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河内貯水池 建設物語
2021/06/04
北九州歴史秘話明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録の引き金となった 河内貯水池の裏側に秘めら物語 河内貯水池は、八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として 1919年(大正8年)に竣工し、8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で1927年 (昭和2年)に完成した。 その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、 「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を 注いだ大事業。河内貯水池は近代化産業遺産としての価値だけでなく、北九州国定公園の 自然と調和した、心和む場所。 この美しい景観の裏側に秘められた、土木技師の沼田尚徳の 「愛と悲しみ、そして情熱」物語があります。 水戸藩の沼田家に生まれ、大学卒業後、当時建設中だった八幡製鐵所に1900年に入社し、 土木技師として多くの功績を残した沼田尚徳の物語を、河内貯水池建設を中心に紹介します。 水戸藩の沼田家 1875年(明治8年)、水戸藩に代々仕えた武家の家系で生まれた。 沼田家は尊王攘夷派/天狗党結成の発起人の一人である伯父沼田順次郎、 藩幹部の筆頭書記官で祖父沼田久次郎を持ち、そして祖父とともに「大発勢」と呼ばれる 討伐隊に加わり、明治維新後は教育者の道を歩んだ沼田順三郎の長男として生まれた。 青年時代 1894年(明治24年)旧制第一高等中学に入学、そして新たに新設された京都帝国大学に 1897年(明治30年)に入学し土木技術や鉄筋コンクリート技術学び、更に水道施設や 琵琶湖疏水などの技術にも関心を持っていたと言われている。 官営八幡製鐵所に入社 1900年(明治33年)に京都帝国大学を第一回生として卒業、当時建設中だった官営八幡製鐵所に 土木技師として入社した。 1901年(明治34年)に東田第一高炉に火が入り、日本で初めての銑鋼一貫製鐵所が 操業を開始する。 1902年(明治35年)に技師を命じられ、1911年(明治44年)に修築科長となり、 1915年(大正4年)にはアメリカとイギリスに出張した。 手がけた工事は繋船壁築造工事に始まり、40万坪の洞岡埋築、くろがね線建設そして 河内貯水池や養福寺貯水池建設といずれも当時の日本で最大級の土木工事ばかりである。 繋船壁築造工事 くろがね線 宮田山トンネル・戸畑 くろがね線 宮田山トンネル・八幡 最初の挫折 1916年(大正5年)に竣工した下大谷貯水池が、わずか1ヶ月余りの後に豪雨で脆くも決壊し、 製鉄所や付近の住宅地域に多大な被害を及ぼし住民1名の尊い命を奪う大惨事を引き起こした。 事故の原因は堰堤の強度不足であった。事故により尊い命が犠牲になったことが大きな 心の痛手となり、その後この教訓から、建設現場を自らの足で歩き自分の目で確認する 現場第一主義の仕事スタイルを育んでゆく。 渾身の大事業、河内貯水池 「土木は悠久の記念碑」 製鉄所第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として1919年(大正8年)に竣工し、 8年の歳月をかけて1927年(昭和2年)に完成した。 当時は東洋最大級のダムで、「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく 英知と情熱を注いていく。 かつての河内地域は、八幡製鐵所から南10㎞ほど谷あいの31戸が暮らす 自然豊かで平穏な農村、また都市の児童の山村留学も受入れている教育先進地域。 その人達に立退きを快く応じてもらい、当時西日本最大の大事業が始まる。 ダム建設コンセプト ダムには当時最新の土木技術をふんだんに用い、一方で現場の石材や自社鋼材を 用いた独自の設計で土木構造物への新しい挑戦をした。 更に環境にも優しい工法を積極的に採用し、将来市民の憩いの場所をすべく、 橋から取水塔、管理事務所に至るまで欧米風の洒落たデザインを凝らした。 このことは、先祖代々の土地と故郷の美しい自然を提供し、建設に協力を惜しまぬ 村人へ何としても恩返しでもあった。 安全管理でも最新の配慮がなされ、当時の西日本最大級の難工事にも関わらず8年の 建設期間中1名の死者も出さなかった。 80年経過した今でも給水の本来の機能を果たしながら、憩いの場として多くの人達の 親しまれている。 独特の英知を凝らして作った堰堤 ヨーロッパの古城をイメージ 当時コンクリートは高価の為、粗石を混ぜて使用、銅板を内部に入れた伸縮継手で 亀裂を防止した。 工事段階での型枠代わりに石壁をつくり、ダム完成の耐久性を確保。使用した切石は12万個、 加工時発生した小さな石も、付帯建築物に張付けて美観に優れたダムを作り上げた。 悲しみを乗り越えて 河内貯水池建設中、沼田尚徳は現場では明るく振る舞っていたが、数々の悲しみを心に 押し潜めていた。 山の神はこの大事業と引き換えにかけがえのない家族を貢ように強いていたようでもあった。 父そして5人の子供を次々と亡くした。そんな中明るく支えてくれたのが妻泰子。 しかし、最愛の妻もダムの完成を待たずして猩紅熱でこの世を去ってしまった。 その後母も亡くなり、家族をダムが人柱として飲み込んでしまったような悲劇であった。 妻恋の碑 河内貯水池完成の翌年に、白山宮の参道に隣接した土地を自費で購入し、 妻泰子への感謝と哀悼の想いをこめて妻恋の碑を建てた。 碑の両面には、日本語と英語でその思いが刻まれている。 白山宮 日本語(河内貯水池側) 英語(神社側) 【日本語】 愛する妻の魂はどこにあるのか。麗しきあの人と今は世を隔て、 素晴らしき日々は夢に帰してしまった。散り行く桜の前にたたずむと断腸の思い。 【英 語】 IN MY MEMORY OF MY LATE BELOVED WIFE MRS. YASUKO NUMATA THROUGH WHOSE SELF-SACRIFICE AND UNDER GOD’S BLESSING I HAVE ENABLED TO CONSTRUCT KAWACHI WATER WORKS. この神社は今でも地元の人達によって清掃され、更に泰子さんの為にと 花も植えられている。 企業利益より社会貢献 沼田尚徳の美学 実直でロマンティストの沼田尚徳は、営利栄達にはあまり縁がなかった。 これほどの大事業を成功させ、製鉄所と八幡市の発展の礎を築いき、勲三等瑞宝章まで授与され、 製鉄所では土木部長でありながら製鉄所長官に次ぐ処遇を受けていた。 にも関わらず、1930年(昭和5年)に55歳の誕生日を待たずして静かに勇退した。 その後、八幡、戸畑、若松市の委託として三市の上水道整備を指導し多大な貢献をし、 日本最大の軍事工場であった小倉陸軍造兵廠の土木関連業務も手がけたが、 1934年(昭和9年)に全ての職を辞し田舎に陰棲した。 遠 想 河内貯水池の堰堤を見下ろす小高い場所にヨーロッパの古城を模したと言われる 管理事務所が建っている。 その出入り口に沼田尚徳の「遠想」の言葉を刻み込んだ石の掲額が残されている。 ここから河内貯水池を静かに見下ろしながら、遠く未来の想いを馳せているに違いない。 その未来の姿はどのようなものであったのであろうか。それは百年経った今でも人々の 潤し続ける河内貯水池の姿、そして彼が残した礎の上にいつまでも成長を続ける 日本の未来だったのではなかろうか。 いつまでも成長を続ける日本の未来だったのではなかろうか。 管理事務所 遠 想 沼田尚徳が描いた姿 本投稿は、西日本ペットボトルリサイクルの千々木亨氏の論文 鉄都に生きる男たちから 引用させてもらいました。 河内貯水池のガイドは、北九州の産業と歴史に精通した元新日鐵のエンジニアの 近藤にお任せ下さい。 お問合せ ジャパン九州ツーリスト株式会社 福岡県知事登録旅行業 第3-688号 電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898 Email info@japan-kyushu-tourist.com 〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階 基本情報 ・住 所 北九州市八幡東区河内一丁目 ・アクセス 西鉄バス「上重田」より徒歩約12分 車の場合:北九州都市高速 大谷IC 又は山路ICより約15分 河内貯水池の地図 ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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世界遺産 / 遠賀川水源地ポンプ室
2021/06/06
Christian Pilgrimage tour世界遺産・明治日本の産業革命遺産の遠賀川水源地ポンプ室。 八幡製鐵所に水を供給するために1910年に稼働を開始し、100年以上経過した今でも、 当時と変わらぬ威厳のある姿のポンプ室から、毎日八幡製鐵所(現日本製鉄 九州製鉄所)で 必要とする水の約70%を休みなく送り続けている製鐵所の心臓部です。 このことはまさに世界遺産に登録された明治日本の産業革命遺産を代表していると いっても過言ではありません。 ポンプ室建設の背景 官営八幡製鐵所が1901年(明治34年)に操業を開始した。 操業当初の鉄の年間の生産量は9万で、鉄づくりに必要な水の供給は構内に造られた 高見貯水池から行われていました。その後、1904年に日露戦争が勃発し、兵器や弾薬の生産のため 鉄の需要が26万トンと大幅に高まりました。そのため1906年に第一次拡張計画を策定し、年間の 生産量を18万トンに増やすために設備を拡張することになった。鉄づくりには大量の水を必要とし、 高見貯水池では対応できないため、新たな水源を遠賀川に求めました。そしてポンプ室を八幡製鐵所 から最も近い中間市に設け、配管を使って送水するようにした。 ポンプ室の建設 ポンプ室の建設が1906年から始まりました。 配管の総延長は12km、送水システムの設計は近代水道の父を呼ばれる東京帝国大学教授の 中島悦治氏によるもので、石炭ボイラーと蒸気ポンプはイギリスから輸入しました。 当初は筑豊の石炭を燃焼させて蒸気をつくっていたため、煙突も設けられていたが、 今は解体されてます。また、敷地内には筑豊から輸送してきた石炭の卸場やトロッコ列車の 跡も見つかっています。ポンプ室の建屋は、奈良国立博物館の設計も行った舟橋喜一氏によるもので、 平屋建ての煉瓦造り、幅20mx長さ40m。赤煉瓦と一部コーナーの柱には黒田泰造が開発した 鉱滓煉瓦(鉄づくりの時の副産物である鉱滓を使った煉瓦)が使用されています。 大正期には約50名の従業員が働き、ポンプ室の周りに官舎も建てられていました。 1950年(昭和25年)には、電動モーターを使ったポンプに取り換えられ現在に至っています。 そして操業開始から100年以上経過した今でも、当時と変わらぬ威厳のある姿のポンプ室から、 毎日八幡製鐵所で必要とする水の約70%を休みなく送り続けている製鐵所の心臓部です。 基本情報 ・住 所 福岡県中間市土手の内1-3-1 ・アクセス 車:北九州都市高速黒崎ICから約20分 北九州の地図 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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新地中華街
2021/06/22
Christian Pilgrimage tour唐船専用の倉庫を建てるために埋め立てられた新地にある、日本三大中華街のひとつです。 南北250メートルの十字路には長崎市の姉妹都市である福建省福州市の協力によって石畳が 敷かれ、中華料理店や中国雑貨店など約40軒が軒を連ねています。 中華街の四方、東西南北の入り口には中華門(牌楼)が立てられている。これらの門は、 1986年(昭和61年)に商店街の振興組合が発展の願いを込めて建てたものです。 基本情報 ・住 所 長崎県長崎市新地町 ・アクセス JR長崎駅から路面電車崇福寺行きに乗車約6分、「新地中華街」電停下車 徒歩2分 長崎中華街周辺地図 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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出 島
2021/06/22
Christian Pilgrimage tour鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。 19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があり、現在そのうちの 25棟を復元させるための事業が進んでいます。明治期にその役割を終え、陸地の中に埋もれ、 人々の記憶からも消えかけていましたが、今から約60年前に長崎市が出島の復元に 着手しました。 現在の出島は、大きく4つの時代の遺構や建物等をご覧頂けます。 かつて海に面していた水門、西側ゲートから入場すると19世紀初頭の江戸時代から幕末開国後、 明治へと時代をたどることができ、東側ゲートから入場すると、明治から幕末、江戸へと 時代を遡ることができます。 基本情報 ・住 所 長崎県長崎市出島町6-1 ・アクセス JR長崎駅から路面電車(崇福寺行乗車)利用5分、「出島」電停下車、徒歩すぐ ・料 金 一般/520円、高校生/200円、小中学生/100円 ※団体割引あり ・営業時間 8:00~21:00 ※最終入場20分前まで ・定休日 年中無休 出島周辺地図 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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北九州発バスツアー / 長崎の旅
2021/06/22
Christian Pilgrimage tourお客様の団体のための、北九州発着・オーダーメイドバスツアーです。 自治会、婦人会、老人クラブ、趣味のクラブ、職場の仲間、同窓会や子ども会などの 各種の団体旅行にご利用ください。参加人数に応じた貸切バスの手配から、 お好みに合わせた食事場所のアレンジや観光施設の手配まで行います。 また参加者全員に時間行程や旅先の情報を記載した「旅のしおり」をお配りします。 ツアーのポイント 長崎は古くから外国への玄関口として発展してきた港湾都市である。江戸時代は国内唯一の 貿易港出島を持ち、ヨーロッパから多くの文化が入ってきました。外国からの文化流入の 影響や、坂の多い街並みなどから、日本国内の他都市とは違った美しい景観をつくっています。 また、造船と石炭産業で日本の近代産業の礎を創ったまち、そして原爆を経験したまち でもあります。色んな文化と、どこかに異国の文化を持つ長崎の旅を楽しみましょう。 行 程 7:30 北九州市のご指定の場所出発 === 北九州都市高速 → 九州自動車道 → 鳥栖JCT → 長崎自動車道 → 長崎IC === ・長崎原爆資料館 ・原爆落下中心地 ・平和公園 平和祈念像、平和の泉 ・新地中華街で昼食 ・大浦天主堂(外側から見学) ・グラバー園 === 長崎IC → 長崎自動車道 → 鳥栖JCT → 九州自動車道 → 北九州都市高速 === 19:00頃 北九州市のご指定の場所解散 オプション ・出 島 旅の見どころ 長崎原爆資料館 1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分。長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し多くの 人々が命を落としました。この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、 被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までが ストーリーを持たせわかりやすく展示されています。 原爆落下中心地 1945年(昭和20年)8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下され上空約500m で炸裂しました。当時長崎市内には約24万人の人が暮らしていましたが、死者は 約7万4,000人、負傷者約7万5,000人でした。原爆の熱線と爆風に火災が重なったので、 被害は大きく広がりました。爆風で壊され、後で起きた火災で焼けてしまう家が多くありました。 平和公園 原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さない という誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。 平和祈念像の前で、毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で 平和祈念式典がとり行なわれます。 新地中華街 唐船専用の倉庫を建てるために埋め立てられた新地にある、日本三大中華街のひとつです。 南北250メートルの十字路には長崎市の姉妹都市である福建省福州市の協力によって石畳が 敷かれ、中華料理店や中国雑貨店など約40軒が軒を連ねています。 中華街の四方、東西南北の入り口には中華門(牌楼)が立てられている。これらの門は、 1986年(昭和61年)に商店街の振興組合が発展の願いを込めて建てたものです。 大浦天主堂 ユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産 のひとつで、現存するものでは国内最古の教会建築物です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別され、 この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも 類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。 また、建立直前に殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である 西坂に向けて建てられています。 グラバー園 長崎港の大パノラマを見下ろす絶景、南山手の丘に位置する長崎ロマンの地 「グラバー園」は、国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、 市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元したものです。 長崎港、稲佐山をはじめとする緑したたる山々、人々の息づかいが感じられる街並み。 偉人たちも魅せられた絶景が広がるとびきりのビュースポットでもあります。 オプション 出 島 鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。 19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があり、現在そのうちの 25棟を復元させるための事業が進んでいます。現在の出島は、大きく4つの時代の遺構や 建物等をご覧頂けます。かつて海に面していた水門、西側ゲートから入場すると19世紀初頭の 江戸時代から幕末開国後、明治へと時代をたどることができ、東側ゲートから入場すると、 明治から幕末、江戸へと時代を遡ることができます。 旅行代金 お客様の人数、発着場所、食事の内容や訪問する観光施設等の旅行条件に従い パッケージとして見積致します。 長崎市の地図 お問合せ ジャパン九州ツーリスト株式会社 福岡県知事登録旅行業 第3-688号 電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898 Email info@japan-kyushu–tourist.com 〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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若松南海岸
2021/06/05
Christian Pilgrimage tour明治時代の初めまでは、普通の漁村にすぎませんでしたが、日本の工業の発展とともに、 石炭の需要が増えていき、石炭の積み出し港として発展していきました。 1890年 (明治23年) 若松築港会社(現若築建設)が若松港を石炭積出港として築営することを 目的として設立され、1891年 (明治24年) 築豊興業鉄道により、若松駅―直方駅間の鉄道路線が 開業しました。そして1898年(明治31年)には若松港が開港しました。 そのことにより、石炭がどんどんと鉄道を使って若松港に集められ全国に送っていき、 “石炭の町、若松”として日本中に知られていきます。 その当時に立てられた建築物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に 沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも美しい地域です。 若戸大橋 1962年開通 若戸渡船 若松港 江戸時代あさり貝 も獲れた 洞海湾 & 皿倉山 洞海湾クルーズも楽しめる ノスタルジックな 若松南海岸 旧古河鉱業ビル若松ビル 1919年頃建設 上野ビル 1913年建設 石炭会館(旧若松石炭商 協同組合)1905年建設 旧ごうぞう小屋 港湾労働者 の待機・休憩場所 弁財天上陸場 港湾労働者の 船への乗船場 基本情報 ・住 所 北九州市若松区本町 ・アクセス 車:JR小倉駅より約20分 徒歩:JR若松駅より約5分 若松南海岸の地図 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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北九州市内ツアー / 北九州の近代の歴史を学ぶ旅
2021/06/07
北九州市内ツアーお客様の団体のための、北九州発着のオーダーメイドバスツアーです。 北九州の知られざる魅力を紹介するツアーで、自治会、婦人会、老人クラブや同窓会などの 団体で旅行を楽しみませんか。また北九州市民のシビックプライド醸成にも役立つツアーです。 更に、小学校、中学校や高校の修学旅行や大学の研修ツアーにもご利用ください。 ツアーのポイント 世界中の人々がコロナ禍で苦労しているなか、北九州の歴史をみれば 明るい未来に向けた多くのヒントやメッセージがあります。 1889年に門司港が特別輸出港に指定されてから北九州の近代の歴史、すなわち日本の 産業近代化の歴史が始まります。そして1901年に日本の近代製鉄がこの地で産声を上げ 多くの産業がこの地で生まれ、日本の産業近代化に大きく貢献したところです。 戦争と共に発展した日本の近代化、原爆の投下の候補地だった小倉、公害を経験したところ、 そして現在は環境未来都市で更にはSDGs 未来都市。 世界一の工業立国となった、日本の近代歴史の縮図がここにあります。 このツアーで北九州の歴史を知って、新しい未来のことをみんなで考えましょう。 ツアーガイド:ジャパン九州ツーリスト㈱ 近藤 行 程 9:00 北九州市のご指定の場所出発 ・めかり第二展望台 ・門司港 ・大里 (車窓から)日本の産業近代化に貢献した鈴木商店を紹介 ・若松南海岸 ・小倉リーセントホテルで昼食 ・勝山公園 & 小倉城 ・八幡泊地 ・世界遺産 / 旧本事務所 ・東田第一高炉 ・小伊藤山公園(車窓から) ・河内貯水池 17:00頃 北九州市のご指定の場所解散 旅の見どころ めかり第二展望台 北九州の絶景スポットの一つで、瀬戸内海国立公園の西側の起点です。 本州と九州に連なる山々、その間を湾曲し川のように流れる関門海峡、行き交う船の数々。 関門海峡を一望できる展望台からは、門司港市街から下関市街までの大パノラマが広がります。 日中はもちろん、ライトアップした関門橋や市街地の灯りが彩る夜景も格別です。 また道沿いには、有田焼のレリーフで源平壇之浦合戦の模様を描いた壁画があります。 関門橋 門司港レトロ 有田焼で描いた源平壇之浦合戦 門司港 門司港が1889年に大陸貿易の拠点として特別輸出港に指定され、この地に多くの産業が生まれ、 ここから日本の産業近代化が始まりました。また、ノーベル物理学賞受賞のアインシュタインが 1922年に初めて来日して、門司港に滞在しその時に ❝見るもの全てが芸術作品❞と門司港を 絶賛しました。2017年(平成29年)には、門司港レトロを含む関門海峡が、 ”関門”ノスタルジック海峡として日本遺産に登録されました。 日本の産業近代化に貢献した鈴木商店 門司港が1889年(明治22年)に国の特別貿易港に指定されると、実業家や貿易商が こぞってこの地を目指し、三井や三菱などの財閥もこの地に進出を図ります。 門司港が繁栄していく中、わずか数キロ先の門司・大里地区に神戸の貿易商「鈴木商店」 が目を付けて進出してきました。そして、帝国麦酒(サッポロビール)をはじめ、多くの 企業を立上げ、日本の産業近代化に大きく貢献してきました。 若松南海岸 明治時代の初めまでは、普通の漁村にすぎませんでしたが、日本の工業の発展とともに、 石炭の需要が増えていき、石炭の積み出し港として発展していきました。 1898年(明治31年)には若松港が開港し、石炭がどんどんと鉄道を使って若松港に集められ 全国に送っていき、“石炭の町、若松”として日本中に知られていきます。 その当時に立てられた建築物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に 沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも美しい地域です。 勝山公園 小倉城を中心として広がる公園で、紫川と一体となった都心部の憩いの場として、多くの市民に 親しまれています。勝山公園は小倉陸軍造兵廠敷地の一部で、1945年(昭和20年)8月9日の 原爆投下の目標とされました。しかし、8月8日の八幡大空襲の煙と八幡製鐵所でコールタールを 燃やして黒い煙幕を上げたため造兵廠の位置が確認できず、急遽変更し長崎に原爆が投下され ました。そのような歴史的経緯から、公園内に「長崎の鐘」が設置され、毎年8月9日の長崎原爆の 日には北九州市民による慰霊祭が行われています。 八幡泊地 日本の近代製鉄の歴史はここから始まった場所です。八幡製鐵所がこの地に建設され、 製品積出しに頻繁に利用され、日本産業の最前線を担ってきました。 世界遺産 / 旧本事務所 1897年(明治30年)に八幡の地に近代製鉄所を建設することが決定されてから、わずか4年で 製鉄所を完成させました。その製鉄所の指令を行うところが本事務所。外側が赤煉瓦のモダンな 建物です。1901年(明治34年)に製鉄所が創業し、富国強兵の基製鉄所が次々と拡張しました。 そのため、本事務所は手狭になり、その機能は1922年には新しい2代目の本事務所(枝光)に 移りました。その後、初代の本事務所は製鉄製品の研究所や、様々な目的で使用されました。 そして、現在まで日本の産業近代化の歴史を見続けて来た本事務所です。 東田第一高炉 ものづくりの息吹を感じる日本の産業近代化の聖地です。世界でここだけ 高炉設備一式が 完全な形で保存されているところ! 1901年(明治34年)日本の近代製鉄がここで生まれました。 多くの人々の手によって日本の産業近代化の礎がここで築かれた。そして、日本の産業発展の道程、 先人たちの功績を後世に伝えるべく1972年(昭和47年)まで操業を続けた10代目の東田第一高炉が 保存されています。 小伊藤山公園 1945年(昭和20年)8月8日の八幡大空襲。大量の焼夷弾を投下され、約2500人の人たちの 大切な命が奪われました。その惨劇の象徴とされるのが今のJR八幡駅近くにあった小高い丘の 「小伊藤山」。内部に掘られた横穴防空壕に逃げた大勢の人は煙に包まれ、窒息などで約300人の 犠牲者が出たとされています。その霊を慰めるため、1952年(昭和27年)に小伊藤山公園に 慰霊塔が建てられました。1953年(昭和28年)には、八幡の戦後復興と世界の平和を祈念して、 復興平和記念像が設置されました。 河内貯水池 八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として1919年(大正8年)に竣工し、 8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で1927年(昭和2年)に完成しました。 その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、「土木は悠久の記念碑」という ヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を注いだ大事業です。 河内貯水池は近代化産業遺産としての価値だけでなく、北九州のエコの原点や未来を見据えた SDGsの取組みを学ぶことの出来るところです。 旅行代金 お客様の人数、発着場所、食事の内容や訪問する観光施設等の旅行条件に従い パッケージとして見積致します。 北九州の地図 お問合せ・お申込先 ジャパン九州ツーリスト株式会社 福岡県知事登録旅行業 第3-688号 電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898 Email info@japan-kyushu-tourist.com 〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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部埼灯台
2021/06/06
Christian Pilgrimage tour部埼灯台は北九州市門司区企救半島の北東端、瀬戸内海周防灘に面した小高い丘にあり、 1872年(明治5年)に竣工した複合低塔型灯台です。 日本で12番目に点灯した洋式の灯台で、「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー ・ブラントンの指導で建設しました。この灯台の設置場所は、かつて僧清虚が13年間、 焚火を焚き続けて灯台の役目を果たした、遭難が多かった関門海峡東口で、今も航行の安全を 見守り続けています。 僧清虚 1838年(天保9年)諸国巡礼の途中、この付近で難破が多いことを知り、浜にとどまり、 火焚場の火を焚き続けました。一食坊主と蔑まれながらも托鉢をして焚火の資金を集め、 74歳で世を去るまでの13年間、雨の日も風の日も読経とともに火を焚き続け、灯台の役目を 果たしました。清虚の死後は地域の人に引き継がれ、清虚が焚火を炊いた近くの高台に 西洋式灯台が建てられました。 基本情報 ・住 所 北九州市門司区大字白野江 ・アクセス 車:JR門司港駅から約15分 部埼灯台周辺地図 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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軍艦防波堤
2021/06/06
Christian Pilgrimage tour太平洋戦争終結後、旧日本海軍艦艇の多くは戦時賠償として連合国に引き渡されるか 解体されるかしたが、何隻かの艦艇は解体された船体が防波堤として利用された。 若松港(現在の北九州港)の場合、長さ770mの防波堤のうち約400mを、駆逐艦「涼月」 「冬月」「柳」の3隻の船体を沈設して作られました。 設置当初は船体そのものが防波堤の 役割を果たしていたが、のちに「涼月」「冬月」はコンクリートで完全に埋設されましたが、 「柳」は船体上部の船体の形を約80mにわたり留めています。 軍艦防波堤からの対岸の様子です。 日本製鉄 九州製鉄所や若戸大橋、そして皿倉山まで望めます。 基本情報 ・住 所 北九州市若松区響町1丁目 ・アクセス 車:JR若松駅から約10分 軍艦防波堤周辺地図 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
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北九州市内ツアー / “関門”ノスタルジック海峡の旅
2021/06/09
北九州市内ツアーお客様の団体のための、北九州発着のオーダーメイドバスツアーです。 北九州の知られざる魅力を紹介するツアーで、自治会、婦人会、老人クラブや同窓会などの 団体で旅行を楽しみませんか。また北九州市民のシビックプライド醸成にも役立つツアーです。 更に、小学校、中学校や高校の修学旅行や大学の研修ツアーにもご利用ください。 ツアーのポイント “関門”ノスタルジック海峡とは、関門海峡のストーリー性を持った歴史的価値が評価され、 2017年(平成29年)に“関門”ノスタルジック海峡が日本遺産に登録されました。 関門地域を空から見下ろすと、本州と九州とが互いに手を伸ばし、今にも陸続きになりそうな 地形が目に入ります。海峡を挟んだ両岸からは、山々が海にせり出すように対峙し、そこからは 大型のタンカーや旅客船が途切れることなく往来する海峡 景観とレトロな近代建築が建ち並ぶ 街並みを望むことができます。 ツアーでは、日本遺産に登録された施設を巡りながら、ノスタルジックな海峡を紹介します。 ツアーガイド:ジャパン九州ツーリスト㈱ 近藤 行 程 8:30 北九州市内のご指定の場所 出発 ・部埼灯台 ・大連航路上屋 ・九州鉄道記念館 ・門司港駅 → 旧大阪商船ビル ・旧門司三井倶楽部で昼食 ・バスの車窓から門司区役所を見学 ・バスの車窓から・関門製糖(大里製糖所)とニッカウヰスキー(大里酒精造所)見学 鈴木商店の貢献を紹介 ・旧サッポロビール九州工場 (赤煉瓦プレイス) ・若松南海岸:若松石炭会館、上野ビル、旧古河鉱業若松ビル、ごんぞう小屋 17:00頃 北九州市内のご指定の場所 解散 旅の見どころ 部埼灯台 門司区企救半島の北東端、瀬戸内海周防灘に面した小高い丘にあり、1872年(明治5年) に竣工した複合低塔型灯台です。日本で12番目に点灯した洋式の灯台で、「日本の灯台の父」 と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの指導で建設しました。 この灯台の設置場所は、かつて僧清虚が13年間、焚火を焚き続けて灯台の役目を果たした、 遭難が多かった関門海峡東口で、今も航行の安全を見守り続けています。 九州鉄道記念館 赤煉瓦づくりの旧九州鉄道本社を活用し、2003年にオープンした鉄道の博物館です。 昔懐かしい実物車両や歴代の駅員の制服、鉄道用具など、鉄道ファンならずとも楽しめる 展示物がたくさんあります。 門司港駅 1988年(昭和63年)には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定され、現在では東京駅と 2つが国の重要文化財です。1914年(大正3年)に門司駅(当時)として開業、1942年(昭和17年)に 門司港駅と改称されました。建物は、フレンチ・ルネッサンス調との木造二階建て建築で、 ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの監修によるものです。 旧門司三井倶楽部 1921年に三井物産の社交倶楽部として作られた建物です。ハーフティンバー様式と呼ばれる ヨーロッパ伝統の木造建築工法で作られ、門司港駅と同様に国の重要文化財に指定されています。 1922年にアインシュタイン博士が全国を講演する為に来日した際に、三井倶楽部に宿泊しました。 博士が宿泊した部屋は当時の様子を再現しています。 赤煉瓦プレイス 旧サッポロビール九州工場の赤煉瓦建物などを保存活用した貴重な歴史的建造物です。 門司麦酒煉瓦館は旧工場事務所を改装し、ビールの歴史と門司麦酒工場・九州工場の沿革の ほか、ビールの製造や原材料・缶・ビンのリサイクルについての解説展示を行っています。 門司麦酒煉瓦館をはじめ、現在残る醸造棟・旧組合棟(赤煉瓦写真館)・倉庫跡(赤煉瓦交流館) の4つの建物は歴史的価値を認められ国の有形文化財に登録されています。 若松南海岸 明治時代の初めまでは、普通の漁村にすぎませんでしたが、日本の工業の発展とともに、 石炭の需要が増えていき、石炭の積み出し港として発展していきました。 1898年(明治31年)には若松港が開港し、石炭がどんどんと鉄道を使って若松港に集められ 全国に送っていき、“石炭の町、若松”として日本中に知られていきます。 その当時に立てられた建築物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に 沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも美しい地域です。 旅行代金 お客様の人数、発着場所、食事の内容や訪問する観光施設等の旅行条件に従い パッケージとして見積致します。 門司の地図 門司全体 門司港レトロ地区 若松の地図 お問合せ・お申込先 ジャパン九州ツーリスト株式会社 福岡県知事登録旅行業 第3-688号 電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898 Email info@japan-kyushu-tourist.com 〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階 ホーム 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 修学旅行 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
