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Self-guided tour
2022/01/20
Japan tours to KyushuMake an Enquiry How to Book This is the journey to explore by yourself independently without a escorted Tour leader o …
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標準旅行業約款
2022/08/08
●標準旅行業約款English 弊社がご案内する旅の旅行契約締結に際しては、旅行業法第12条2項及び3項に定められ、 国土交通大臣が制定公示した「標準旅行業約款」が適用となります。 &nb …
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八幡泊地
2021/06/05
NEWS日本の近代産業の歴史はここから始まった 八幡製鐵所がこの地に建設され、製品積出しに頻繁に利用され、日本産業の最前線を 担ってきました。 現在は港湾緑地帯として整備され、ベンチに座り洞海湾を望むことのできる市民の憩いの場 となっており、ウォーキングやジョギングに最適の場所で、美しい夕陽も望めます。 製鉄所建設と八幡泊地の歴史 八幡は農業と洞海湾で漁業を営む人口が少ない寒村だった。 そしてこの地が、1897年に製鉄所建設場 …
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河内貯水池
2021/06/05
NEWS八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として1919年(大正8年)に竣工し、 8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で1927年(昭和2年)に完成しました。 その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、「土木は悠久の記念碑」という ヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を注いだ大事業です。 河内貯水池は近代化産業遺産としての価値だけでなく、北九州のエコの原点や未来を見据えた SDGsの取組みを学ぶこ …
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産業近代化に貢献した先人たち
2021/05/24
北九州歴史秘話日本の産業近代化に貢献した、北九州の先人たちを紹介します。 1. 野呂 景義 Noro Kageyoshi 八幡製鐵所の操業基盤を創った近代鉄鋼技術の父 1854年名古屋橦木町生まれ、東京大学で採鉱冶金学科を学び1882年に卒業。1885年5月から ヨーロッパに留学し、機械工学、電気工学更には冶金学を学んだ。 1901年にドイツ技術の粋を集めた官 …
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Japanese cuisines and beverages
2022/01/12
About JapanJapan is a foodie’s paradise, with some of the finest and most varied cuisine in the world. Traditional cuisine of Japan (日本食) It is based on steamed rice, soy bean soup and The traditional cuisine of Jap …
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鉄鋼の産業発展物語 第5話 / 日本の産業革命の始まり
2021/04/21
鉄鋼の産業発展物語300年も遅れていた日本の鉄づくり 日本で初めて、佐賀藩で反射炉法による鉄づくりが行われた1853年当時は、 ヨーロッパに対して約300年以上も技術が遅れていた。 1490年にはイギリスで高炉操業が始まり、1543年には鋳鉄製大砲の生産を開始した。 そして、1709年にはコークスによる高炉操業に成功した。 1783年にはパドル法反射炉が開発されたが、反射炉では高品質の鋼を効率的に 量産できなかった。 そのから、次第に高炉法による …
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鉄鋼の産業発展物語 第6話 / 反射炉で始まった日本の鉄づくり
2021/04/20
鉄鋼の産業発展物語なぜ反射炉を造ったのか ヨーロッパに対し300年も遅れていた日本の鉄づくりの技術では大型の洋式大砲を 製造することは困難であったが、外国の技術者を外国の技術者を招聘することの 叶わない時代でもあった。 ヨーロッパの反射炉 ヒュゲンの技術書 そこで、佐賀藩の鍋島直正はオランダのヒュゲン著の技術書「ロイク国立製鉄大砲鋳造所に おける鋳造法」の翻訳 …
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安川敬一郎物語
2021/05/07
北九州歴史秘話日本の産業近代化産業の歴史をつくった安川敬一郎 石炭産業から始まり、港湾、鉄道、紡績、製鉄、電気、窯業と様々な分野で中心的な役割を 果たし日本の産業近代化に最も貢献した一人です。 福岡藩士・徳永貞七の四男として1849年(寛永2年)に福岡県 西村で生まれる。徳永家には四人の男子がいた。長男以外は同藩士 安川、松本、幾島家の養子となりそれぞれの家督を継ぎました。 四男の敬一郎は15歳で安川岡右衛門の養子となり、16歳から家督 を継 …
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鉄鋼の産業発展物語 第4話 / 幕末の日本に変化が起きる
2021/04/22
鉄鋼の産業発展物語鎖国政策で海外との交易をオランダと中国に限定していたが、17世紀に入って 次第に外国船が来航し、日本との交易を求めてきた。 1647年にポルトガル、1673年にはイギリスが国交回復のため来航、1894年には 長崎にロシアが来航するも幕府は断り続けた。 1824年には、水戸の大津浜に英国捕鯨船員が上陸する事件、1837年にはモリソン号事件で 日本人漂流民を乗せたアメリカ商船が鹿児島湾と浦賀沖に現れ、日本が砲 …