Japan KYUSHU Tourist | Travel Agency in Fukuoka specializing in Kyushu tours

響灘ビオトープ

  2021/06/06
  Christian Pilgrimage tour

響灘を廃棄物処分場として埋め立てた敷地に自然発生した自然の楽園・響灘ビオトープ。 整地されていない埋立地に雨水が溜まって湿地ができ、鳥などが運んできた植物の種から 木が自生し、環境省の絶滅危惧種(鳥類レッドリスト絶滅危惧IB類)に指定されている チュウヒをはじめとする237種の鳥類や、284種の植物などが確認されている生態系を守る ため全体(約41ha)のうち約7haが公開されています。       基本情報 ・住 所 北九州市若松区響町一丁目 ・アクセス 車の場合:若戸大橋より約15分 ・料 金 ネイチャーセンター入館無料、園内有料(一般100円、小・中学生50円) ・営業時間 9:00〜17:00(入園は16:30まで) ・定休日 火曜日※祝日の場合翌日休み、年末年始(12月29日〜1月3日)   響灘ビオトープ周辺地図     ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行     

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北九州市エコタウンセンター

  2021/06/06
  Christian Pilgrimage tour

全国初のエコタウンセンターとして、2001年(平成13年)6月開所しました。 北九州市では、これからの「資源循環型社会」を目指して、リサイクル工場や研究施設などを 集め、環境と調和したまちづくりを行う「北九州エコタウン事業」に取り組んでいます。 北九州市エコタウンセンターは、エコタウンを支える情報センターとしての役割を担い、 エコタウンでの取組みの紹介等を通じて、環境学習や交流活動に積極的に利用して いただくための施設です。 全国各地から視察が相次ぐなか、リサイクル工場や研究施設の視察受付・案内を行っています。 センター内では環境・リサイクルに関する技術、製品の展示やパネルによる北九州エコタウン 事業の紹介を行います。また、環境学習、交流活動、研究活動に利用していただくための 施設を提供しています。     基本情報 ・住 所 北九州市若松区向洋町10番地20 ・アクセス 車の場合:若戸大橋より約10分 JRの場合 JR戸畑駅:北九州市営バス「戸畑駅」⇒(約30分)⇒ 「エコタウンセンター」下車 徒歩約1分 JR若松駅:北九州市営バス「若松市民会館前」⇒(約30分)⇒ 「若松営業所」下車徒歩約10分 ・料 金 無料 ・営業時間 9:00〜17:00 ・定休日 日曜・祝日・年末年始(12月29日〜1月3日)   北九州市エコタウンセンター周辺地図     ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行     

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環境未来都市・北九州市

  2021/06/06
  Christian Pilgrimage tour

日本の産業が始まったまち、その後常に産業の先頭を走りながら、日本の産業近代化に 大きく貢献したまちで、現在は環境モデル都市・北九州市です。 今我々は、地球温暖化をはじめとして大きな環境問題に直面しています。 その問題にみんなで取組むために、北九州での取組等を紹介します。     北九州市エコタウンセンター 北九州市では、これからの「資源循環型社会」を目指して、リサイクル工場や研究施設などを 集め、環境と調和したまちづくりを行う「北九州エコタウン事業」に取り組んでいます。 北九州市エコタウンセンターは、エコタウンを支える情報センターとしての役割を担い、 エコタウンでの取組みの紹介等を通じて、環境学習や交流活動に積極的に利用して いただくための施設です。     響灘ビオトープ 響灘を廃棄物処分場として埋め立てた敷地に自然発生した自然の楽園・響灘ビオトープ。 整地されていない埋立地に雨水が溜まって湿地ができ、鳥などが運んできた植物の種から 木が自生し、環境省の絶滅危惧種(鳥類レッドリスト絶滅危惧IB類)に指定されている チュウヒをはじめとする237種の鳥類や、284種の植物などが確認されている生態系を守る ため全体(約41ha)のうち約7haが公開されています。       響灘風力発電 北九州市は、「世界の環境首都」を目指し、環境にやさしいクリーンエネルギーの積極的な 導入を進めています。響灘風力発電施設は、響灘に面する日本初の港湾地区にあります。 現在10基の風車が稼動しています。高さ65mの塔に直径75mの大きな羽根が付いており、 その景観は圧巻です。発電規模は、3,500万kwh、約10,000世帯分の年間電力消費分です。       環境ミュージアム 世界の環境首都を目指す北九州市が整備する『市民のための環境学習・交流総合拠点施設』です。 今日、地球温暖化や廃棄物問題をはじめとして、様々な形で環境問題が急速に深刻化しています。 その原因の多くは、人間一人ひとりの日常生活の積み重ねにあります。環境にやさしい持続的な 社会を実現するためには、学校、企業、市民、市民団体、行政それぞれが主体となり、相互に 連携して取り組んで行かなくてはなりません。     曽根干潟 曽根干潟は、北九州市小倉南区の東側に広がる市内最大の干潟で、面積は517haあります。 背後の曽根新田地区とあわせて市内でも有数の野鳥の宝庫として知られています。 特に、世界的にも数が少なくなっている「ズグロカモメ」の日本でも有数の越冬地と なっています。また、2億年前からその姿をほとんど変えずに生きてきたことから、『生きた化石』 とも呼ばれているカブトガニの生息地ともなっています。環境省のレッドデータブックに指定 されていることから、ラムサール条約に曽根干潟が登録されることを目指す動きがあります。       若松北海岸・遠見ヶ鼻 若松北海岸は、玄海国定公園の始まりの場所です。その中で、最も眺望が美しいところが 遠見ケ鼻です。妙見埼灯台があり、いかにも荒海の岬といった感じです。江戸時代には 遠見番所が設けられ、沖の密貿易船、難破船、外敵等の異変に備えていました。 灯台の立つ断崖から見下ろす海の色、沖の島々、しま模様を描いた岩肌など見応えが 十分です。この景色は環境未来都市・北九州を代表する自然の美の一つです。     北九州の地図     ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行     

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西日本工業倶楽部(旧松本家住宅)

  2021/06/06
  Christian Pilgrimage tour

現存する洋風住宅の中で最も華麗な建築の一つ 戸畑の夜宮公園の南隅の鬱蒼とした松林の中に溶け込むように邸宅の門を構える アール・ヌーボーの館と称され、国の重要無形文化財に指定されています。   旧松本家住宅は、炭鉱主・実業家の松本健次郎が自分と家族の住宅と明治専門学校(父安川敬一郎と ともに創立した学校で現在の九州工業大学)の迎賓館を兼ねて建てたものです。 洋館と日本館を併せ持つ典型的な明治時代の上流住宅で、設計は東京駅や日本銀行の設計で 名高い辰野金吾によるもので、1912年(明治45年)に完成しました。       洋館は建坪1,100m2の木造二階建・スレート葺、日本館は建坪730m2で木造一部二階建 瓦葺で、洋館とは渡り廊下で繋がっています。   洋館の一階には大広間(162m2)が、客室、食堂、書斎など大小7室(延208m2)が 配置され、大広間から階段室を経て二階へ上がります。 二階は階上広間を囲むようの大小7室(208m2)の寝室と和洋座敷3室 (18畳、9畳、8畳)が配置されており附庇及び突起部には内玄関、厨房などがあります。     歴 史 ・1908年(明治41年)洋館および日本館の建設着工 ・1912年(明治45年)旧松本家住宅完成 戦後進駐軍に接収されるまで、      松本家の住宅および迎賓館として利用 ・接収後~1952年(昭和27年)独身将校用の宿舎となる ・1952年(昭和27年)西日本工業倶楽部の設立を受け、松本氏から同倶楽部に譲渡。 ・1972年(昭和47年)洋館・日本館が国の重要文化財に指定 ・1982年(昭和57年)2棟の蔵が国の重要文化財に指定 ・2007年(平成19年)近代化産業遺産に認定     基本情報 ・住 所 北九州市戸畑区一枝 1-4-33 ・アクセス 車:JR小倉駅から約15分   西日本工業倶楽部周辺地図     ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行     

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日本の産業近代化に貢献した北九州の歩み

  2021/06/06
  北九州歴史秘話

北九州がつくった日本の産業近代化の礎   北九州を舞台とした 日本の産業発展の道のり!   北九州の歴史を辿れば、日本の産業発展の道のりが見えてくる。      この資料は、産業近代化視点から、ジャパン九州ツーリスト株式会社が独自で歴史を 調査・研究して、「日本の急速な産業発展」として編集したものです。     産業近代化の歩み 製鉄・鉄鋼産業に焦点を当て、どのようにして世界一の工業立国となったか 堀川の建設から、筑豊炭鉱との関わりも含め、現在の環境未来都市・北九州までの歴史を 紹介します。     ●堀川の建設 1621年(慶長5年)~1801年(寛政13年) 遠賀川周辺の洪水対策として人口の河川・堀川が1621年から180年の 歳月をかけて1801年に完成。 明治に入って石炭輸送用として利用。   ●筑豊炭鉱 1700年代(江戸中期)~1976年(昭和51年)  室町時代に香月で発見、江戸中期から塩田用燃料として炭鉱開発が 始まり、1872年(明治5年)鉱山解放令から筑豊御三家(麻生太吉、 貝島大助、安川敬一郎)を中心に急速に鉱山開発が進み、戦前は日本 最大の産炭地。1976年(昭和51年)貝島炭鉱閉山を最後に筑豊炭鉱の 幕を閉じる。   ●門司港 特別輸出港に指定 1889年(明治22年)産業近代化の起点 石炭・米・麦・硫黄・麦粉の5特定品目の特別輸出港に指定され 築港工事が開始された。 金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで進出し、外国航路の港 としての歴史が始まる。   ●九州鉄道開通  1891年:九州鉄道の起点門司駅が開設(現在の門司港駅の東側) 1897年:筑豊鉄道を吸収合併し、筑豊炭坑からの石炭輸送を可能とし、 門司港が石炭の積出港として繁栄。 1914年:2代目の駅舎が完成し門司港駅と改称、駅舎として初の 重要文化財に指定   ●石炭積出港・若松 1890年(明治23年)~1898年(明治31年) 1890年:若松港築港開始 普通の漁村にすぎなかったところを、石炭の積出港として築港、 最盛期には日本一の貨物取扱量を誇った。 1891年:筑豊興業鉄道が石炭専用の運搬鉄道 直方〜若松間が開業   ●製鐵所建設計画 1891年(明治24年)に開始 中国で製鉄所建設され、日本の製鉄所建設に拍車がかかる。 当初は野呂景義による年間6万トンの製鉄所を計画。 日清戦争後、1896年に和田維四郎により、大幅に製鉄所建設計画を 変更し、年間9万トンとした。   ●建設場所が八幡に決定 1897年(明治30年) 全国で17ヶ所選ばれ、門司の大里が第一候補地となる。 大里は、筑豊炭鉱に近く、広大な湿地帯、海陸の交通、労働力の面で有利 八幡は水深が浅いことが難点、それ以外は石炭入手の面等でベスト、 安川敬一郎が政治化を動かす。当時は自然豊かな寒村、芳賀種義八幡村長が、『八幡村に製鉄所を、日本の鉄づくりは八幡から』熱心に村民を説得 し広大な土地を売り出し、 1897年八幡村に決定   ●製鉄所建設 1897(明治30年)~1901年(明治34年) 長閑な寒村だった八幡村の地に、わずか3年間で製鐵所を完成させる。 旧本事務所、旧鍛冶工場、修繕工場(以上世界遺産)、東田第一高炉、 軌条ロール工場、大型ロール工場、中型ロール工場、小型ロール工場、 薄板ロール工場、高見貯水池、炉材工場他   ●東田第一高炉火入れ    1901年(明治34年) ドイツのGHH社の技術で設計・建設そして操業を開始するも、 故障の連続で惨憺たるすべり出し。 所定の出銑量がいつまでたっても出ないありさま。 その危機を救い、日本の産業発展の礎を築いたのが野呂景義。   ●鈴木商店 門司に進出 1904年(明治37年)~ 国際貿易港として繁栄していくなか、製鉄所建設の候補地ともなった 門司・大里地区に神戸の貿易商鈴木商店が進出してきた。 1904年:大里製糖所(現在の関門製糖) 1912年:帝国麦酒(現在のサッポロ) 1914年:大里酒精造所(現在のニッカウヰスキー)   ●八幡製鐵所/第一次拡張期 1906年(明治39年)~1910年(明治43年) 日露戦争が膨大な軍事物資供給が必要となり、鋼材生産量年間18万トン に拡張。 東田第三高炉、分塊工場、小形工場、線材工場、鉱滓煉瓦工場他、 八幡泊地   ●八幡製鐵所/八幡泊地 1906年(明治39年)~1925年(大正14年) 原料の荷卸し、成品の積出の為に岸壁が建設された。 1906年:西田岸壁東部 1920年:中央岸壁 1922年:堂山製品岸壁及び松ヶ島岸壁 1925年:西田岸壁西部   ●安田工業 八幡で洋釘造りを開始 1908年(明治41年) 897年(明治30年)、安田財閥の創始者・安田善次郎が、東洋で初の 釘製造を決意し、東京深川で、東洋初の洋釘の製造販売を開始。 1908年(明治41年)に八幡工場を建設し、八幡製鐵所で製造した、 国産線材を使った洋釘づくりが始まる。   ●明治専門学校の開校 1909年(明治42年)  日本の産業発展に、理想的な工業技術者の育成を目的として、 安川敬一郎と松本健次郎親子が設立した。 初代総裁に山川健次郎を迎え、「技術に堪能なる士君子」の養成を 掲げ、その後の産業発展に大きく貢献、1949年(昭和24年)現在の 九州工業大学となる。   ●八幡製鉄所/遠賀川水源地ポンプ室(世界遺産) 1910年(明治43年) 製鉄所拡張計画に伴い、大量の水が必要となり、遠賀川から製鉄所まで 水を送るため、遠賀川水源地ポンプ室が造られました。  現在も現役として稼働中。   ●八幡製鐵所/第二次拡張期  1911年(明治44年)~1915年(大正4年) 日露戦争後、鉄道、造船更には工場・道路・港湾等の整備のための 鋼材需要が大きく伸び、鋼材の年産30万トンに能力アップ。  東田第4高炉を中心として、製鋼・圧延部門を増強。   ●多くの企業が北九州で誕生 1910年(明治43年)~ 1910年:森田範次商店(現在のシャボン玉石けん)    1911年:田村汽船(現在の日本水産)、出光商会(現在の出光興産) 1915年:安川電機製作所(現在の安川電機) 1917年:東洋陶器(現在のTOTO)、 1918年:黒崎窯業(現在の黒崎播磨)、山九運輸(現在の山九)   ●八幡製鐵所/第三次拡張期  1918年(大正7年)〜1929年(昭和4年)   第一次世界大戦下の輸入断絶、民間需要拡大に対応するために、 年産75万トンに能力アップ。 東田第5、6高炉、コークス炉新設、銑鉄鋳銑機、第三製鋼工場、 珪素鋼板工場、河内貯水池、養福寺貯水池他   ●他の製鉄会社の創業 1917年(大正6年)、1918年(大正7年) 日本の鉄鋼需要増大に伴い下記の製鉄所が北九州で生まれた。 ・1917年:九州製鋼所(八幡)、後の新日鐵、現在の日本製鉄  ・1917年:東洋製鉄(戸畑)、後の新日鐵、現在の日本製鉄 ・1918年:小倉製鋼所(小倉)、後の住友金属小倉製鉄所       現在の日本製鉄   ●八幡製鐵所/本事務所移動 1922年(大正11年) ・初代本事務所:1899年に建設された赤煉瓦2階建て、製鉄機械同様に  ドイツの建築様式を取り入れた。当時としては、最もバタ臭い  (西洋風)なものであった。 ・2代目本事務所:官界、経済界に誇るべき地位を示すために、所要資材  全てを八幡製鐵所のものを使ったルネッサンス様式の3階建ての  モダンな事務所。1922年から使用された。   ●八幡製鐵所/河内貯水池 1919年(大正8年)~1927年(昭和2年) 土木技師・沼田尚徳の指揮のもと、8年の歳月をかけて完成させた、 自然と調和した、第一級の近代化産業遺産。  完成当時は東洋一のダム。   ●八幡製鐵所/くろがね線 1927年(昭和2年)~1930年(昭和5年) 3年の歳月をかけてつくった、八幡と戸畑地区を結ぶ製鉄所専用の鉄道。 その工事は製鉄所の社員で行い、中間地点に当たる総延長1180mの 宮田山トンネルは出水等に見舞われて難工事だった。   ●初回の八幡空襲 1944年 (昭和19年)  B29による日本本土の最初の空襲が八幡製鐵所を標的としたもので、 6月16日、そして8月20日に人命と設備に甚大な被害をこうむった。 東田・洞岡コークス炉、鋼板工場、西田発電そして動力・ガス・水道 電話などが寸断。 また同時に北九州5市全土に多大な被害があった。   ●終戦前の八幡大空襲 1945(昭和20年)年8月8日 一瞬にして目の前が煙で覆われた。2500人もの尊い命が一瞬で奪われ、 町や工場も壊滅状態。 石炭の入手が困難となったが、操業を維持すべく社員が炭鉱で労働 しながら危機を乗り越えた。   ●長崎に原爆投下 1945年 (昭和20年)8月9日 小倉が第一目標地であったが、前日の八幡大空襲の煙及び製鉄所からの 煙幕により、小倉が視界不良で造兵廠の場所が特定できなかった。 そのため急遽、第二目標地の長崎に変更し、11時2分、長崎に投下、 街は壊滅的な被害を受け、多くの尊い人命が奪われた。 そして、8月15日に終戦を迎える。   ●環境問題 1950~60年代 当時公害を防止する環境対策技術がなく、国内最悪の大気汚染と死の海と化した洞海湾。 市民運動を発端に、世界でも類の無い方法で、官・学・企業をあげた取組で公害対策を行った。 1987年(昭和62年)に、環境庁の「星空の街コンテスト」で大気環境が良好な「星空の街」に 選定され公害克服が証明された。          1950年代の東田     1960年代の洞海湾     洞海湾浚渫     ●若戸大橋開通 1962年 (昭和37年) 洞海湾に架設された、若松と戸畑を繋ぐ我が国最初の吊り橋。 完成当時は東洋一の吊り橋、溶接の信頼性の問題から、 リベット継手を使用した構造。 八幡製鐵所で製造した鋼材 24,000トン使用。     ●北九州市発足 1963年 (昭和38年) 各地で産業が発達し、5市が誕生。 1899年:門司市、 1900年:小倉市、1914年:若松市、1917年:八幡市、1924年:戸畑市 それから、5市で一大都市圏を形成しながら共通のインフラも持ちながらも、異なった行政地域であったため、各市間を一体化して都市機能を有効に 発揮し、一体感のあるまちづりをすべく、1963年に北九州市が誕生。   ●1970年代の様子        2代目本事務所      皿倉山から望む八幡製鉄所     ●八幡製鐵所/東田第一高炉(第10次)  1972年(昭和47年)吹止め 1962年に第10次の改修工事を行い、24時間365日休みなく10年間操業を 続け、高炉の神様田中熊吉が生涯を全うするのと同じ年の1972年に吹止 され、日本近代製鉄の聖地・東田の高炉の幕を閉じた。 現在高炉設備一式が、そのまま完全な状態で保全されている、 世界で唯一の遺産。   ●関門橋開通 1973年 (昭和48年) 関門海峡の下関市壇之浦と北九州市門司区を結ぶ、開通時点では 日本最大規模の橋。 3径間の吊り橋で、補剛桁はトラス。橋梁等の防食法には溶射が採用。 八幡製鐵所で製造した鋼材 30,000トン使用   ●八幡製鉄所/戸畑へ鉄源集約 1976年(昭和51年) 八幡の洞岡高炉群、焼結工場、コークス工場及び東田の製鋼工場の全ての 工場を休止。八幡地区は、圧延工場だけを残す。 …

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