熱延工場
新日鐵住金㈱ 八幡製鉄所 熱延工場
工場見学でご案内する熱延工場を紹介します。
1100℃以上に加熱された厚さ25cmの厚い板を、圧延機で1.2~25㎜程度の薄い板に
圧延する工場です。
目の前で、ゴーゴーと音を立ててダイナミックに圧延される様子をご覧になれます。
そして単時間にうちに、薄く引き延ばされ、冷却しされ、即トイレットペーパーみたいにコイル状に
巻かれた薄い鉄板を最後に見てもらいます。

厚さ25cmの板が薄く引き延ばされいる様子 熱延が終わってコイル状にまかれた鉄板

この工場は、1982年に営業運転を開始。
最新のコンピューターシステムを導入し、極限まで自動化して、少人数で管理されています。
厚さ250㎜ 長さ11mのスラブを加熱炉で約1000℃~1300℃に加熱
一直線に並んだ複数の圧延機で連続的に圧延し、最終的に1.2~25㎜程度まで薄くして
コイル状に巻き取ります。
最終の仕上げ圧延では、時速100km近い速度で鋼板が走ります。
是非、豪快な圧延工程をご覧ください。
安川電機
株式会社安川電機
産業用ロボットやサーボやインバーター、更には製鉄用の制御装置を製作している会社。
創業は大正4年(1915年)、創業者である安川敬一郎が、息子・健次郎(松本)・清三郎・
第五郎とともに設立した合資会社安川電機製作所が始まり。

●基本情報
|
業 種 |
電気機器 |
|
資本金 |
230億円 |
|
本 社 |
北九州市八幡西区黒崎城石2-1 |
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所在地 |
北九州市八幡西区黒崎城石2-1 |
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所在地電話番号 |
093-645-7705 |
|
URL |
|
|
創業年 |
大正4年(1915年) |
|
従業員数 |
14,000人(連結) |
|
上 場 |
東証1部 |
●会社プロフィール
創業当時は、主に筑豊炭坑向けの産業用電動機とその制御装置を製造しました。
その後、電動機と制御器を中心に技術開発や製品の高度化を図りました。とくに国産初の
ボールベアリング付きモータはヒット商品となり「モータの安川」の地位を築きました。
その後、電動機と制御器を中心に技術開発や製品の高度化を図りました。とくに国産初の
ボールベアリング付きモータはヒット商品となり「モータの安川」の地位を築きました。
戦後は産業機械向けの小型モータや可変速モータ、さらに工作機械へと進出ました。
昭和33年(1958年)に現在のサーボモータの原型となるミナーシャモータを開発しました。
サーボモータやインバータなどモータ本体の進化と同時に機能と制御を総合化する技術、
産業用エレクトロニクスへの積極的進出をいち早く決断。産業ロボットへ進みます。
昭和47年(1972年)からは、産業用ロボットの独自開発を開始。昭和52年(1977年)に国内初の
全電動式垂直多関節形ロボット「MOTOMAN」を販売して依頼、これまでに世界中へ27万台以上も
出荷され、アーク溶接など自動車産業をはじめとする機械組立工場には欠かせないものとなっています。
また、現在は制御技術を駆使したサーボ、インバータ製品でも世界トップシェアを誇るほか、
国内で稼働中の鉄鋼プラントには、安川電機の制御装置が100%採用されています。
昭和29年(1954年)建造のモダンな本社社屋は世界的な建築家アントニン・レーモンドの
代表作として知られ、北九州市都市景観賞も受賞。ロボットがロボットを作る世界最大規模の
ロボット工場「モートマンセンタ」には、これまで10万人以上が見学に訪れています。
【関連リンク】
・近代化産業遺産 in 北九州
・近代化産業遺産 製鉄編
・北九州の産業観光ツアー
・女子大生が企画 北九州の魅力再発見ツアー【世界遺産編】
安川電機
株式会社安川電機
産業用ロボットやサーボやインバーター、更には製鉄用の制御装置を製作している会社。
創業は大正4年(1915年)、創業者である安川敬一郎が、息子・健次郎(松本)・清三郎・
第五郎とともに設立した合資会社安川電機製作所が始まり。

●基本情報
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業 種 |
電気機器 |
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資本金 |
230億円 |
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本 社 |
北九州市八幡西区黒崎城石2-1 |
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所在地 |
北九州市八幡西区黒崎城石2-1 |
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所在地電話番号 |
093-645-7705 |
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URL |
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創業年 |
大正4年(1915年) |
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従業員数 |
14,000人(連結) |
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上 場 |
東証1部 |
●会社プロフィール
創業当時は、主に筑豊炭坑向けの産業用電動機とその制御装置を製造しました。
その後、電動機と制御器を中心に技術開発や製品の高度化を図りました。とくに国産初の
ボールベアリング付きモータはヒット商品となり「モータの安川」の地位を築きました。
その後、電動機と制御器を中心に技術開発や製品の高度化を図りました。とくに国産初の
ボールベアリング付きモータはヒット商品となり「モータの安川」の地位を築きました。
戦後は産業機械向けの小型モータや可変速モータ、さらに工作機械へと進出ました。
昭和33年(1958年)に現在のサーボモータの原型となるミナーシャモータを開発しました。
サーボモータやインバータなどモータ本体の進化と同時に機能と制御を総合化する技術、
産業用エレクトロニクスへの積極的進出をいち早く決断。産業ロボットへ進みます。
昭和47年(1972年)からは、産業用ロボットの独自開発を開始。昭和52年(1977年)に国内初の
全電動式垂直多関節形ロボット「MOTOMAN」を販売して依頼、これまでに世界中へ27万台以上も
出荷され、アーク溶接など自動車産業をはじめとする機械組立工場には欠かせないものとなっています。
また、現在は制御技術を駆使したサーボ、インバータ製品でも世界トップシェアを誇るほか、
国内で稼働中の鉄鋼プラントには、安川電機の制御装置が100%採用されています。
昭和29年(1954年)建造のモダンな本社社屋は世界的な建築家アントニン・レーモンドの
代表作として知られ、北九州市都市景観賞も受賞。ロボットがロボットを作る世界最大規模の
ロボット工場「モートマンセンタ」には、これまで10万人以上が見学に訪れています。
【関連リンク】
・近代化産業遺産 in 北九州
・近代化産業遺産 製鉄編
・北九州の産業観光ツアー
・女子大生が企画 北九州の魅力再発見ツアー【世界遺産編】
門司麦酒煉瓦館
門司麦酒煉瓦館
九州初の麦酒工場
明治45年(1912年)門司市の合資会社九州興業仲介所代表社員山田弥八郎らが、
当時隆盛を誇った神戸市の鈴木商店の援助を受け、大里町に工場用地を取得し、
帝国麦酒㈱を設立しました。
大正2年に帝国麦酒㈱工場が竣工し醸造を開始しまし、「サクラビール」を発表して、
ビール業界への参入を果たした。

以来、「桜麦酒」『大日本麦酒』「日本麦酒」「サッポロビール」と社名変更、合併、分割と
会社形態の変遷をたどりながらも北九州門司の産業を支え続けてきました。
平成12年(2000年)大分県日田市に新九州工場が竣工され、九州工場は閉鎖となり、
この地における87年間のビール製造の歴史に幕を閉じた。
その後、土地区画整理事業として基盤整備を行い、建物の保存し活用されています。
保存された建物群は平成19年(2007年)に国の登録有形文化財に登録されました。
また、平成21年(2009年)に、近代化産業遺産続33(33九州窯業 – 北九州市の
鉱滓煉瓦製造関連遺産)に、門司麦酒煉瓦館・旧サッポロビール醸造棟・赤煉瓦交流館が
認定されました。
●門司麦酒煉瓦館
旧工場事務所を改装。ビールの歴史と門司麦酒工場・九州工場の沿革のほか、
ビールの製造や原材料・缶・ビンのリサイクルについての解説展示を行っています。
●赤煉瓦交流館
旧倉庫棟を改装。赤煉瓦ホール及び会議室A・B・Cの4室とレストラン「ARK」が設けられています。
●赤煉瓦写真館
旧組合棟を改装。この建物のみ大正6年(1917年)の建築です。旧サッポロビール醸造棟。
【関連リンク】
・近代化産業遺産 in 北九州
・近代化産業遺産 製鉄編
・北九州の産業観光ツアー
関門製糖
関門製糖株式会社
門司の地で砂糖をつくり続けて100年の伝統企業です。
明治37年に設立さて、鈴木商店の飛躍の原動力となりました。

●基本情報
|
業 種 |
食品製造(砂糖の精製) |
|
資本金 |
10億円 |
|
本 社 |
|
|
所在地 |
|
|
所在地電話番号 |
093-381-0531 |
|
URL |
― |
|
創業年 |
明治37年(1904年) |
|
従業員数 |
60名 |
|
上 場 |
― |
●会社プロフィール
ばら印とスズラン印の砂糖を製造する関門製糖(株)の前身は、明治37年(1904年)
鈴木商店が門司に創業した大里精糖所です。
門司が選ばれたのは原料糖(甘しょ)と石炭の調達、船舶と工業用水の確保が
便利だったことが主な理由でした。
明治40年(1907年)大里精糖所は売却され、大日本製糖(株)門司工場となりました。
その後、西日本製糖(株)と社名が変わり、さらに平成13年(2001年)には
日本甜菜製糖(株)と大日本明治製糖(株)(大日本製糖(株)と明治製糖(株)の合併会社)の
砂糖製造を行う生産受託会社となり、社名が関門製糖(株)になりました。
関門海峡を望む工場で砂糖を作り続けて108年、いまも現役の赤レンガ倉庫
(建築年不詳)が歴史を伝えています。
一方、工場はコンピュータシステムによる一貫生産を行っています。
原料糖は主にオーストラリアとタイからの輸入で、約2km離れた門司港公共埠頭で
荷揚げされ、工場内の原料糖倉庫に運ばれます。倉庫は最高21,000t(約40日分)
貯蔵でき、ベルトコンベアで工場内に運ばれます。
現在は大日本明治ブランド(ばら印)と日本甜菜ブランド(スズラン印)の砂糖を
年間12万t製造しています。
門司麦酒煉瓦館
門司麦酒煉瓦館
九州初の麦酒工場
明治45年(1912年)門司市の合資会社九州興業仲介所代表社員山田弥八郎らが、
当時隆盛を誇った神戸市の鈴木商店の援助を受け、大里町に工場用地を取得し、
帝国麦酒㈱を設立しました。
大正2年に帝国麦酒㈱工場が竣工し醸造を開始しまし、「サクラビール」を発表して、
ビール業界への参入を果たした。

以来、「桜麦酒」『大日本麦酒』「日本麦酒」「サッポロビール」と社名変更、合併、分割と
会社形態の変遷をたどりながらも北九州門司の産業を支え続けてきました。
平成12年(2000年)大分県日田市に新九州工場が竣工され、九州工場は閉鎖となり、
この地における87年間のビール製造の歴史に幕を閉じた。
その後、土地区画整理事業として基盤整備を行い、建物の保存し活用されています。
保存された建物群は平成19年(2007年)に国の登録有形文化財に登録されました。
また、平成21年(2009年)に、近代化産業遺産続33(33九州窯業 – 北九州市の
鉱滓煉瓦製造関連遺産)に、門司麦酒煉瓦館・旧サッポロビール醸造棟・赤煉瓦交流館が
認定されました。
●門司麦酒煉瓦館
旧工場事務所を改装。ビールの歴史と門司麦酒工場・九州工場の沿革のほか、
ビールの製造や原材料・缶・ビンのリサイクルについての解説展示を行っています。
●赤煉瓦交流館
旧倉庫棟を改装。赤煉瓦ホール及び会議室A・B・Cの4室とレストラン「ARK」が設けられています。
●赤煉瓦写真館
旧組合棟を改装。この建物のみ大正6年(1917年)の建築です。旧サッポロビール醸造棟。
【関連リンク】
・近代化産業遺産 in 北九州
・近代化産業遺産 製鉄編
・北九州の産業観光ツアー
関門製糖
関門製糖株式会社
門司の地で砂糖をつくり続けて100年の伝統企業です。
明治37年に設立さて、鈴木商店の飛躍の原動力となりました。

●基本情報
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業 種 |
食品製造(砂糖の精製) |
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資本金 |
10億円 |
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本 社 |
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所在地 |
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所在地電話番号 |
093-381-0531 |
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URL |
― |
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創業年 |
明治37年(1904年) |
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従業員数 |
60名 |
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上 場 |
― |
●会社プロフィール
ばら印とスズラン印の砂糖を製造する関門製糖(株)の前身は、明治37年(1904年)
鈴木商店が門司に創業した大里精糖所です。
門司が選ばれたのは原料糖(甘しょ)と石炭の調達、船舶と工業用水の確保が
便利だったことが主な理由でした。
明治40年(1907年)大里精糖所は売却され、大日本製糖(株)門司工場となりました。
その後、西日本製糖(株)と社名が変わり、さらに平成13年(2001年)には
日本甜菜製糖(株)と大日本明治製糖(株)(大日本製糖(株)と明治製糖(株)の合併会社)の
砂糖製造を行う生産受託会社となり、社名が関門製糖(株)になりました。
関門海峡を望む工場で砂糖を作り続けて108年、いまも現役の赤レンガ倉庫
(建築年不詳)が歴史を伝えています。
一方、工場はコンピュータシステムによる一貫生産を行っています。
原料糖は主にオーストラリアとタイからの輸入で、約2km離れた門司港公共埠頭で
荷揚げされ、工場内の原料糖倉庫に運ばれます。倉庫は最高21,000t(約40日分)
貯蔵でき、ベルトコンベアで工場内に運ばれます。
現在は大日本明治ブランド(ばら印)と日本甜菜ブランド(スズラン印)の砂糖を
年間12万t製造しています。
ニッカウヰスキー
ニッカウヰスキー株式会社
鈴木商店が大正3年に設立した大里酒精製造所が始まり。
現在、約20種類の焼酎原酒を製造しています。

「かのか(麦・米・芋)」以外にも、麦焼酎の「玄海」「綺羅麦」「穂の舞」、米焼酎の
「大地の穣」、そば焼酎の「玄庵」、芋麦ブレンド焼酎の「とんぼの昼寝」、
泡盛の「うみそら」
●基本情報
|
業 種 |
酒類製造 |
|
資本金 |
1億円 |
|
本 社 |
|
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所在地 |
|
|
所在地電話番号 |
電話 093-381-1431 |
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URL |
http://www.nikka.com/index.html |
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創業年 |
大正3年(1914年) |
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従業員数 |
約280名 |
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上 場 |
― |
●会社プロフィール
大正3年(1914年)の創立以来、一貫して焼酎(かのか・大五郎・玄海など)を
中心に製造している、レンガ造りが特徴の工場です。
麦や米、そばを原料として焼酎の醸造、蒸留、精製、貯蔵・熟成、ブレンド、充填と
製造にかかる全ての工程を一貫して行う、日本でも有数の規模の焼酎工場です。
ニッカウヰスキー㈱門司工場の歴史は、大正3年(1914年)当時最大の
財閥であった鈴木商店が建設した焼酎工場「大里酒精製造所」から始まります。
創業以降、数々の合併等により日本酒類醸造㈱、大日本酒類醸造㈱、
大日本発酵工業株、日本酒類㈱と社名が変わり、昭和35年(1960年)には
協和発酵工業㈱の主力焼酎工場として40年にわたり焼酎を製造してきました。
平成12年(2002年)に協和発酵工業㈱の酒類事業がアサヒビール㈱に
分割譲渡されアサヒ協和酒類製造㈱となり、さらに平成18年(2006年)に
アサヒ協和酒類製造㈱は同じアサヒビールグループの蒸留酒の製造会社である
ニッカウヰスキー㈱と合併し、現在のニッカウヰスキー㈱門司工場となりました。
このレンガ造りの倉庫群は、元は平成9年(1997年)に閉鎖された隣接する
日本製粉㈱門司工場の建物で、平成12年(2000年)に協和発酵工業㈱により
購入修復され、現在でもニッカウヰスキー㈱の倉庫として利用されています。
ニッカウヰスキー㈱門司工場は、約20種類の焼酎原酒を製造しており、それらの
原酒を使用して、主要製品である「かのか(麦・米・芋)」以外にも、麦焼酎の
「玄海」「綺羅麦」「穂の舞」、米焼酎の「大地の穣」、そば焼酎の「玄庵」、
芋麦ブレンド焼酎の「とんぼの昼寝」、泡盛の「うみそら」など数多くの焼酎を
製造しています(販売はアサヒビール㈱がしています)。こういった数多くの焼酎を
単一の工場で造り分けできるのが当工場の誇りの一つです。
また、「びん」、「一升瓶」「紙パック」「ペットボトル」業務用の「バックインボックス」と
様々なタイプの容器に充填できる7系統の充填ラインがあります。
レンガ倉庫前には花壇があり、春は菜の花、秋はコスモス、毎年種を蒔き、
開花時季にはレンガ倉庫に彩りを添えています。
産業観光 / 八幡製鉄所 戸畑4高炉
そして、目の前で真っ赤に溶けた銑鉄が流れてくる様子を是非ご覧ください。
北九州の産業観光 / 新日鐵住金 八幡製鉄所
1901年に操業を開始した銑鋼一貫製鉄所で、日本の産業近代化に貢献した企業で、
粗鋼生産高は現在世界第2位。
最終製品は自動車鋼板、ジュース缶、食缶用ブリキ、建設用スパイラル鋼管
新幹線や列車にレール、変圧器などに使われる電磁鋼板、ステンレス厚板

粗鋼生産高世界第6位の新日本製鐵と第26位の住友金属工業が平成24年(2012年)
10月に合併し、世界第4位の粗鋼生産高を誇る、新日鐵住金㈱が誕生しました。
八幡をあげ、鉄づくりに必要な石炭の産地・筑豊炭田、豊富は水資源、気象条件や労働力等の理由で八幡が選ばれました。
官営八幡製鐵所の東田第一高炉の火入れは明治34年(1901年)2月5日で、昭和に入ると世界恐慌による鉄鋼不況で製鋼会社の合同が進められ、官営八幡製鐵所は1934年釜石鉱山(株)、三菱製鐵(株)、輪西製鐵(株)、富士製鋼(株)、九州製鋼(株)と合体し日本製鐵(株)八幡製鐵所となりました。
戦後、昭和25年(1950年)過度経済力集中排除法により日本製鐵(株)は4社に分割され、八幡製鐵所は八幡製鐵(株)となりました。
モデルになりました。
昭和42年(1967年)には日本初の連続鋳造設備を導入し、八幡製鐵(株)の鉄づくりは高度経済成長期に黄金時代を迎えました。

