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鉄鋼の産業発展物語 第8話 / 満州事変と洞岡地区の拡張

 
海に築く製鉄所の先駆け
第一次世界大戦後、アメリカも1929年にウォール街の株式暴落で恐慌が起こり、
それが世界中に波及していった。日本では1930年(昭和5年)に昭和恐慌が起き、
国際的緊張に対応するために軍事力強化を図る。
そして、1931年に勃発した満州事変は日本の産業に大きな意味を持つ。
鉄鋼原料と製品市場確保のために軍事力により中国・満州に踏み込んだものであり、
膨大な軍事を通じて、重化学工業及び関連産業の発展を促進した。
一方、金本位制の停止が赤字公債の発行による財政支出の増大によって、
産業活動を刺激する道を開いた。
 
洞岡地区の拡張
洞岡地区(葛島と東田地区の間の海)は、高炉で発生した鉱滓の捨て場として、
1918年(大正7年)頃
から埋め立てが開始された。

 
       埋立の様子(奥は東田地区)
 
当初は、有事の際の原料や鉱石を2~3年分確保する用地づくりが目的であった。
しかし、八幡地区は拡張の余地がなくなったため、この場所に新しい工場が次々と建設される。
 

 

海に築く製鉄所の先駆け (1930年1938年)
洞岡は日本鉄鋼業の立地の特徴である「海に築く製鉄所」の先駆けとなった。
東田地区はドイツ式のレイアウトでつくったもので、陸上輸送による内地原料を主眼とし、
製品の運搬に自然への勾配を利用する目的で、製鐵所の一番高い海抜15mの土地に高炉を

建設した。しかし、原料の大部分は海外から船舶で輸入しており、汽車や索道による構内

運搬費がかさんでいた。大きなコストダウンを図る目的で海岸に高炉とコークス炉を建設した。

 

    4基の高炉群

    現在の様子

 

・1930年:洞岡第一高炉火入れ、洞岡コークス炉操業開始
・1933年:洞岡第二高炉火入れ
・1937年:洞岡第三高炉火入れ
・1938年:洞岡第四高炉火入れ、洞岡第五コークス炉作業開始  
 

 


 

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