ガスをエネルギー源として使うようになって、 二酸化炭素が大量に排出されるようになりました。 その主な排出源は、産業界、発電や自動車等が上げられます。 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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地球温暖化の原因
2021/04/26
Christian Pilgrimage tour地球温暖化は温暖化効果ガスが地球の廻りに蓄積することにより 地球上の温度が上昇します。 その温暖化効果ガスは下記のものが上げられます。 ・二酸化炭素(CO2) ・メタンガス(CH4) ・一酸化二窒素(N2O) ・ハイドロフルオロカーボン(HFC) など この中で、特に問題となっているのが二酸化炭素です。 二酸化炭素の排出量は年々増加しています。増加の原因として、化石燃料(石炭や石油等)の 大漁消費や森林伐採による吸収源の低下が上げられます。 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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鉄鋼の産業発展物語 第5話 / 日本の産業革命の始まり
2021/04/21
鉄鋼の産業発展物語300年も遅れていた日本の鉄づくり 日本で初めて、佐賀藩で反射炉法による鉄づくりが行われた1853年当時は、 ヨーロッパに対して約300年以上も技術が遅れていた。 1490年にはイギリスで高炉操業が始まり、1543年には鋳鉄製大砲の生産を開始した。 そして、1709年にはコークスによる高炉操業に成功した。 1783年にはパドル法反射炉が開発されたが、反射炉では高品質の鋼を効率的に 量産できなかった。 そのから、次第に高炉法による鉄づくりに移行していった。 そして日本で初めて反射炉で鉄づくりが始まった時は既に、高炉法によって 高品質の鉄を連続的に量産できる技術が発達していた。 日本の産業革命の始まり 鎖国政策で海外との交易をオランダと中国に限定していたが、次第に外国船が来航し、 日本との交易を求めてきたが、幕府はそれを断り続けた。 鍋島直正 技術書 反射炉 しかし、植民地化の危機が迫って来たため、日本各地で国防の機運が高まった。 そして、最初に行動を起こしたのが、長崎の警備を担当する佐賀藩の鍋島直正で、 1847年に幕府に海防の必要性を献策するも、その提案は却下された。 そのため、佐賀藩は独自で動いた、それが大砲をつくるための反射炉をつくることであった。 しかし、上述のようにヨーロッパに対して300年も技術が遅れている日本が、外国の技術者を 招聘することの叶わない時代でもあった。 そこで、鍋島直正はオランダのヒュゲン著の技術書「ロイク国立製鉄大砲鋳造所における鋳造法」 の翻訳を伊東玄朴に命じて大島高任達と完成させた。 これが、日本が産業革命を行う第一歩であった。 今まで古来の「たたら製鉄」でしか鉄をつくったことのない日本が、原理しか記載していない ヨーロッパの技術書を解読しながら、反射炉づくりを開始した。 第6話では、苦難の反射炉づくりを紹介します。 鉄鋼の産業発展物語 / 目 次 へ
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鉄鋼の産業発展物語 第6話 / 反射炉で始まった日本の鉄づくり
2021/04/20
鉄鋼の産業発展物語なぜ反射炉を造ったのか ヨーロッパに対し300年も遅れていた日本の鉄づくりの技術では大型の洋式大砲を 製造することは困難であったが、外国の技術者を外国の技術者を招聘することの 叶わない時代でもあった。 ヨーロッパの反射炉 ヒュゲンの技術書 そこで、佐賀藩の鍋島直正はオランダのヒュゲン著の技術書「ロイク国立製鉄大砲鋳造所に おける鋳造法」の翻訳を伊東玄朴に命じて大島高任達と完成させた。 鋳造の原理しか記載していない技術書を解読しながら反射炉の建設が始まる。 ●各地で建設された反射炉 1853年に佐賀藩が、江戸で反射炉試作を行った江川英龍の協力を得ながら築地反射炉を 完成させ、日本で初めて銑鉄性の大砲を製造した。 萩反射炉 韮山反射炉 同年に島原藩も現在の大分県宇佐に佐田反射炉を完成させ海防の強化を図った。 水戸藩では徳川斉昭が南部藩士の大島高任を招き、1854年に那珂湊反射炉を完成させた。 更に、1857年には那珂湊2号反射炉も完成させた。 萩藩は佐賀藩の技術を導入し、1854年に試験用の萩反射炉を建設するも、実用化はされなかった。 この反射炉は現存し、世界遺産に登録された。 薩摩藩も佐賀藩の協力を得て、1857年に集成館反射炉を完成させ、日本初の近代的な方法で 大量生産を行った。 江戸幕府は、江川英龍の指導の基で、当初下田に建設する予定であったが、ペリー艦隊の水兵 の侵入事件が起こり、1857年に韮山反射炉を完成させた。これも現存し世界遺産に登録された。 また、鳥取藩も六尾反射炉を1857年に完成させた。 更に、江戸幕府は東京水道橋に滝野川反射炉を1864年に完成させる。 日本各地の反射炉で造られた大砲は、幕末には外国勢力への牽制や明治維新に入って 1868年に勃発した戊辰戦争で用いられたと言われている。 ●反射炉建設の背景と問題点 日本の反射炉の基となった「ロイク国立製鉄大砲鋳造所における鋳造法」は、 1783年にイギリスのH.コートが開発したパドル法の反射炉であった。 反射炉で鉄(鋼)をつくるには一回の作業に10時間以上を要し、得られる鋼は少ないため 大量生産に向いていなかった。 そのためヨーロッパでは次第に反射炉法が廃れ、連続的に大量生産できる高炉法に移行し、 高炉の技術が急速に発達していった。 しかし当時の日本では鉄づくりの技術も遅れていたため、古来の「たたら製鉄」みたいに砂鉄を 原料として、反射炉を使う方法を採用し、上述のように各地で多くの沢山建設された。 ●反射炉法から高炉法への移行 反射炉の欠点をいち早く見抜き、最初から高炉法の重要性に着目したのが、 南部藩の大島高任であった。 大島高任 釜石の洋式高炉跡 最初大島は水戸藩の徳川斉昭の依頼で、1854年に那珂湊反射炉を建設するが、 安定して鉄を大量に生産するためには高炉が必要だと、釜石において日本で最初の 洋式高炉建設に取り掛かる。 第7話は、舞台を釜石に移し、高炉による鉄づくりを紹介します。 鉄鋼の産業発展物語 / 目 次 へ
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鉄鋼の産業発展物語 第4話 / 幕末の日本に変化が起きる
2021/04/22
鉄鋼の産業発展物語鎖国政策で海外との交易をオランダと中国に限定していたが、17世紀に入って 次第に外国船が来航し、日本との交易を求めてきた。 1647年にポルトガル、1673年にはイギリスが国交回復のため来航、1894年には 長崎にロシアが来航するも幕府は断り続けた。 1824年には、水戸の大津浜に英国捕鯨船員が上陸する事件、1837年にはモリソン号事件で 日本人漂流民を乗せたアメリカ商船が鹿児島湾と浦賀沖に現れ、日本が砲撃した。 1840年のアヘン戦争でイギリスが中国を占領した情報も入り、日本各地で海防強化の 気運が高まった。 1847年には長崎の警備を担当する佐賀藩の鍋島直正が幕府に海防の必要性を献策するも、 その提案は却下された。 そして、1853年には決定的な出来事である、アメリカのペリー率いる黒船が来航してきた。 植民地化の危機が迫る日本はどのように対応していくのか? つづきは第5話で紹介します。 鉄鋼の産業発展物語 / 目 次 へ
